Netflixで独占配信され、大きな話題を呼んでいるドラマシリーズ『地獄に堕ちるわよ』。
2000年代を中心に、テレビのバラエティー番組で視聴率の女王として君臨した占い師・細木数子の闇深い半生を描くドラマですが、間違いなくそのネタ本となっているのが、溝口敦の書いたノンフィクション『細木数子 魔女の履歴書』でしょう。
しかしドラマ自体、公式に「事実に基づいた虚構」をうたっており、実話ではない多くの創作が盛り込まれています。そこで、溝口敦の著作『細木数子 魔女の履歴書』を読み解き、何が事実と違うのか、実際はどうだったのか、またドラマでは描かれなった実話など具体的に紹介しつつ、細木数子の実像に迫りたいと思います。
Netflixで配信されたドラマ『地獄に堕ちるわよ』について
『地獄に堕ちるわよ』は、2026年4月27日にNetflixより世界独占配信され、大ヒットを記録している全9話のリミテッド・ドラマシリーズです。
占い師にしてベストセラー作家でもあった細木数子の闇深い生涯を、虚実織り交ぜて描くドラマであり、実際、第1話の冒頭において「この物語は事実に基づいた、虚構である」と述べられています。
しかし、戸田恵梨香演じる主人公の名前は「細木数子」、三浦透子演じる大物歌手の名前は「島倉千代子」と堂々と実名のまま登場。どこまでが実話でどこが嘘なのかの線引きは、実に曖昧な展開となっているのです。
※ドラマのロケ地については、下記の別の記事で詳しく特定し、紹介しています。
溝口敦著『細木数子 魔女の履歴書』について
『細木数子 魔女の履歴書』は、ノンフィクション作家・ジャーナリストの溝口敦が、2006年5月より「週刊現代」および「月刊現代」に連載した、細木数子の実像を暴く迫真のルポルタージュであり、加筆修正したうえ、同年12月に単行本として出版されました。
当時、視聴率女王としてテレビ局がもてはやしていた占い師・細木数子の真っ黒な裏の顔、知られざる生い立ち、暴力団との深い関係、売春斡旋、占いの嘘、墓石をめぐる霊感商法などを綿密な取材によって暴き、それに怒った細木側から連載差し止めと名誉毀損の訴訟を起こされました。
しかし、出演番組が終了した2008年7月になると細木は訴訟を取り下げ、その後、表舞台にはあまり姿を見せなくなったまま、2021年11月8日に83歳で死去しました。
溝口敦の『細木数子 魔女の履歴書』は、ドラマ配信に合わせて新装版が刊行されており、ぜひ一読をおすすめします。
ちなみに、1988年には細木数子自身による自叙伝『女の履歴書―愛・富・美への飛翔』が刊行されていますが、溝口によると内容は嘘と虚言にまみれており、こちらはすでに絶版となっています。細木数子関連のWikipediaには、この自叙伝をもとにした間違いもいまだ多く散見されるので注意が必要です。
※著者の溝口敦について
溝口敦は、1942年7月5日東京都出身。早稲田大学政経学部卒業後、徳間書店、博報堂を経てフリージャーナリストとなりました。とりわけ「暴力団」関連では第一人者ともいえるほど多くの著作を発表しており、「講談社ノンフィクション賞」「日本ジャーナリスト会議賞」「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」を同時受賞したこともあります。80代となった現在も精力的に仕事に取り組んでおり、最新作には2026年刊行の『やくざは本当に「必要悪」だったのか』があります。
『魔女の履歴書』に書かれた細木数子の生涯と実像【ドラマの嘘と事実】
①生い立ちと出生の秘密
細木数子(以下、数子と記載)は、1938年(昭和13年)4月4日、渋谷区円山町生まれ。父は之伴、母はシケとされていますが、実の母はみつという名の女性でした。みつは、之伴の愛人であり、のちに養女として細木家に入ったため数子から見ると義姉、戸籍上、11人きょうだいのうちの七女が数子です。
父・之伴は、暴力団ともつながる政治ゴロでしたが、晩年には円山町に隣接する百軒町にカフェ「ロマンスクラブ」を開業。1945年(昭和20年)、数子7歳のときに70歳で病没しました。実母・みつが中心となって百軒町におでん屋、そして飲食店「娘茶屋千代」を開業。当時の百軒町は青線地帯であり、「娘茶屋千代」も裏で売春斡旋を行い、数子も中学の頃からその客引きをして小遣いを貯めていたようです。
ドラマでは戦後、貧困のどん底に苦労する幼い数子の姿が描かれていましたが、上記の通り、実際はどうもかなり違うようです。富田靖子演じる母みねも、実の母みつの方なのか、戸籍上の母シケの方なのかはっきり描写されていません。シケは1953年(昭和28年)に75歳で死去、みつは1971年(昭和46年)、67歳で死去しています。ドラマでは母親に死に絶望する数子の姿が描かれていましたが、実際は両方の母とも、関係は冷ややかだったようです。
②水商売での成功
数子は、下北沢の成徳女子高校の生徒だったとき、神田のキャバレー「白い手」でホステスとして働きつつ、「娘茶屋千代」での客引きなど掛け持ちしてお金をため、1955年、高校中退の上、東京駅近くのガード下に喫茶店「ポニー」を開店しました。
すぐ上の姉・照子と共同で経営し、サラリーマン相手のおにぎりやトーストなどを売って儲けます。しかし、半年でこの店を売却し、本格的に水商売の道に進みました。
お店の遍歴をわかりやすく一覧にすると以下の通り。
1955年前後:キャバレー「白い手」のホステスとして働き、喫茶店「ポニー」開店
1957年:「ポニー」を売却し、新橋駅近くに「クラブ潤」開店
1961年頃:銀座八丁目のクラブ「メルバ」で雇われママになる
1962年:銀座八丁目にクラブ「かずさ」開店
1963年:結婚のため「かずさ」を弟の久慶に任せる。3か月で破局し、銀座にバー「だりあ」開店(ここではひそかに売春斡旋をしていたという証言あり)
1966年:久慶が銀座八丁目に開いていたクラブ「シンザン」も引き継ぎ、『クラブだりあ』として新オープン
1971年頃:赤坂でサパークラブ「艶歌」開店
1974年:赤坂でディスコ「マンハッタン」開店
1980年:「マンハッタン」をレストランパブに改装
ドラマでもこのあたりは比較的事実に忠実に描かれているようです。「かずさ」「艶歌」「マンハッタン」などはそのままの名前で登場します。また、実弟の久慶が店の仕事を手伝っていたのも実話通りです。
③男女関係の遍歴
「かずさ」を開店したころ、日活俳優の青山恭二と恋仲になったものの、青山の家族から結婚を反対され、数子は生きるの死ぬの自殺騒ぎまで起こしたようです。
そのあとすぐ、1963年(昭和38年)、静岡市にある老舗眼鏡店の後継ぎH氏と結婚。美容院から出てきた数子に一目ぼれし、「かずさ」に通い詰めて求婚したようです。Hの実家の父が倒れたため、急遽、静岡に戻って結婚。しかし、田舎の生活が合わず、わずか3か月で静岡を飛び出し銀座に戻りました。正式な離婚は3年半後の1966年でした。
この結婚に関しても、細部はともかく、ドラマはおおむね実話通り描いたのではないでしょうか。『魔女の履歴書』の中で溝口はH氏に直接取材。H氏によると、数子が東京に帰りたいと言い続けて帰っただけの話で、離婚でもめるようなことはなかったのだとか。H氏はその後再婚して二人の子をもうけ、二度と数子に会うこともなく、静岡で眼鏡店を営んでいたようです。
1970年か71年頃、数子32歳のとき、「だりあ」の客だった麹町の不動産業を営むという首藤(溝口によると実名は佐藤)と恋仲になります。首藤の求めに応じて金を貸し続け、多額の出資によって赤坂にサパークラブ「艶歌」を開店しました。しかし、首藤は、不渡り手形を出し、店の金を持ち逃げして行方をくらまします。結局、住吉会系暴力団の息のかかった詐欺師だと判明し、数子は多額の負債を背負うことになりました。
一時、この債権を手に入れた稲川会の滝沢組組長・滝沢良太郎と愛人関係になっていたようですが、その後、数子は滝沢から鞍替えして小金井一家総長・堀尾昌志と親しくなり、内縁関係となります。二人のつながりは、結局、堀尾が1992年に64歳で死ぬまで腐れ縁のように続いたようです。
・この辺りの遍歴も、ドラマはほぼ実話に近いと言えるでしょう。
首藤→須藤豊(演:中島歩)
滝沢良太郎→滝口宗次郎(演:杉本哲太)
堀尾昌志→堀田雅也(演:生田斗真)
・堀尾は亡くなる直前まで、京都にある数子の豪邸で静養していたようです。数子は、堀尾家の墓を細木家の墓のすぐ隣に並ぶようようにもうけています。
④占いの世界へ
数子が占いの世界に入るきっかけとなった人物が、1973年、堀尾を介して会った「神・心理占星学会」会長・神熙玲(じんきれい、本名:小林真津子)でした。神熙玲のアドバイスに従い、翌年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープンしています。
数子は、短期間弟子入りしつつも、初歩でやめてしまい、秘伝の資料も返還しないまま、絶縁します。数子が独自に編み出したという六星占術は、パクリ同然であり、多くの間違った読み方をしているというのは、神熙玲はもとより、数少なくない占術家の間では周知の事実でした。
本格的に占いを学ぶことなく、神熙玲の真似をする形で素人占いを開始。1982年、ごま書房から『六星占術による運命の読み方』を刊行し、70万部のベストセラーを生み出すと同時に、一躍人気占い師の地位を確立しました。
その後、2004年頃からのテレビ出演による爆発的な人気に支えられ、高額な鑑定料、何千万の墓石を買わせて墓石屋からバックマージンをもらう霊感商法に手を染めていくのです。
⑤島倉千代子との関係
政界・芸能界・暴力団に顔をきくフィクサー的存在だった阿部正明を介する形で出会ったのが、数子と同じ歳だった歌手の島倉千代子でした。
島倉は、自身の失明の危機を救ってくれた眼科医・守屋義人と恋仲になり、信用して実印を貸したことで多額の負債を背負います。借金取り立てに困った島倉を匿う阿部を手伝う形で島倉に接近したのが数子でした。数子に言い含められた島倉は、阿部に無礼を働く形で、数子の支配下に入ります。
1977年、数子は堀尾とともに、島倉の後見人として負債の整理にあたり、また島倉の個人事務所を設立させ、金づるとしてその興行権を握ります。無知で言いなりの島倉に対し、ありもしない借金をどんどん膨らませ、その返済と称しお金と不動産を巻き上げていくのでした。
1981年、島倉はようやく数子から逃れる形でコロンビアに移籍します。このとき、コロンビアは細木から要求された2億円を移籍料として支払ったと言われています。結局島倉から9億以上を搾取し、島倉が所有していた赤坂の高級マンション「赤坂パークハウス」は数子が横取りし、自身の住まいとしていました。
橋から飛び降りようとしていた島倉を、偶然通りがかった数子が助けたというドラマの描写は創作です。
数子の悪事に気づいた島倉が、腹いせに堀田を寝取るシーンがありましたが、それが事実だったかどうかは不明です。ただ、島倉は堀尾に惚れ、二人の間に男女関係があったと証言する人がいるのも事実のようです。
⑥大御所思想家・安岡正篤との関係
『六星占術による運命の読み方』というベストセラーを生み出し、テレビからの誘いもある中で、まだ自分の力不足を知っていた数子が目をつけたのが、戦後、政財界の精神的支柱・指南役とも称された保守思想家の大家・安岡正篤でした。
1983年、当時すでに85歳の高齢で正常な判断力を失いつつあった安岡をたぶらかし、酒漬けにしたうえで、結婚誓約書を書かせます。数子はそれをもとに婚姻届けを提出しましたが、安岡の家族は婚姻無効の申し立てを行います。そんな中、認知症の症状も出ていた安岡が、心不全を起こして他界。初七日後、数子は籍を抜くことに同意したものの、安岡の貴重な蔵書1万数冊を手に入れました。
⑦テレビ出演と霊感商法
2004年8月、TBSで『ズバリ言うわよ!』がスタート、同年11月には『幸せって何だっけ~カズカズの宝話』がフジテレビでもスタート。高視聴率を記録し、テレビで顔と名前を売って本を売り、墓石を売るという構図が確立しました。
すでに数子の裏の顔が少しずつ明らかになりつつあり、テレビ局には抗議の声が届いていたにもかかわらず、ほぼ無視。テレビ局は、実質的に数子の黒い金儲けに加担したも同然であり、その罪は極めて重いと言えるでしょう。
いよいよ2006年、本書『細木数子 魔女の履歴書』の連載が始まると、数子は訴訟に出るばかりか、暴力団を使って溝口の原稿つぶしの行為を行っていたようです。また「週刊文春」誌上で、溝口に反論する連載を開始。なんの裏付けもなしに、細木の嘘を連載し続けた「週刊文春」の罪も重いと言えるでしょう。
訴訟に出たのもテレビ番組の延命のためにすぎず、番組終了と同時に訴訟を取り下げたのもそのためであったとされています。
『魔女の履歴書』刊行以後の細木数子、晩年と死
2008年、充電期間と占いに専念することを理由に2つのテレビ番組を終了させ、表舞台から退く形をとります。
2014年、数子の妹の娘である細木かおりがマネージャー兼アシスタントとなり、2016年には正式な後継者として養子縁組を結びました。恒例となっている『六星占術』シリーズに関しても、2020年版より細木かおりの名で刊行されています。
細木数子は、2021年11月8日、呼吸不全のため、83歳で死去しました。お墓の場所は公表されていません。
ドラマ『地獄に堕ちるわよ』を溝口敦はどう見たのか?
さてNetflixのドラマ『地獄に堕ちるわよ』に関し、『細木数子 魔女の履歴書』の著者である溝口敦はどのように見ているのでしょうか?
日刊ゲンダイのインタビューで次のように答えています。
善悪の描き方がぼんやりしていて、細木数子という人を善悪の両面からとらえている。僕が本で書いたスタンスとは違って、ある種の緊張感はあまり感じなかったですね。ただ、その描き方というのは、見方を変えれば「一般の視聴者にはちょうどいい」のかもしれない。善と悪、白と黒をはっきりさせすぎないことで、かえって多くの人が見やすくなっているのでしょう。だから、ヒットしているんじゃないかな、とは思います。
引用:日刊ゲンダイ「細木数子と闘った作家・溝口敦氏は『地獄に堕ちるわよ』をどう見たか? “女ヤクザ”の手口と正体」
上記でご紹介した内容はごく一部にすぎませんので、ぜひ『細木数子 魔女の履歴書』の一読をおすすめします。ここでは触れていない興味深いエピソードがたくさん盛り込まれており、読み応えがあります。


