数々の「マカロニ・ウエスタン」の名作で知られるイタリアの巨匠セルジオ・レオーネが、長い年月をかけ、1984年に公開した米伊合作の大作映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』。
1989年に他界したレオーネの遺作であり、今や映画史に残る傑作に位置づけられています。
本記事では、原作やキャスト、ロケ地、撮影秘話など、本作にまつわる知られざる15の裏話・トリビアについて、くわしくご紹介したいと思います。
- 名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』について
- 知られざる裏話・トリビア15選【原作/キャスト/ロケ地/音楽など】
- 1.原作と実在のモデル
- 2.セルジオ・レオーネと原作者ハリー・グレイの関係
- 3.映画『ゴッドファーザー』との関係
- 4.原作以外にセルジオ・レオーネが参考にした小説とは?
- 5.音楽を手掛けたエンニオ・モリコーネと撮影秘話
- 6.名曲「デボラのテーマ」の知られざる真実
- 7.キャストの候補となった俳優たち
- 8.本作が遺作となった俳優、その他の故人
- 9.ジェニファー・コネリーのヌードシーン
- 10.プロデューサーのアーノン・ミルチャンがカメオ主演した理由
- 11.映画のロケ地・撮影場所はどこ?
- 12.脚本の第一稿に携わった作家は?
- 13.映画の長さと編集にまつわる裏話
- 14.「エクステンデッド版」の追加シーンは?「完全版」との違い
- 15.作品の評価がアメリカで一変した理由
- 何度観返しても新しい発見がある映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』について
1920年代から30年代にかけてのニューヨーク・ブルックインのユダヤ人街を主な舞台に、少年たちの友情と愛、やがてギャングとなって犯罪に手を染めたことで迎える悲劇とある隠された秘密を、それから35年が過ぎた今を交差させながら描きます。
巨匠セルジオ・レオーネの遺作にして、代表作の一つであり、主人公を演じたロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズらの名演も光る傑作です。
映画のネタバレあらすじ、主要登場人物の紹介にくわえ、複雑な時間構成と謎めいた伏線についての解説は以下の別の記事をご覧ください。
知られざる裏話・トリビア15選【原作/キャスト/ロケ地/音楽など】
1.原作と実在のモデル
https://t.co/98j3jhnJqy
— BooksAddiction.com (@BAddictionReal) June 16, 2017
THE HOODS by Harry Grey#books #vintage #mafia #writing #goodmorning #news #Bestseller #literature #OnceUponATime pic.twitter.com/M6aVJ2OKJr
日本ではあまり知られていませんが、本映画には原作があります。ロシア・ユダヤ系アメリカ人のハリー・グレイが1952年に発表した半自伝的小説「The Hoods」(日本語翻訳版なし)。つまり、主人公ヌードルスのモデルは、原作者のハリー・グレイ自身なのです。
グレイの本名はハーシェル・ゴールドバーグ。1901年、現在のキーウに生まれ、幼い頃一家でアメリカに移住しました。「The Hoods」はニューヨークのローワー・イースト・サイドを拠点にしていたギャング時代のことを綴った処女小説であり、シンシン刑務所に服役中に執筆したと言われています。
1955年に発表した2作目の著作「Call Me Duke」にもヌードルスが登場し、その死が描写されています。
ハリー・グレイは、さらにもう1作小説を発表し、本作の撮影が始まる前の1980年10月1日、78歳で死去しました。
2.セルジオ・レオーネと原作者ハリー・グレイの関係
1960年代のあるとき、セルジオ・レオーネは、映画プロデューサーをしていた義弟から「The Hoods」のイタリア語翻訳版をすすめられ、読了後すぐにその虜となりました。
レオーネは、原作者のハリー・グレイと数度会い、映画化の準備をすすめます。ちなみに、劇中に登場するモーの経営するバーは、グレイから面会場所に指定された、ニューヨークのキャルヴァリー墓地近くに実在した店がモデルとなりました。そこで働いていたバーテンダーもモーそっくりの人物だったようです。
レオーネによると、グレイの外見は、俳優のエドワード・G・ロビンソンにそっくりだったとか…。1982年6月、映画のクランクインにあたり、レオーネは再度グレイに連絡を入れましたが、そのときはじめて、グレイの妻から彼の死を知らされたと言います。
3.映画『ゴッドファーザー』との関係
セルジオ・レオーネは、1972年公開の映画『ゴッドファーザー』のメガホンをとらないかというオファーを、スケジュールの都合で断っており、後に深く後悔していました。
その後、言うまでもなくフランシス・フォード・コッポラ監督が見事な映画化に成功。そのことが、ギャング映画を作りたいという強い動機の一つになっていたようです。
1974年公開の続編『ゴッドファーザー PART2』の中で採用された回想形式に感銘を受け、本作にもその構成を取り入れたとも言われています。
4.原作以外にセルジオ・レオーネが参考にした小説とは?
原作の「The Hoods」とは別に、セルジオ・レオーネは物語の着想を得た小説として、以下の2作品を挙げています。
●ジャック・ロンドン著「マーティン・イーデン」
●F・スコット・フィッツジェラルド著「グレート・ギャッツビー」
前者は、労働者階級の若者が、裕福な中産階級の女性と出会ったことをきっかけに、文学に目覚める物語。二度の映画化もされた後者は、かつての恋人を取り戻すため、富豪の男へと成り上がった男の悲劇を描いた物語です。
とりわけ後者は、どこかマックスの人生を彷彿とさせます。
ちなみに「マーティン・イーデン」の方は実際、劇中にさりげなく登場します。
5.音楽を手掛けたエンニオ・モリコーネと撮影秘話
音楽を担当したのは、セルジオ・レオーネの名コンビにして、他にも『ミッション』や『ニュー・シネマ・パラダイス』などで知られる映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネです。2人は、同じ小学校の同級生でした。
映画は準備から撮影に入るまで非常に長い年月を要したため、実際に撮影がはじまったときには、すでに音楽の大半は完成していました。レオーネは、出来上がった音楽をスピーカーで流しながら、一部の撮影を進めました。
2023年に日本公開されたドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』の中には、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のそんな貴重な撮影シーン(老いたヌードルスが富豪の邸宅に招かれるシーン)が挿入されており、必見です。
6.名曲「デボラのテーマ」の知られざる真実
名曲揃いの中でも屈指の美しい曲「デボラのテーマ」は、実はエンニオ・モリコーネが、フランコ・ゼフィレッリ監督の映画『エンドレス・ラブ』のために作ったものでした。
しかし、モリコーネは、映画のあるシーンで他の作曲家(おそらくライオネル・リッチー)による曲が使用されることを知って降板。代わりに、「デボラのテーマ」として本作に提案したのです。
レオーネは当初、映画『ウエスタン』のメインテーマと似ているという理由で、あまり乗り気ではなかったようですが、今や不朽の名曲として知られています。
7.キャストの候補となった俳優たち
1975年10月の時点で、セルジオ・レオーネは、若きヌードルス役でジェラール・ドパルデュー、若きマックス役でリチャード・ドレイファス、老いたヌードルス役でジェームズ・ギャクニー、老いたマックス役でジャン・ギャバンの名を発表していました。
ところが、4人のキャスティングはそれぞれの事情から実現することなく、その後は多くの俳優との交渉やオーディションが繰り広げられることになります。
1980年には、若きヌードルスをトム・ベレンジャー、老いたヌードルスをポール・ニューマンが演じるとの情報が流れましたが実現せず、その後、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソンらの名前もあがりました。同様にマックス役も、ダスティン・ホフマン、ウィリアム・ハート、ジョン・ボイト、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ベルーシらが候補となったようです。
デボラ役は、ブルック・シールズが有力候補でしたが、ギャラ交渉がまとまらず、こちらも実現しませんでした。ジョディ・フォスターやダリル・ハンナらも候補となりました。
キャロル役として、レオーネはシルヴィア・クリステルを希望していましたが、プロデューサーがハリウッドのスター女優にすべきだと主張し、断念に至りました。
8.本作が遺作となった俳優、その他の故人
本作は、セルジオ・レオーネ監督の遺作であることは広く知られていますが、実はギャング仲間のパッツィ(大人時代)を演じたジェームズ・ヘイデンの遺作でもあります。(写真の右から2人目)
映画公開前の1983年11月8日、麻薬の過剰摂取によって急死。享年29歳でした。
また、2023年8月現在、主要キャストの中には他にも故人がいます。警官役だったダニー・アイエロは2019年12月12日に、トリート・ウィリアムズは2023年6月12日に71歳で事故死しました。
9.ジェニファー・コネリーのヌードシーン
少年時代のヌードルスが、デボラを覗き見るシーンがありますが、そのときに見せる裸体はジェニファー・コネリーのものではありません。
というのも、本作が映画デビューだったジェニファー・コネリーは当時まだ12歳足らず。そのためボディ・ダブルが用意されたのです。
実は、ジェニファー・コネリー自身のヌードシーンも撮影はされた、との噂もあります。
10.プロデューサーのアーノン・ミルチャンがカメオ主演した理由
本作のプロデューサーを務めていたアーノン・ミルチャンは当時、デボラ役のエリザベス・マクガヴァンとプライベートで恋人関係にありました。
ヌードルスがリムジンの後部座席でデボラを無理やりレイプするシーンを撮影する際、それを知るロバート・デ・ニーロから車の運転手役で出演したらどうかと提案されたのです。レオーネも乗り気になってカメオ出演が実現。
演技とはいえ、デ・ニーロが迫真の演技で自身の恋人を凌辱するテイクが13回も撮影され、心情的には実に複雑だったそうです。
運転手とヌードルスの会話は編集でカット。また運転手は、暴行を見ていられず、ヌードルスを車から追い出して、デボラに声をかけますが、その声も甲高いということでレオーネは気に入らず、別の俳優の声に差し替えられているそうです。
11.映画のロケ地・撮影場所はどこ?
撮影は、1982年6月から翌年4月まで、約1年弱かけて行われました。
室内のシーンは、ほとんどがローマにあるチネチッタ撮影所で行われましたが、アメリカはもちろん、カナダ、イタリア、フランスでもロケが敢行されています。
現在も実在する、とくに印象的な場所6か所を紹介します。
①ブルックリンのウィリアムズバーグ周辺
ちなみに、映画のキービジュアルに使用された場所は、マンハッタン橋を望むワシントン・ストリートです。今も多くの本作のファンが訪れる聖地となっています。
また、ヌードルスとマックスが初めて出会う場所は、ウィリアムズバーグ橋近くのブルックリン側、South 8th Streetで撮影されました。現在もユダヤ人街として知られています。
②ニューヨーク市ブロンクス「ウッドローン墓地」
老いたヌードルスが訪れる仲間3人の墓は、ブロンクスにある「ウッドローン墓地」がロケ地です。撮影に使用された霊廟は実在し、実業家ジョン・ウォーン・ゲイツのものです。
③ニューヨーク「マクソリーズ・オールド・エール・ハウス」
5人の若いギャングが、酒を飲みながら会話するパブは、現在も営業を続けているマンハッタンにある「マクソリーズ・オールド・エール・ハウス」です。15 E. 7th Streetにあり、創業1854年の由緒ある老舗です。
④フロリダ「ドン・シーザー・ホテル」
ヌードルスとマックスがそれぞれ恋人を連れ、ビーチで日光浴をするリゾートホテルは、フロリダのセント・ピート・ビーチに建つ「ドン・シーザー・ホテル」で撮影されました。ここで、マックスはヌードルスに連邦準備銀行を襲う計画を告白します。
⑤イタリア・ベネツィア「ホテル・エクセルシオール」
ヌードルスとデボラが夕食のデートをする豪華な海辺のレストランは、イタリアのベネツィアにある名門ホテル「ホテル・エクセルシオール」で撮影されました。映画では、ニューヨークのロングアイランドにあるという設定です。
⑥フランス「パリ北駅」
30年代のニューヨーク・グランドセントラル駅として、撮影に使用されたのは、フランスのパリ市内にある「パリ北駅」です。ヌードルスと別れ、デボラが電車に乗って去っていくシーンなどが撮影されました。
12.脚本の第一稿に携わった作家は?
脚本の第一稿の執筆を託されたのは、アメリカの作家ノーマン・メイラーでした。ローマのホテルに3週間籠り、また原作のハリー・グレイとの話し合いを経て、第一稿を完成させましたが、セルジオ・レオーネの気に入るものではありませんでした。
次に声がかかったのが、やはりアメリカのユダヤ系推理小説家スチュアート・M・カミンスキー。手渡された200ページに渡る企画書をもとに、ユダヤ系らしさをいかした物語を練り上げたのです。
13.映画の長さと編集にまつわる裏話
撮影が終了したとき、時間にしてラフで10時間近い長さの素材がありました。
セルジオ・レオーネと編集のニーノ・バラーリは、それを6時間に編集し、3時間の作品を前編後編に分けて公開するつもりでした。ところが、プロデューサーはその案を却下。そこで、さらなる編集をして3時間49分(=229分)の長さで完成させたのです。これが「完全版」として知られています。
2014年のニューヨーク国際映画祭では、「完全版」にさらに22分のシーンをくわえた「エクステンデッド版」(251分)が公開されました。
14.「エクステンデッド版」の追加シーンは?「完全版」との違い
「エクステンデッド版」には、以下のシーンが新しく追加されています。
●ルイーズ・フレッチャーが墓地の管理人として登場
●上述した、ヌードルスとリムジン運転手の会話シーン
●マックスとジミーが密談するシーン
●デボラが舞台で「クレオパトラ」を演じるシーン
など
完成版からはカットされたことで、クレジットにも名前が残らなかった、『カッコーの巣の上で』など知られる名優ルイーズ・フレッチャーの登場する場面は、ファンの間で幻のシーンと言われていました。
15.作品の評価がアメリカで一変した理由
プレミア上演された1984年のカンヌ国際映画祭では、15分間スタンディングオベーションが続くなど絶賛されましたが、その後公開されたアメリカでは見事なまでに酷評されます。というのも、アメリカの配給会社ラッド・カンパニーが監督に無断で90分ものシーンをカットして公開したのです。
そのため、観客には意味不明な展開となり、その年のアカデミー賞からも完全に除外される結果となりました。
その後、オリジナルの長さの完全版がDVDやビデオで発売されたりすると、アメリカでも評価が一変し、傑作だと認められるに至ったのです。
何度観返しても新しい発見がある映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
以上、15の観点から映画の裏話やトリビアをご紹介しました。いくつご存じだったでしょうか?
これらの事実を踏まえ、もう一度、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を鑑賞してみてはいかがでしょうか?
さまざまな読み方のできる作品ですから、また新たな発見や気づきがあるかもしれません。