『レナードの朝』どこが実話?映画のその後と現在、考察と名言

レナードの朝 映画

ペニー・マーシャル監督、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ共演で映画化された、1990年公開の名作『レナードの朝』。

実在の医師・オリヴァー・サックスの著作が原作となっており、実際、ロビン・ウィリアムズが演じたセイヤー医師のモデルとなっているのがサックス自身です。

本記事では、作品のあらすじやキャストなど概要、映画とは違う実話と彼らのその後などの紹介に続き、個人的な感想と考察を交えてレビューしたいと思います。

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1.『レナードの朝』のあらすじとキャスト

■あらすじ

1969年、ニューヨークのブロンクスにある神経病専門の病院に赴任してきた、内気で人見知りの医師マルコム・セイヤー。嗜眠性脳炎によって意識障害を起こし、また四肢の極度の硬直から、ほとんど眠っているかのような状態に陥った患者たちの治療に献身的に取り組みます。

そんな中、出会った患者の一人が、30年もの間、その状態が続いている男性レナード。セイヤー医師は、未認可だったパーキンソン病の実験新薬レボドパ(L-DOPA)の投与を決断します。その結果、ある朝、劇的な効果をもたらし、30年ぶりの眠りから目覚めるのでした。

しかし、そうやって目覚めた患者たちは、奇跡を喜びつつも数十年の記憶の空白に直面します。レナードも見舞いにやってきた女性ポーラと出会い、生まれて初めて恋というものを知るのですが、やがて薬の効果は一時的に終わり、厳しい現実がやってきます。

■キャスト

・レナード・ロウ/ロバート・デ・ニーロ
・マルコム・セイヤー医師/ロビン・ウィリアムズ
・エレノア・コステロ看護師/ジュリー・カヴナー
・ポーラ/ペネロープ・アン・ミラー
・レナードの母/ルース・ネルソン
・カウフマン医師(セイヤーの上司)/ジョン・ハード

ちなみに、病院の用務員役で出演しているのは、当時まだ無名のヴィン・ディーゼル。 ノンクレジットですが、本作が俳優デビュー作です。



2.実話を綴ったオリヴァー・サックス医師の著作が原作

原作は、神経科のオリヴァー・サックス医師が1973年に発表した医療ノンフィクション『レナードの朝(原題:Awakenings)』です。また翌年には、イギリスで著作とほぼ同じ内容のドキュメンタリー番組も製作されています。

『レナードの朝』とは、映画の邦題につけられた日本独自のものであり、原題は、映画・原作・ドキュメンタリーともすべて『Awakenings』(目覚め)です。

オリヴァー・サックスは、1933年7月9日、イギリスのロンドン生まれ。ユダヤ系の両親、二人の兄とも医師の一家に育ち、自身もオックスフォード大学で医学を学びました。ちなみに、もう一人兄がいますが、若い頃から統合失調症を患っており、サックスの人生に大きな影響を与えています。

ロンドンの病院で働いたあと、カナダ遊学を経て、1960年に渡米。サンフランシスコとロサンゼルスの病院でインターンとして経験を積みました。1966年から神経科医として派遣されたのが、ニューヨークのブロンクスにあるベス・アブラハム病院です。そこで、嗜眠性脳炎の患者たちにレボドパを投与した経過と結果を詳細に記録したのが同著作でした。

1990年には、新たにその後を追記した形で新版が発行されており、日本語翻訳版も入手可能です。

3.映画はどこまで実話か

既述のとおり、セイヤー医師のモデルがサックス医師であり、ベス・アブラハム病院における実体験が、そのまま映画の大筋と一致しています。

レナード・ロウも、著作の中で紹介される20人の患者うちの一人として登場する実在の人物です。レボドパが投与された最初の患者であり、サックス医師は、次のようにレナードを形容しています。

「初めて会ったとき、私は彼が輝かしい知性と教養の持ち主であると感じ、会う回数を重ねるたびにその印象は裏付けられていった」

オリヴァー・サックス著『レナードの朝』、春日井晶子訳、早川書房

映画でも描かれた、レナードが好んで引用するリルケの詩「豹」、母親との病気ゆえの密な関係などは、すべて事実に即したものです。

ただし、サックス医師はプライバシー保護の観点から、著作の中の病院名・患者名すべてを仮名にしており、「レナード」も本名ではありません。

しかし、同年製作のドキュメンタリー番組では実名で登場しており、母親とともにインタビューに答えている「エド」という名の54歳の男性が、実はレナードです。ロバート・デ・ニーロが扮したレナードにとてもよく似ています。

1974年製作のドキュメンタリーは、YouTubeで視聴可能です(2022年3月現在)。オフィシャルにアップされているものではないため、ここでの引用は控えますが、興味ある方は「Awakenings documentary」で検索してみてください。

レナードがポーラと出会って恋をする展開、またセイヤー医師と看護師のエレノアが心を通わせる展開などは、すべて実話ではなく創作です。

実際、レナードは目覚めたあと、性欲の面で極度に攻撃的になり、看護師たちとの関係を悪化させるなど、恋愛どころではなかった様子が記されています。映画では、自由を求めるための反抗として描かれていました。

また、サックス医師自身は、ゲイでした。

4.オリヴァー・サックス医師、映画のその後と現在

オリヴァー・サックス医師は、その後、1966年から在籍しているアルバート・アインシュタイン医科大学神経科に籍を置いたまま、巡回医師のような形で様々な病院や施設を回っていました。ベス・アブラハム病院を辞めたあともしばらく定期的に通い、担当した患者のことを診ていたようです。

さらに1992年からはニューヨーク大学医学部の非常勤教授も兼任。2007年から2012年までコロンビア大学メディカルセンターの教授、2012年からは再びニューヨーク大学に戻って医学部教授を務めていました。

ニューヨークを拠点に医師あるいは教壇に立つ活動をしつつ、執筆にも精力的に取り組み、多くの著作を発表。1985年の『妻を帽子とまちがえた男』、1995年の『火星の人類学者』など、複数のベストセラーをうんでいます。

2015年には初の自伝である『道程 オリヴァー・サックス自伝』を発表。中で、家族のこと、若い頃の薬物中毒のこと、ゲイとしてのセクシュアリティのことなどを、赤裸々に語っています。

2015年8月30日、末期ガンによりニューヨーク・ブロンクスのシティ島にある自宅で、親しい友人に看取られながら82歳で死去しました。

■サックスの晩年の恋人ビル・ヘイズ

自伝の中には、ゲイとしての恋愛についての告白もありますが、2008年、75歳のときに出会ったのが30歳近く歳の離れた作家のビル・ヘイズです。

二人は、サックスが亡くなる最期まで添い遂げました。ヘイズは2017年にサックスとの関係を綴った著作『Insomniac City』を発表しています。

5.レナード・ロウのその後

レナード・ロウ(本名:エド)に対しては、その後も薬の投与と中止が断続的に行われましたが、最初の時のような目覚ましい結果を得ることはできませんでした。それでも、1977年ごろまでは、全般的に健康な外見を保っていたようですが、その後は次第に体力が衰え、体重も減り、やせ細った老人のようになっていったことが記されています。

1981年初め、レナードの命が重篤な状態になった際、サックス医師は再びレボドパの投与を決断。その結果、12年ぶりに驚くべき効果が出て覚醒しましたが、そのとき、レナードは「もうやめてほしい」と訴えたといいます。

その意思を尊重して投与は中止され、同年ほどなく「穏やかで無感覚」な死がレナードに訪れたことが記されています。

新版『レナードの朝』には、レナードの死に際し、サックス医師とレナードの母親との間で交わされた手紙が、そのまま引用されています。ちなみに、レナードには実弟がいたようです。

映画で描かれたのは1969年。それから12年前後生きていたことになりますが、映画の撮影の時点ではすでに故人でした。



6.オリヴァー・サックスが語るロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ

『道程 オリヴァー・サックス自伝』や新版『レナードの朝』には、映画化にあたっての裏話や二人の俳優の秘話も紹介されています。

役柄に完全になりきることで知られるロバート・デ・ニーロは、当時まだ生存していたロンドンの病院にいる患者たちに直接会いに行き、何時間もかけて話をしたようです。

「私は彼の観察力と共感力に感動し、患者自身も、それまでほとんど経験したことのないほど強く、他人が自分に関心を抱くのに心を動かされたと思う」

オリヴァー・サックス著『道程 オリヴァー・サックス自伝』、大田直子訳、早川書房

また、ロビン・ウィリアムズは、サックス自身が実際に働き、患者とやりとりしている医療現場に立ちあうことを希望。患者たちが叫び、異様に騒ぎ立てる様子を見学した後、帰りの車内で、その姿を信じられないほどの正確さで再現してみせ、サックスを驚かせた、というエピソードも紹介されています。

「最初の二、三回の打合せのあと、ロビンは私の癖、私の姿勢、私の歩き方、私の話し方、それまで私が意識したことのないいろいろなことを、そっくりまねるようになった。(中略)彼は私をまねているのではなく、ある意味で、私になっていたのだ」

オリヴァー・サックス著『道程 オリヴァー・サックス自伝』、大田直子訳、早川書房

自伝には多くのカラー写真も掲載されています。オリヴァー・サックスとロビン・ウィリアムズという、今は亡き二人の仲睦まじいツーショット写真には、心が締め付けられます。

7.すでに主要キャストの何人かが故人

セイヤー医師を演じたロビン・ウィリアムズは、2014年8月11日、63歳で自ら死を選びました。パーキンソン病を患っていたことがきっかけの一つとも言われており、レボドパの投与を受けていたという説もあります。オリヴァー・サックスが、2015年8月30日に死去するちょうど一年前のことでした。

劇中、ピアノで美しい旋律を奏でる患者ローランドを演じたのは、有名ジャズ・サックス奏者のデクスター・ゴードン。1986年の映画『ラウンド・ミッドナイト』でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、俳優としても高い評価を得ていましたが、本作の公開の半年ほど前に67歳で死去しています。

また、レナードの母を演じたルース・ネルソン、またアリス・ドラモンド、ジュディス・マリナ、ジョージ・マーティンら患者を演じた多くがすでに故人。

『フォーエバー・フレンズ』や『ホーム・アローン』などで名バイプレーヤーとして活躍していたカウフマン医師役のジョン・ハードも2017年に急逝、監督を務めたペニー・マーシャルも2018年に死去しています。

8.撮影ロケ地と現在

撮影は、ほとんどがニューヨークのブロンクスやブルックリンで行われました。主要な舞台となる病院のシーンが撮影されたのは、ブルックリンにある「キングスボロ・サイキアトリック・センター」。

撮影後、一部改築・再開発などあった模様で、外観などに使用された建物自体はどうやら現存していない模様ですが、病院の表玄関回りは、上記Google Mapで示した、クラークソン通りに面したこの辺りかと推測されます。

レナードから別れを切り出されたポーラが、寂しそうに病院を出て、前の通りからバスに乗って去っていく悲しいシーンが撮影された場所です。

ロケ地や撮影裏話については、下記の記事で詳しく紹介しています。

9.映画『レナードの朝』の感想・考察レビューと名言

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レナードの朝

原題”AWAKENINGS”(目覚め)は、本作のテーマを端的に表現している。

ロビン・ウィリアムズ演じるセイヤー医師の献身的な努力により、30年間昏睡状態に等しかった患者たちが一時的な目覚めを体験するという、実話の映画化である。

しかし、30年もの空白が患者にもたらす過酷な現実に、目覚めが、本当に患者にとってよかったことなのかと医師は苦しむ。

ロバート・デ・ニーロ演じる患者の一人、レナード。目覚めと同時に、いつの間にか中年になっていた自分に戸惑う。ポーラという女性に生まれて初めて恋心を抱きながらも、病気の再発の予兆に苦しむ。

病院の白いカフェテリアで、別れを切り出したレナードの硬直する手をとり、無言で優しくダンスを始めるポーラ。

哀しく流れるピアノの調べ”Dexter’s Tune”。映画史に残る、最も美しいダンスシーンの一つだ。

この後、レナードが、隔離された病院の鉄格子の窓から去っていくポーラを見送る姿は、涙なくして観ることができない。

やがて、セイヤー医師の懸命な努力の甲斐なく、患者たちは再び以前の状態に戻っていく。

元気だったころのレナードの8ミリフィルムを見ながら、セイヤーが看護師のエレノアにつぶやく。

「彼は僕のことを優しい男だと言ってくれた。でも、命を与えて、再びそれを奪ってしまうことが優しさだといえるだろうか」

それに対する、エレノアの言葉が胸を打つ。

「命というものは、私たちすべての人間に与えられ、やがて奪われるものじゃないですか?」

苦悩するセイヤーを傍で温かく見守るエレノアを演じたジュリー・カヴナーがとてもいい。

この映画には三つの目覚めがある。

患者の覚醒、内向的だったセイヤー医師の目覚め、そして、映画を観た人の心の中に生まれる目覚めである。



10.映画『レナードの朝』が好きな方におすすめ

2020年には、オリヴァー・サックスの人生と生きざまに迫ったドキュメンタリー映画『オリヴァー・サックス:彼自身の人生』が公開されましたが、日本では一部限定公開に終わり、残念ながら現在はなかなか視聴することは難しいかもしれません。

やはり、あらためて、下記の2冊を手に取ってみることをおすすめします。

本記事で紹介した実話や裏話はごく一部です。この2冊には、他にも多くのエピソードが紹介されており、本映画ファンにとって、きわめて興味深い内容となっています

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