浪花千栄子の生涯・夫・父・家族・代表作【おちょやんのモデル】

浪速千栄子 ドラマ

新型コロナウィルスの影響をうけ、異例の2020年11月末スタートとなった第103作目のNHK連続テレビ小説『おちょやん』。

朝ドラの王道路線と新鮮で軽やかなコメディタッチが程よくブレンドし、幅広い層から好評を博しました。

本記事では杉咲花演じるヒロイン・竹井千代のモデルとなっている女優・浪花千栄子について、生い立ちや生涯、家族、キャリア、おすすめの代表的作品など詳しくご紹介したいと思います。

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朝ドラ『おちょやん』とは?

「朝ドラ」で知られる、第103作目となるNHK連続テレビ小説が『おちょやん』です。2020年後期作品にあたりますが、新型コロナウィルスの影響で撮影が延期され、約2カ月遅れの11月30日にスタートしました。

物語の舞台は大正の戦前から戦後の昭和、大阪と京都。大正5年に大阪・南河内の貧しい一家に生まれたヒロイン・竹井千代が、さまざまな苦難を経て女優をめざす姿を軽やかに描きます。

「おちょやん」とは、若い女中を意味する大阪ことばです。千代が道頓堀の芝居茶屋「岡安」で8年間の女中奉公する様子が最初の1か月の見どころとなっていました。

脚本を担当しているのは、『半沢直樹』で社会現象を巻き起こした八津弘幸。

物語そのものはフィクションではありますが、杉咲花が演じている千代のモデルとなっているのが、女優の浪花千栄子なのです。

浪花千栄子の生い立ちと生涯・キャリア・夫と家族

芸名通り、したたかさで計算高く、独善的ながら愛すべき浪花の女を演じさせたら右に出るものがいない、と言われた昭和を代表する名女優が浪花千栄子です。

その演技力と存在感は唯一無二であり、溝口健二、黒澤明、小津安二郎、木下恵介ら日本映画を代表する巨匠の作品はもちろん、人気テレビドラマやCMなどお茶の間でも広く愛される女優として活躍しました。

①生い立ちと幼少期・家族・父と弟

浪花千栄子は、本名・南口(なんこう)キクノ、1907年(明治40年)11月19日、大阪府南河内郡大伴村大字板持(現在の富田林市東板持町)に生まれました。一度引越しをし、奉公に出る前には南田辺の桃ケ池近く(現在の阿倍野区桃ヶ池町)に居住していたようです。

母のキクは千栄子が5歳のときに他界。父の卯太郎は庭で細々と養鶏業を営んでいましたが貧しく、おまけに女にだらしなかったと言います。ドラマ通り、千栄子は飲み屋の仲居だった継母に追い出される形で、9歳の時、道頓堀の仕出し料理屋に女中奉公に出されました。

弟が一人いたのものドラマ通りであり、千栄子は母親代わりとなって面倒を見ていたと言います。

道頓堀の仕出し料理屋での奉公は、ドラマのように親切な御寮さんがいたわけではなく、無給同然の厳しく辛いものだったようです。その後、京都に行くまでの短い期間、故郷で再び父に言われて材木屋の女中奉公をしていますが、そこの主人は面倒見のいい人だったらしく、ドラマはこの体験を合体させているようです。

②女優としてのキャリア(前期)

8年に渡る厳しい道頓堀での女中奉公から、京都の「カフェー・オリエンタル」での女給を経て、20歳のときに女給仲間の紹介がきっかけで新京極を拠点にしていた村田栄子一座に入団します。その後、一座の経営状態の悪化から東亜キネマの等持院撮影所に移って専属女優となり、芸名・香住千栄子の名で端役出演を重ねました。

1926年の映画『帰って来た英雄』において初の準主役に抜擢され、注目を集めます。上層部と衝突し、大阪にある帝国キネマに移って芸名を浪花千栄子と変えましたが、給料未払いなどあってそこでも長く在籍することはありませんでした。

原点の演劇に立ち返り、1929年に「新潮劇」に参加。翌年には二代目渋谷天外らが立ち上げた「松竹家庭劇」、同じく二代目渋谷天外らとともに1948年に立ち上げた「松竹新喜劇」の看板女優として活躍しました。

「カフェー・オリエンタル」は、京都南部の深草にありました。また、村田栄子をモデルにしたドラマのキャラクターが、若村麻由美扮する山村千鳥。漫画「正チャン」の主役を千代が演じることになるエピソードは実話です。

東亜キネマをやめ、大阪に戻ってきた千栄子が居候していたのが道頓堀にあった芝居茶屋「岡嶋(おかじま)」。ドラマに出てくる「岡安」と重なります。「岡嶋」には二代目渋谷天外も居候しており、そこで二人は出会いました。

③女優としてのキャリア(後期)・死去と遺作

プライベートが理由(後述)で、1951年に松竹新喜劇を退団。一時消息不明の半引退状態にありましたが、まもなくNHKのラジオドラマ『アチャコ青春手帖』、同じく花菱アチャコとコンビを組んだ『お父さんはお人好し』が大ヒットし、見事に復活を果たします。

同時に映画界にも復帰すると、溝口健二・木下恵介・黒澤明・内田吐夢・小津安二郎ら世界的巨匠の作品に相次いで抜擢。60年代以降は『大奥』や『細うで繁盛記』など数々のテレビドラマでも独特の存在感を放ち、名女優として不動の地位を築きました。

1973年12月22日、消化管出血により66歳で他界しています。ほぼ突然死に近く、日本中を驚かせました。遺作は、花登筺が1970年に浪花千栄子のために執筆した舞台『お初天神』の京都南座での再演(1972年)、連続ドラマは1973年1月から6月までTBS系列で放送された『まんまる四角』、単発ドラマは11月放送の東芝日曜劇場『思い出草』です。

失踪状態にあったとき、千栄子は京都の借家でひっそり暮らしていました。当時すでに人気スターだった花菱アチャコが相手役に浪花千栄子を指名し、NHKの担当者が探し当てたのです。ラジオドラマ全盛の時代でした。

④浪花千栄子と夫の渋谷天外、結婚と離婚のいきさつ

浪花千栄子は、1930年、松竹家庭劇に入団するとまもなく、旗揚げメンバーの一人である二代目渋谷天外と結婚しました。

その後、2人は1948年に松竹新喜劇を旗揚げするなど公私にわたる二人三脚の状態でしたが、1951年(千栄子の自伝によると1950年)、天外が劇団の新人女優で、千栄子の弟子のような存在だった九重京子と不倫のすえ、子どもをもうけたことが発覚します。

千栄子は劇団を退団し、数年後の1954年には正式に離婚が成立しました。ショックから一時は死すら考え、しばらく消息不明となったのは上記に述べたとおりです。

二代目渋谷天外は九重京子と再婚し、その後は愛弟子だった藤山寛美と名コンビとして活躍しました。浪花千栄子より長く、1983年3月18日に76歳で死去しています。

九重京子ら、その他モデルとなっている人物の実話とその後については、下記の記事に詳しくまとめてあります。

⑤浪花千栄子がむかえた養女と旅館経営

天外との間に子はなく、浪花千栄子はのちに2人の養女を迎えています。1人は千栄子を裏切って絶縁しているようですが(詳細不明)、もう一人は実弟の娘、つまり千栄子の姪にあたる南口輝美氏。若い頃から、千栄子の付き人をしていました。

後年、千栄子は京都嵐山の天龍寺に隣接した一等地に住居兼料理旅館の「竹生(ちくぶ)」を開業しましたが、千栄子が亡くなったあとは南口輝美氏が経営を担っていました。

旅館は廃業して現存しておらず、現在の跡地には福田美術館が建っています。また、浪花千栄子のお墓は天龍寺の境内にある塔頭の松厳寺にあります(一般には非公開)。

⑥浪花千栄子と父の関係、父の最期は?

ドラマにおけるトータス松本演じる父親像は、かなりの悪人で描かれていますが、それはおおむね事実に即したもののようです。

上記に述べたとおり、富田林市にあった飲み屋で働いていた仲居と再婚しましたが、女中奉公に出される直接の原因になったことは事実であり、道頓堀での奉公が済んだのちは、父親によって別の奉公先に出されています。

戦時中、千栄子は生まれ故郷に一時疎開していましたが、そのときのことを綴った自伝に父はもう一切登場せず、この頃にはすでに絶縁していたのではないかと言われています。

つまり、父親の卯太郎が千栄子に見捨てられたその後、どんな後半生を送り、最期を迎えたのかはわかっていません。



浪花千栄子のおすすめ代表作5選

1.『祇園囃子』(1953年)

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祇園囃子

溝口健二監督が『雨月物語』と同年に発表した、まさに脂の乗り切った時期の作品の一つが『祇園囃子』です。

小暮美千代と若尾文子が祇園の芸妓と舞妓を演じるなか、浪花千栄子はお茶屋の女将・お君を演じ、ブルーリボン賞助演女優賞に輝きました。

本作品をきっかけに、他にも『山椒大夫』など、溝口健二のお気に入り女優となったばかりか、その後名だたる巨匠の作品に抜擢されることになります。

2.『蜘蛛巣城』(1957年)

シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換え描いた黒澤明監督の傑作が『蜘蛛巣城』です。

浪花千栄子は、物の怪の老婆役で登場。奇怪な役柄ながら、その存在感はさすがです。

3.『彼岸花』(1958年)

小津安二郎監督の初のカラー作品として有名な『彼岸花』。

佐分利信演じる父と有馬稲子演じる娘の関係が軸の典型的な小津調の物語ですが、そこに独特の色を添える存在となるのが、京都に住む知人親子として登場する浪花千栄子と山本富士子です。

とりわけ、有馬稲子の母を演じた田中絹代と浪花千栄子の掛け合いは必見です。

4.『悪名』(1961年)

河内生まれのヤクザ者・八尾の朝吉を主人公に、勝新太郎主演で大ヒットシリーズ化した『悪名』。

その第1作目『悪名』と同年に公開された2作目『続・悪名』で、女親分の麻生イトを演じていたのが浪花千栄子です。

まさに浪花千栄子の独壇場とも言える役柄でした。

5.『女系家族』(1963年)

何度もテレビドラマ化された山崎豊子原作の『女系家族』。大映が1963年に手掛けた映画化作品が本作です。

大阪船場の老舗問屋を舞台にうずまく人間模様を描き、若尾文子や京マチ子らそうそうたる女優達が出演する中、浪花千栄子も一家の叔母・芳子役で登場します。

打算的な浪花女を演じさせたら随一と言われたその存在感が、見事に発揮された役柄です。

失踪からの復活後、浪花千栄子の映画復帰作となったのが、1952年公開の『瀧の白糸』。同作で共演した京マチ子とは、それ以来、大の仲良しでした。



オロナインのCMが有名「浪花千栄子でございます」

映画やドラマを見ない人でも、浪花千栄子といえばオロナイン軟膏の広告を思い出す人も多いのではないでしょうか?

テレビのCMに出演しているほか、街や田舎でもいたるところに掲げられたホーロー看板の女性として誰もが一度は目にしたはずです。

テレビCMの中の「浪花千栄子でございます」というセリフも有名ですが、本名が南口(なんこう)キクノであることから「軟膏効く」と重なり抜擢されたというのはどうやら事実のようです。

一部、オロナイン軟膏ではなくボンカレーの広告と混同している人もいるようです。ボンカレーのホーロー看板に登場した女優は松山容子。松山容子の方は、オロナインのCMにも出演しているため、そういった混同が起きたのかもしれません。

『おちょやん』に元夫・渋谷天外の息子、三代目渋谷天外が出演!

浪花千栄子の元夫・二代目渋谷天外の実の息子が、『おちょやん』に出演しています。

鶴亀撮影所の守衛である守屋役。千代とのコミカルな掛け合いが印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

二代目渋谷天外が九重京子と再婚してもうけた次男であり、1992年に芸名・渋谷天笑から三代目渋谷天外を襲名しました。

『おちょやん』で描かれる千代の人生

『おちょやん』はフィクションをうたっていますが、それでもモデルとなっている浪花千栄子の人生に、大筋では忠実に物語が描かれているように思います。

浪花千栄子の生涯についてもっと詳しく知りたい方には、自叙伝「水のように」と、伝記ノンフィクション「浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」の2冊がおすすめです!

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