朝ドラ『ばけばけ』小泉八雲とセツの生涯/家族/子孫の実話【家系図】

ばけばけ ドラマ

2025年度後期の作品として放送されている、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)第113作『ばけばけ』。

『怪談』で知られる作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻・セツをモデルとしたヒロインが、日本が大きく変わる明治の時代をひたむきに生きる姿を描きます。

本記事では、ドラマのモデルとなっている小泉八雲とセツの生涯を、その家族や現在の子孫まで含めたわかりやすい家系図とともにご紹介します。

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2025年9月29日に放送スタートしたNHK連続テレビ小説、通称朝ドラ第113作目の作品が『ばけばけ』です。

『ばけばけ』のタイトルについては、NHK公式ページで以下の通り説明されていますが、明らかに『怪談』という小泉八雲の代表作も重ねて合わせていることは間違いありません。

このドラマは「化ける」物語です。急速に近代化が進む明治の日本は、人々の暮らしや価値観がどんどん「化けて」いきます。その中で取り残された人々の思いは、時に怪談という物語に形を変え語り継がれてきました。それと同じように、うらめしかったトキの世界も、いつしか、かけがえのないすばらしいものに「化けて」いくのです。

引用:https://www.nhk.jp/g/ts/662ZX5J3WG/blog/bl/p7xRqmNdbW/bp/pzKvQmBmy0/

ヒロインを演じるのは期待の新鋭・髙石あかり、八雲役は、世界的大ヒットドラマ『SHOGUN 将軍』で強い印象を残した英国人俳優兼ミュージシャンのトミー・バストウが演じます。

ドラマは実話をもとにしたフィクションをうたっており、一部で大胆な再構成がなされているようです。しかし、実在の人物をモデルにしていることは相違なく、あらためてその生涯や家族関係を理解すると、もっとドラマを深く楽しめるのではないでしょうか?

特定できたドラマのロケ地・撮影場所については、以下の記事をご覧ください。



小泉八雲とセツ夫妻を中心にした、略式家系図です。ドラマには登場しないと思われますが、存命中の直系子孫で現在「小泉八雲記念館」の館長を務めている人物まで辿ってみました。

以下のドラマの公式相関図を重ねてみてください。

①生い立ちと幼少期

小泉八雲/ラフカディオ・ハーン(ドラマ上の役名:レフカダ・ヘブン)は、1850年6月27日、ギリシャのレフカダ島(当時はイギリス保護領)生まれ。父は、イギリス軍医チャールズ・ブッシュ・ハーン、母はギリシャ人のローザ・カシマティであり、三兄弟の次男でした。

幼少期を父の故郷アイルランドで過ごしますが、両親が離婚したため、父方大叔母のもとで育ちました。

八雲の兄ジョージは、八雲が生まれてすぐ夭折。父チャールズが一人他国に転属になったため、八雲を身ごもっていたローザはアイルランドの義母エリザベスを頼ってアイルランドに渡りました。しかし、環境の違いから精神を病み、一人ギリシャに戻ります。

父チャールズは愛人だった女性と再婚。そのため、八雲は記憶も曖昧な母に対する思慕、逆に母を棄てた父に対する嫌悪を生涯持ち続けていたと言います。

弟のジェームズものちに渡米し、ミシガン州で農場を営んでいましたが、八雲が渡米後連絡を取り合うも、生涯再会することはなかったと言われています。

②渡米しジャーナリストへ

16歳のとき、遊具のロープで左目を失明します。さらに、大叔母が破産したため、イギリスのダラム大学を退学し、1869年、遠縁を頼って単身渡米しました。

オハイオ州シンシナティで、極貧の生活をなんとか這い上がり、新聞社の記者としてとりあえずの安定を得る中、知り合ったマティ・アリシア・フォリーと最初の結婚をします。マティは白人と黒人のハーフだったため当時の世間の風当たりは強く、およそ3年後の1877年に離婚しています。

ニューオーリンズに渡り、次第にジャーナリストとして評価を得ていきます。その頃、当地で開催された万国博覧会で日本文化に触れ、文科省の服部一三と知り合ったこと、またジャーナリストのエリザベス・ビスランドの影響を受け、来日を決意します。

③来日と再婚

1890年、出版社の通信員として横浜に来日しますが、トラブルによりすぐ契約破棄となり、島根県の松江で英語教師となります。

翌1891年には、ハーンの家の住み込み女中だった小泉セツと結婚しました。熊本の中学校で英語教師、神戸の新聞社勤務、東京帝国大学の英文学講師を務めるなど各地を転々とする中、三男一女をもうけました。

④著作と晩年、死去、墓所

東京帝国大学勤務中だった1896年には帰化し、「小泉八雲」を名乗ります。

アメリカ滞在中より複数の著作を発表していましたが、来日後も執筆を続け、代表作でもある有名な怪奇文学『怪談』は 亡くなる1904年に発表されたものです。

早稲田大学の講師を務めていた1904年9月26日、狭心症により54歳で死去しました。墓所は、東京の雑司ヶ谷霊園にあります。



①生い立ちと養子

小泉セツ(ドラマ上の役名:松野トキ)は、1868年2月26日(慶応4年2月4日)、出雲松江藩の家臣で長らく番頭を務めていた小泉家において、父・小泉弥右衛門湊、母・チエのもと、6人きょうだいの次女として生まれました。

生まれてすぐ、子どものいなかった親戚・稲垣家の養女となります。ところが、明治維新により稲垣家が没落したことで、11歳のとき、織物の会社を経営していた実家の小泉家で織子として働き始めました。

②二度の結婚

18歳のとき、士族の前田為二を婿養子に迎えますが、1年余りで逃げ出されてしまいます。22歳のときには正式な離縁となり、この時、稲垣の家に暮らし続けながらも籍は小泉家に復籍しています。

ただ小泉家も困窮していたのは同じで、翌1891年、ハーンの家の住み込み女中となり、そこで二人は出会います。すぐ同年に結婚し、同11月には転勤先の熊本で、長男の一雄をもうけました。

その後、神戸、東京へと転職する夫に従い、東京では次男の巌、三男の清、長女の寿々子をもうけます。清は、稲垣の家を継ぐため、セツの養母・稲垣トミの養子に出されました。

③後年と死去・墓所

寿々子が産まれた翌年、セツが36歳のとき、八雲が死去。セツは八雲が遺した家で子どもたちを育て上げ、後年を静かに過ごしました。

1914年には、八雲のことを綴った随筆『思い出の記』を発表しています。

1932年2月18日、64歳で死去。晩年は動脈硬化に苦しんおり、それが間接的な死因だと推測されています。墓所は八雲と同じ雑司ヶ谷霊園にあります。

長男の小泉一雄は、大学を卒業後、父の知り合いが経営していた横浜グランドホテルで働いていましたが、関東大震災を機に、母のもとに戻り、翌1924年には輿水喜久恵と結婚。2人がもうけた長男・の子が、現在「小泉八雲記念館」館長をつとめている小泉凡氏です。

稲垣家に養子に出されたは、京都帝国大学文学部英文科を卒業し、英語教師になりました。種市翠と結婚し、一男二女をもうけました。

三男のは、東京美術学校に進学しますが中退し、針シズと結婚。その後、紆余曲折を経て46歳で画壇デビューしました。晩年は、シズの死の後を追うように、2か月後に自死しています。2人は一男一女、蘭子をもうけたとされ、閏の子である小泉達也氏は小泉凡氏との対談などでときおり表舞台に登場しています。

凡氏、達也氏とも、八雲からみると玄孫(やしゃご)にあたります。



上述の通り、ドラマ『ばけばけ』は実在人物をモデルにしたフィクションをうたっており、大幅な事実の改変が行われることは確かでしょう。

前作『あんぱん』で主人公の二人の出会いに関して、大胆な嘘が持ち込まれ、少々白けてしまいましたので、事実に反する展開に関しては極力、慎重になって欲しいと考えますがいかがでしょうか?

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