オリヴァー・サックス医師による医療ノンフィクションを原作に、実話を映画化した1990年公開の感動作『レナードの朝』。
サックス医師をモデルにしたセイヤー医師をロビン・ウィリアムズ、患者のレナードをロバート・デ・ニーロが演じました。
本記事では、撮影場所となったロケ地を8か所の現在と、撮影にまつわる秘話・裏話などトリビアを6つご紹介したいと思います。
実話に基づいた映画『レナードの朝』
物語の舞台は、1969年、ニューヨークのブロンクスにある神経病専門の病院。
俗に「眠り病」とも言われた、嗜眠性脳炎により何十年も意識障害と肉体の硬直に陥った患者たちの治療に献身的に取り組み、新薬によって一時的な奇跡を起こしたマルコム・セイヤー医師と、30年の眠りから覚醒する患者の一人レナード・ロウの、交流と友情を描いた実話の映画化です。
『ビッグ』や『プリティ・リーグ』で知られるペニー・マーシャルがメガホンをとり、アカデミー賞において作品賞、主演男優賞、脚色賞の3部門でノミネートされました。惜しくも受賞には至らなかったものの、ロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズを始めとする俳優陣の素晴らしい演技もあって、感動の名作として今なお多くの人に愛されています。
作品のあらすじやキャスト、原作、さらに映画とは違う事実、レナードやセイヤー医師の映画のその後などについては、以下の記事に詳しくまとめてあります。
ここでは、撮影場所となったロケ地と、上記記事では触れなかった撮影にまつわるトリビアをいくつか紹介したいと思います。
『レナードの朝』の撮影ロケ地8か所とその現在
撮影は、ほとんどがニューヨークのブロンクスやブルックリンを中心に行われました。1989年10月16日にクラインクインし、1990年2月16日にクランクアップしています。
①幼いレナードが遊ぶ川沿い→マンハッタン・ブリッジのブルックリン側
少年時代のレナードが友達と遊ぶシーンとして、映画の冒頭に登場する場所は、マンハッタン・ブリッジのブルックリン側です。
そこに置いてある木のベンチに自分の名前を刻むという印象的なシーンがありますが、後に目覚めた大人のレナードがセイヤー医師とともに再訪して、これを発見します。
現在の川沿いの散策路は、美しく整備されてはいますが、撮影当時の面影はそのまま残っています。
②レナードが通った小学校→ヘンリー・ブリストー・スクール
レナードが通う小学校のロケ地として使用されたのは、ブルックリンにある公立ヘンリー・ブリストー・スクールです。
映画の冒頭で、教師がレナードの異変に気づく非常に重要なシーンです。
現在は、幼稚園となっている模様です。
P.S. 039 Henry Bristow School
417 6 Avenue, Brooklyn, NY
③舞台となる病院→キングスボロ・サイキアトリック・センター
セイヤー医師が赴任し、患者のレナードと出会う、物語の舞台の中心となる病院は、ブルックリンにあるキングスボロ・サイキアトリック・センターで撮影されました。
撮影後に再開発などがあり、外観などに使用された建物自体は現存していませんが、弧を描く歩道、大通りに面した入口の様子は、当時の面影をかすかに残しています。
遠くに見える建物などから、病院に入る表玄関は、クラークソン通りに面したこの場所だと推測されます。レナードと別れたポーラが、カフェテリアでダンスした後、寂しそうにバスに乗って去っていく場所です。
Kingsboro Psychiatric Center
681 Clarkson Ave, Brooklyn, NY
④セイヤー医師の自宅→ブロンクスのシティ島
正確な家屋までは特定できませんが、セイヤー医師の自宅は、ブロンクスのシティ島にある一軒家で撮影されました。
シティ島は、全長2.4キロほどの小さな島。ヨットや漁船のための小さなハーバーやシーフードレストランなどが多くあり、ローカルで落ち着いた雰囲気の場所です。
オリヴァー・サックス医師も海に近いこの島が気に入り、家を購入した場所であり、ロケ地となった家は、サックス医師の自宅のすぐ近くだったそうです。
サックス医師は、2015年8月30日、シティ島にあるこの自宅で亡くなりました。
⑤レナードの実家→ブルックリンのパーク・スロープ地区
子どもの頃のレナードが母と暮らしていた自宅は、ブルックリンのパーク・スロープ地区で撮影されました。
パーク・スロープは、並木通りと「ブラウンストーン」の住宅が立ち並ぶ、ローカルで落ち着いた雰囲気が特徴の地区です。
やや商業化が進んだ現在は、メインの大通りにおしゃれなカフェやブティック、レストランやバーが並んでいますが、一本入ると、昔のままの歴史ある雰囲気が残っています。
⑥セイヤー医師がランチを食べる温室→ニューヨーク植物園
少々内気で、堅物のセイヤー医師が、リラックスするために訪れる自然豊かな場所は、ブロンクスにあるニューヨーク植物園です。また、目覚めた患者たちを連れていって、退屈させてしまうのもこの場所でした。
ニューヨーク植物園は、ブロンクス公園の敷地内にある植物園で、総面積は250エーカーを誇ります。世界屈指の植物学研究所を併設しているほか、展示会やフェスティバルがたびたび開催されて多くの人が訪れる人気のスポットです。
実際、オリヴァー・サックス医師のお気に入りで頻繁に訪ねていた場所でした。
New York Botanical Garden
2900 Southern Blvd., Bronx, NY
⑦目覚めた患者たちがダンスを楽しむ場所→ウェブスター・ホール
薬によって目覚めた患者たちが、病院を飛び出し、ダンスを楽しむホールのロケ地となったのは、マンハッタンにあるウェブスター・ホールです。
撮影当時は、スペイン系移民のための「カーサ・ガリシア協会」所有のホールでしたが、現在はナイトクラブ兼ライブハウスとして営業を続けています。
Webster Hall
125 E 11th St, New York, NY
⑧レナードが川に入って喜びを表現する場所→エッジウォーター・パーク
目覚めたレナードとセイヤー医師は、病院を出て外の世界を満喫します。そんな中、レナードが水の中に入って岩の上に立ち、生の喜びを表現するという印象的なシーンが撮影されたのは、ブロンクスにあるエッジウォーター・パークです。
まるで水面に立っているように見える、レナードが立つ岩は「キリー・ロック」と呼ばれています。
映画『レナードの朝』の撮影裏話・トリビア6選
①レナードの母親役のキャスティング
To prepare for the underwater scenes in THE POSEIDON ADVENTURE (’72), Star of the Month Shelley Winters trained with an Olympic swim coach so that her character’s movements would come across more realistically. pic.twitter.com/tr75XRCuQ3
— TCM (@tcm) November 30, 2020
ロバート・デ・ニーロは、当初、レナードの母親役として、大女優のシェリー・ウィンタースを熱望していました。そのため、キャスティング・ディレクターが、ウィンタースに会ったときのエピソードが有名です。
セリフの一部を読んでくれないかとリクエストしたところ、ウィンタースは大女優の貫禄で無言のまま、机の上にかつて自分が獲得したオスカー像2つを置くだけで、セリフ読みを拒否。その場で、決定となりましたが、結局、ペニー・マーシャル監督との折り合いが悪く、降板しました。
その代わりに選ばれたのが、それまで小さな役が多くそれほど有名でもなかったルース・ネルソン。しかし予想を裏切り、その演技は絶賛されます。1992年に死去し、本作が遺作となりました。
②撮影中に起こったアクシデント
セイヤー医師とセキュリティーが、外に出ようと暴れるレナードを抑えつけるシーンで、アクシデントが発生します。
ロビン・ウィリアムズが間違って、ロバート・デ・ニーロの顔面を肘打ちしてしまい、鼻が折れてしまったのです。
のちのインタビューで、デ・ニーロは、以前から鼻は折れて曲がっており、このアクシデントで手術したことにより、まっすぐに戻ったから不幸中の幸いだったと告白しています。
③実際の患者がカメオ出演
オリヴァー・サックス医師が実際に診ていた患者は、映画撮影時には、ほとんど全員が故人でした。唯一の生き残りだった女性患者が一人おり、役者たちに指導したばかりか、映画の中に、患者の一人としてカメオ出演しています。
その女性患者リリアン・タイは、原作の翌年に製作されたイギリスのドキュメンタリー映画にも、中心的存在として登場しています。
④二人の名優の役作り
撮影が始まる前から、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズは、サックス医師や実際の患者たちとともに多くの時間を過ごし、役作りを行っていました。
サックス医師は、2015年に発表した自伝の中に、二人の驚くべき才能と真摯さについて称賛の言葉を残しています。
⑤レナード役の最初の候補者は?
ペニー・マーシャル監督は、当初、レナード役としてビル・マーレイを第一候補に考えており、本人もやる気をみせていました。しかし、ビル・マーレイのコメディアンとしてのイメージが強すぎることを懸念し、断念するに至ったようです。
また監督についても、ペニー・マーシャルに決定する前は、スティーヴン・スピルバーグがメガホンをとる予定でした。
⑥初期の頃の映画化の企画が頓挫したわけ
それよりも先に、一度映画化の企画が持ち上がったことがありました。監督候補だったのは『モスキート・コースト』や『いまを生きる』で知られるピーター・ウィアー。
しかし、サックスのもとに届いた脚本では、主人公の医師と患者の一人が恋に落ちるという展開になっていたため、はっきりそれにNOを突きつけたことで、企画自体が頓挫したようです。
私生活ではゲイだったサックスにとっては受け入れがたい創作だったのかもしれません。そのあたりを配慮したのか、映画『レナードの朝』では、看護師エレノアとの関係は、プラトニックなもので終わっています。
映画『レナードの朝』の原作もぜひ!
映画の原作は1973年に発表されましたが、1990年に「新版」を発表。患者のその後や映画化の裏話などが新たに書き下ろしで追記され、ファンには必読の内容となっています。
また、既述のとおり、2015年にはサックス医師の初の自伝も発表され、本映画のことにも多くのページが割かれています。
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