浪花千栄子の名言:自伝『水のように』を読む【おちょやん】

浪花千栄子 水のように ドラマ

朝ドラの名で知られる、NHK連続テレビ小説の第103作として放送された『おちょやん』。ヒロインである竹井千代のモデルとなっている浪花千栄子に再び注目が集まりました。

昭和を代表する名女優、浪花千栄子の唯一の著作が自伝『水のように』です。

本記事では、同自叙伝を読みとき、中に記された印象的な言葉や名言を引用しながら、浪花千栄子の人生観や生きざまに迫りたいと思います。

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浪花千栄子の自伝『水のように』とは?

自伝『水のように』の初版が出版されたのは、昭和40年(1965年)。浪花千栄子が58歳のときです。

その頃はちょうどNHK大河ドラマ『太閤記』が放送中で、千栄子は主人公の母である大政所役を演じていました。

自伝は、3つのパートに分けることができ、前半が生い立ちに始まる半生、後半が交友録を中心にしたエッセイ、最後に、ある一時期の日常が日記形式で綴られています。

自伝だからと言って、必ずしもすべてが真実だとは言いきれず、よく読むと明らかに年代の間違いではないかと思われる個所なども見受けられます。ましてや、売れっ子だった最盛期に書かれた大女優の自伝ですから、多少のフィクションが混在している可能性もあるという前提で読むべきでしょう。

しかし、それを踏まえてなお、読み応えがあり、浪花千栄子の人生観やものの考え方を知る上で、おすすめです。

生涯についてはこちらの記事に詳しくまとめてあります。

浪花千栄子の名言で紐解くその人生観

1.生い立ちや奉公時代について

南河内の貧しい一家に生まれ、幼くして道頓堀の仕出し料理屋に奉公に出されたことなど、現在では考えられない不幸な生い立ちと少女時代。それがいかに過酷で辛いものであったかということは、以下の言葉からも推察されます。

「私の半生は、人に、かえり見もされないどぶ川でございました。自分から求めたわけではありませんが、私という水の運命は、物心つく前から不幸な方向をたどらされておりました」

浪花千栄子著『水のように』/朝日新聞出版。以下の引用すべて同じ。

「過去の上に、ただいまの私が立っているのだということは否定いたしませんが、ほとんどすべての過去の経験が、遠い年月のかなたにあとかもなく消え去ってしまってくれることは、私の切なる願望でございます」

「消え去って」欲しいと言いつつも、しかしその上で、千栄子の強じんな精神が顔をもたげます。

「どんな重い意志や土の上に、上から押さえつけられていても、雑草は、自分だけの力で、それをよけたり、はねかえしたりして、時がくればちゃんと自分の花を開く、――そうや、私も雑草やった」

つらい幼少期が、浪花千栄子の人間としての強さを形作ったことは間違いありません。

2.女優の仕事について

道頓堀での奉公先が、芝居茶屋にお弁当を入れる仕出し料理屋であったことから、千栄子は、早くから芝居と役者に触れる機会に恵まれていました。

たびたび幕のそでから芝居を覗き見していたようですが、その頃の記述から、やがて名女優となる片鱗が垣間見えます。

「登場人物のセリフは四、五日もすると、その動作とともにすべて私の頭の中へ丸暗記ではいってしまうのです」

道頓堀で8年、富田林で2年の奉公を終え、まもなく20歳になろうとしていた千栄子はついに意を決し、父親から逃げるように一人京都に旅立ちます。

京都で女優となり、複数の一座や映画会社を渡り歩きますが、待遇や処遇などで不満があると我慢ができなかったようです。

「生来、私は向こう意気の強い女性をみえまして、物事全般、正しいこととなるとすぐ味方をして、黙って見ていられなくなる性質でございます」

やがて、再び大阪に戻って芝居の劇団に入ります。そこで出会ったのが夫となる二代目渋谷天外でした。



3.二代目渋谷天外について

結婚、そして不倫により離婚に至った二代目渋谷天外について、浪花千栄子はどんな風にみていたのでしょうか。

離婚から数年後、ある人物の計らいで和解共演していますが、それすら千栄子は「仕事上の和解」という言葉を使っており、決して真の関係修復ではなかったことが推測されます。

「ただ、よきにつけ、悪しきにつけ、並尋常の物さしでは計れない人であったとだけは申し上げておきますが、それゆえに、天才的なのだ、とも、人はおっしゃるかもしれません」

「だけは申し上げておきますが」という言葉尻に、さりげなく批判めいた含みが読み取れる気がします。

ただ一つ確かなことは、天外に対する恨みがその後の女優としての覚悟と成長の励みとなっていたことです。

「二十年連れ添って、さんざん苦労させられた妻である私に、ついに、自分たちの住み家と名のつくものを与えなかった人が、新しい女と同せいして四か月目に、無理苦面してまで家を買い与えたという事実は、別れて後、私を激怒させるに十分でした。
それまでは、私は人を憎むことのむなしさを知っていましたから、いっさい私が至らなかったからだという反省に明け暮れて、きっと仕事の上で見返しますからね、とだけ心に誓っておりました」

この頃には、ようやくある境地にたどり着いたようにも見えますが、わだかまりは生涯消えないままであったのではないでしょうか?

「何も失っていないばかりか、私は、渋谷天外さんとの二十年で、たいへんいろいろなものを得たのでございます。(中略)女優としては、いろいろの大きな財産を受けたと思っています。私の、今日あるのは、そのときの忍従と苦難との上に開いた花だ、と思っています」

二代目渋谷天外や相手の女性などについては、下記の記事にも詳しくまとめてあります。

4.家と料理旅館「竹生」について

浪花千栄子は後年、京都嵐山に自宅兼料理旅館の「竹生(ちくぶ)」を建てていますが、自伝には、いかにその土地を見つけ、どんな経緯で手に入れることができたかなど詳しく記されており、必読です。

完成したとき、上記に述べた生い立ちや二代目渋谷天外が妻のために買った家のことを考えると、そこには並々ならぬ深い感慨があったであろうことは、容易に想像できます。

「これが、浪花千栄子が独力で、自分の力で、いや、大きな陰の愛の力で建てることができた、女優浪花千栄子の家なのか」

幼い頃、家の近くにあり慣れ親しんだ「竹」を、器、のれん、浴衣、布団などあらゆるものに用いた旅館だったようで、裏千家の茶室も「双竹庵」と名付けられていました。また敷地内に、見事な山桜の大木があったようです。

「このさくらは、晴れがましくも”浪花ざくら”と名づけられて、佐野藤右ヱ門氏編の図鑑に収められております」

旅館は現存していませんが、この「浪花ざくら」は今もどこかに残っているのでしょうか?

5.その他、人生哲学や恋愛観

女優としては、頑固で厳しかったと言い伝えられる浪花千栄子ですが、その波乱の生涯を思うと、強い人間にならざるを得なかったのは当然です。

「何かというと、封建的だとか時代がちがうと言われるので、私たちはなるべく黙っていたいが、自分の義務と権利が同じ重さになっているか、いっぽうが軽ければ、他のいっぽうも軽くするか、いっぽうが重ければ、他のいっぽうも重くするか、絶対に同じでなければならぬという鉄則を知ってもらいたい」

新人女優の無礼な態度に閉口しつつ、次のような言葉を記していますが、今のテレビや映画の状況にもそのまま当てはまるようで、つい笑ってしまいます。

「日本のテレビ局の、芸術院会員も、モデル上がりのタレントも、芸道何十年のベテランも、駆け出しも、歌手上がりも、剣劇の人も、軽演劇の人も、一堂に寄せ集めるだけで、集めた人を別に紹介するわけでもなく、席の順序はお早い者勝ちで、いきなり読み合わせにはいってしまうというような現状に、問題があるのだと思います」

離婚後、再婚はしなかった浪花千栄子ですが、恋愛についてはさすが辛口です。

「愛のことばは、どんなに甘くささやき合わされようとそれは御自由ですが、恋人が、または御主人が「信じてくれ」と言い出したら、信号は黄色になったものと思ってください」

6.浪花千栄子の交友録から

有名人との交友録を綴ったパートで、好きなエピソードを3つご紹介します。

●花菱アチャコ

料理旅館「竹生(ちくぶ)」の命名を、花菱アチャコに初めて告げたときに言われたのが、「これ、あんた、チクショウと読みまんのか」。

そう言われて、一時は真剣に改名を考えたようですが、渋谷天外に対する憎しみを知っていて、花菱アチャコが漫才師らしく、わざと茶化したようにも思えます。

「天衣無縫のアチャコさんのお人柄、意に介することでもないと今日まできてしまいました」

●京マチ子

浪花千栄子の映画復帰作となった『滝の白糸』で初共演して以来、親しくつきあうようになったのが京マチ子でした。

撮影中、旅館で身の上話をした際、京マチ子から一日も早く過去を忘れ、芸の道で成功することが大事だと励まされ、再起する勇気をもらったと語っています。

「京マチ子さんは、すぐれた女優である前に、私にとって生命の大恩人でございます」

●杉村春子

ドラマで姉妹を演じることになった杉村春子。独学で読み書きを勉強した浪花千栄子は、読み合わせがスムーズに進まず、人を介して謝罪します。すると、実際に苦情を言っていた杉村春子は、その事情を知って恐縮し、逆に謝罪を入れてきたというエピソードが綴られています。

「お親しくなるにしたがって、そして、はじめにそういうことがあったのがむしろ幸いして、おなかを打ち割ってお話のできる唯一のかたとして、ますます尊敬の念をたかめました」

おすすめしたい、浪花千栄子の自伝『水のように』

浪花千栄子の生涯を記した著作は何冊かありますが、中にはかなり創作と妄想を交えたものもありますので注意が必要です。

実際、ただの創作にすぎなかったものが、いつの間にか実話として出回っているエピソードもあるように見受けられます。

その意味でも、やはり自伝『水のように』は特別です。

上記に述べたとおり、売れっ子女優がその最盛期に書いた自叙伝ということで、多少「盛った部分」があるかもしれませんが、仮にそうだとしても、ぜひ一度手に取って読んでみることをおすすめします。

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