映画『異人たち』あらすじネタバレ/キャスト/『異人たちとの夏』の違い考察

異人たち 映画

山田太一の原作小説の度目の映画化作品として、2023年に公開されたアンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』。

言うまでもなく、一度目の映画化は、大林宣彦監督による1988年の『異人たちとの夏』です。

本記事では、非常に高い評価を得た『異人たち』のあらすじやキャストなどの紹介にくわえ、1988年版との違いや意味深な結末などについて考察したいと思います。ネタバレありです。

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山田太一原作の2度目の映画化『異人たち』

「小説新潮」1987年1月号で発表され、山本周五郎賞を受賞した山田太一の小説『異人たちとの夏(英題:Strangers)』を原作に、大林宣彦監督の1988年版に続く2度目の映像化となったイギリス製作映画が『異人たち(原題:All of Us Strangers)』です。

本作でメガホンをとったのは、『ウィークエンド』や『さざなみ』が絶賛されたイギリス人監督、アンドリュー・ヘイ

物語の大筋は原作に忠実ながら、ゲイを公言している監督らしく、主人公の設定をゲイに置き換え、また自身が幼少期を過ごした家で撮影するなど、非常にパーソナルな視点が新しく盛り込まれた作品です。

英国インディペンデント映画賞で作品賞含む7部門を制覇するなど、欧米の数々の映画祭で高い評価を得ています。

ロンドンにある、異様にひと気のない高層マンションで、一人孤独に暮らす脚本家のアダム

ある日、同じマンションの住民ながら面識のない男ハリーが、ウィスキーのボトルを手に一緒に酒を飲まないかと訪ねてきますが、アダムはやんわりと断り……。

一方、12歳のときに交通事故で死んだ両親の物語を執筆し始めたアダムは、思い出をたどるようにかつて家族が暮らした郊外の一軒家に足を運びます。すると、そこには30年前の姿のままの両親が元気に暮らし、息子であるアダムをなんの躊躇もなく迎え入れてくれるのでした。

不可解ながらも安らいだ気持ちでマンションに戻ったアダムは、エレベーターで再会したハリーを自ら部屋に誘い、関係を持ちます。

その後もアダムは、ハリーとの熱い逢瀬と、両親を訪ねてはひとときの時間を過ごすことを続けます。両親にはゲイであることを告白し、辛かった過去との邂逅を果たすのでした。

しかし、やがてアダムと両親は、もうこれ以上会わないことを決断。最後に3人で食事をしますが、両親は何も口にすることなく、アダムへの愛情を告げて消えていくのでした。

寂しさに打ちひしがれたアダムは、初めてハリーの部屋を訪ねます。しかし、室内には腐臭とともにハリーの遺体が……。ハリーは、初めて会ったあの日に自殺していたのです。

再び現れたハリーを自分の部屋のベッドに寝かせ、いとおしむように横に寄り添うアダムの姿で物語は幕を閉じます。

本作の監督・脚本を手掛けたアンドリュー・ヘイは、1973年3月7日、英国ノース・ヨークシャーのハロゲイト生まれ。

映画『グラディエーター』や『ブラックホーク・ダウン』などの編集助手を経て、2009年、初監督作『Greek Pete』(日本未公開)をロンドン・ゲイ・レズビアン映画祭で発表しました。

2人のゲイの束の間の関係を描き、2011年に公開された『ウィークエンド』は絶賛され、英国インディペンデント映画賞など欧米各国の多数の賞を受賞します。続く、2015年の『さざなみ』では、夫婦を演じたトム・コートネイとシャーロット・ランプリングがベルリン国際映画祭男優賞と女優賞をW受賞、作品も銀熊賞に輝くなど、世界的名声を確立しました。

本作が気に入った方には、映画『ウィークエンド』、またHBOで製作されたゲイドラマシリーズ『ルッキング』がおすすめです。

私生活でももちろんゲイであり、小説家のアンディ・モーウッドと同性婚し、2人の娘を育てています。

山田太一による原題『異人たちとの夏』の翻訳版のタイトルは『Strangers』。

「すでに死んでいる人」の意味合いで「異人」という言葉を使ったわけですが、それに対して選ばれた英ワード「Strangers」には「見知らぬ人」のほか「ずっと音沙汰の無い人」という意味もあります。

アンドリュー・ヘイ監督が採用した『All of Us Strangers』というタイトルの意味は直訳すると「われわれみな見知らぬ人」。そこに込められた意味については、下の考察の項目で解釈しています。

ちなみに、文豪アルベール・カミュ作の名作『異邦人』の英題は『The Stranger』。1967年の映画化作品のタイトルも同じであり、その作品との差別化の意味もあったかもしれません。



主要登場人物とキャスト4人

主人公のアダムを演じたアンドリュー・スコットは、1976年10月21日生まれ、アイルランドのダブリン出身。1992年にダブリンで初舞台を踏んだ後、1995年の映画『Korea』(日本未公開)で映画デビューしました。

その後は、舞台、映画、ドラマで様々な作品に出演してキャリアを重ねます。BBCの人気ドラマシリーズ『SHERLOCK』では主人公の適役を演じ、2012年のBAFTAテレビドラマシリーズ部門の最優秀助演男優賞をするなど、一躍注目される存在となりました。

その他、代表的なおすすめ出演作品には、2014年の映画『パレードへようこそ』、2015年の映画『007スペクター』、Amazon ドラマ『Fleabag フリーバッグ』、Netflixドラマ『リプリー』などがあります。

私生活でも、ゲイであることを公言しています。

アダムに接近する謎めいた隣人の男ハリーを演じたポール・メスカルは、1996年2月2日生まれ、 アイルランドのメイヌース出身。大学で演劇を学び、卒業後の2017年には、舞台『華麗なるギャツビー』でプロ俳優デビューを果たしました。

2020年のドラマデビュー作『ふつうの人々』でBAFTAテレビ部門主演男優賞受賞、2021年には、マギー・ギレンホールの初監督作『ロスト・ドーター』で映画デビュー、2022年の映画『aftersun/アフターサン』では米アカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、若くしてその演技力は非常に高い評価を得ています。最新作は、2024年秋公開予定の主演映画『グラディエーター2』です。

2020年から2022年にかけて、シンガーソングライターのフィービー・ブリジャーズと交際していました。

アダムの父を演じたジェイミー・ベルは、1986年3月14日 生まれ、英国ダラム出身。2000年の映画『リトル・ダンサー』で主人公の少年ビリー・エリオットを演じて映画デビューを果たすと、いきなりBAFTA主演男優賞など様々な賞に輝き、世界的な人気を獲得しました。

その後は、ビリー少年役の強烈なイメージに苦しみつつ、じっくりキャリアを重ねながら、次第に渋い中堅俳優として成長。主な出演映画には、2011年の『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』、2015年の『ファンタスティック・フォー』、2017年の『リヴァプール、最後の恋』などがあります。

私生活では、2012年に女優のエヴァン・レイチェル・ウッドと結婚し、一男をもうけますが2014年に離婚。その後、『ファンタスティック・フォー』で共演したケイト・マーラと交際し、2017年に結婚しました。2人は2019年に一女、2022年に一男をもうけています。

アダムの母を演じたクレア・フォイは、1984年4月16日 生まれ、英国ストックポート出身です。2008年にBBCドラマシリーズ『ビーイング・ヒューマン』で女優デビューし、2011年のアメリカ映画『デビルクエスト』で初映画出演を果たしました。

なんといってもクレア・フォイを世界的に有名にしたのが、Netflixを代表する大ヒットドラマシリーズ『ザ・クラウン』で演じた主人公エリザベス2世役。ゴールデングローブ賞やエミー賞、BAFTAなどの主演女優賞含む数々の賞の受賞・ノミネートを果たし、一躍世界的人気女優となりました。

その後も、2018年の『ファースト・マン』や『蜘蛛の巣を払う女』、2021年の『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』、2022年の『ウーマン・トーキング 私たちの選択』など話題作への抜擢が続いています。

私生活では、2014年に俳優のスティーヴン・キャンベル・ムーアと結婚し、2015年には一女をもうけましたが、2018年に離婚しました。



山田太一の原作について

山田太一による原作『異人たちとの夏』は、『小説新潮』1987年1月号において発表された小説です。

『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『ながらえば』『ふぞろいの林檎たち』など数々の大ヒット秀作ドラマを多数手掛け、人気脚本家として不動の地位を築いていた53歳のときに執筆した作品です。

主人公が同じ中年の脚本家、また生まれ故郷も同じ浅草、さらに山田太一自身も10歳のときに母を亡くしている点など、かなり自伝的要素の強い物語であるという点で、他の作品とは趣を異にしています。

当時、仕事やプライベートで精神的につらい時期にあり、両親とのふれあいの中に癒しを求めて描いた作品だと言われています。この時期を境に、この後は、連続ドラマより単発ドラマが中心となっていきました。

2017年1月に脳出血を患ったことで執筆が困難となり、闘病生活を続けていましたが、2023年11月29日、老衰により89歳で死去しました。最後のドラマ作品は、2016年11月19日に放送された『五年目のひとり』です。

アンドリュー・ヘイ監督による本作品も、亡くなる直前に完成版を鑑賞することができ、満足そうだったそうです。

「食い入るように2時間、真剣にものすごい集中力で見ておりました。見終わったときは家族全員で『よかったね』という感動ですね。父も少しことばが出づらくなった時期であったので、大きくそのときはうなずいて、満足そうに、感慨深げにしておりました」

引用:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240419/k10014425831000.html

映画を観たあとは、ぜひ味わい深い原作を手に取ってみることもおすすめします。

大林宣彦監督の映画化作品について

『転校生』など「尾道三部作」で知られる大林宣彦監督の手による映画化作品は、原作に忠実に作られています。

ただ、親子ですき焼きを食べる場面が日本映画屈指の名シーンのとも言われる一方、CGを用いたケイと主人公のおぞましいホラーの場面については賛否両論が巻き起こりました。

実際、松竹は大林監督に対して夏向けのゾンビ映画を発注していたようです。おそらく、大林宣彦監督の初商業映画監督作であり、出世作の一つでもある『HOUSE ハウス』あたりをイメージしていたのではないでしょうか?

個人的には、あのラストには少々違和感を持つ立場ですが、そうした松竹側の要望と、ノスタルジックな親子愛の両立を図った結果、ああした形になったとすると、大林宣彦監督らしいセンスが発揮されていることは確かでしょう。

『異人たちの夏』がリバイバル上映された2019年秋開催の第32回東京国際映画祭で舞台挨拶に登壇した、秋吉久美子や大林宣彦監督の長女・千茱萸(ちぐみ)氏による撮影裏話はとても興味深く、おすすめです。

大林宣彦監督は、上記映画祭も体調不良により欠席しましたが、2020年4月10日、肺がんのため82歳で亡くなりました。

浅草を中心に行われたロケ地の紹介については、以下の記事をご覧ください。



2023年版映画『異人たち』と1988年版映画『異人たちとの夏』の違い<ネタバレ>

両映画化作品の展開上の違いについて、ざっくり大きく分けて3つの点をあげたいと思います。

 『異人たちとの夏』(1988)  『異人たち』(2023)
主人公原田英雄(風間杜夫)アダム(アンドリュー・スコット)
恋人藤野桂(名取裕子)ハリー(ポール・メスカル)
英吉(片岡鶴太郎)父(ジェイミー・ベル)
房子(秋吉久美子)母(クレア・フォイ)
仕事仲間間宮一郎(永島敏行)登場せず

1988年版の主人公・英雄は離婚経験のあるストレートの中年男性でした。

ところが、すでに既述の通り、2023年版では、主人公はゲイに置き換えられ、したがってその相手役もゲイの男性に変更されています。

それは二人の関係性だけにとどまりません。両親との関係においても、ゲイであることとカミングアウト、それにまつわる幼少時のつらい記憶が重要な主題となっているのです。

これは、LGBTQ問題という現代らしい世相を取り入れたというより、自身がゲイであるアンドリュー・ヘイ監督のパーソナルな視点が盛り込まれたとみるべきでしょう。

1988年版において重要な役回りを担っていた永島敏行が演じた仕事関係者らは、2023年版においてはまったく登場しません。登場人物は主人公アダムとその相手役ハリー、アダムの両親の4人だけに絞られていると言っても過言ではありません。

永島敏行扮した間宮一郎は、英雄の離婚した元妻の再婚相手であるという設定にとどまらず、終盤、英雄と桂の行きつく結末に大きく関わりますが、そういったサイドストーリーはすべて削除されているのです。

その結果、主人公アダムの抱える孤独感がより一層強調されているのではないでしょうか?

1988年版では、英雄自身が次第に生気を失いゾンビ化するばかりか、ラストでは桂がおそろしいゾンビとなって宙を舞い、英雄を襲うシーンまで描かれますが、2023年版ではそうした視覚的なホラー要素は完全に排除されています。

また、桂に襲われた英雄は間宮に助けられ、桂は空中に姿を消してその後平穏を取り戻すという、わかりやすいハッピーエンドに対し、2023年版では、ハリーがゴーストであることが判明しても、アダムはそれをそのまま受け入れ、ベッドで寄り添う姿で終わるのです。

様々な解釈が可能な、この2023年版の結末については、以下で考察したいと思います。

『異人たち』結末の考察<ネタバレ>

上記のとおり、映画『異人たち』の結末は、観る人によってさまざまな解釈が可能な、曖昧な形になっています。

ここでは、主要な2つの解釈をご紹介したいと思います。

最初に、アダムがパソコンで両親のことを執筆し始めるシーンがあることから、両親との再会も、ハリーのことも、すべてアダムが執筆を進めるうえで、頭の中で妄想したことではないのか、という解釈があります。

いわゆる、「夢落ち」説であり、この手の映画の考察としては必ずと言って出てくる、現実派の人が好む解釈です。

映画の考察をすべて「夢だった」で片づけてしまうのは、個人的には好きではありませんが、この映画の場合は、両親も恋人もいない孤独な中年脚本家が、苦労して物語を創作するプロセスだと考えると、一つの興味深い解釈であることは否定できません。

両親やハリーのみならず、実はアダム自身もすでに死んでおり、ゴーストだったという説です。

その根拠として、冒頭にあった、突然マンションの火災報知器が鳴り響き、なぜかアダム一人だけが外に出てマンションを見上げるという少々違和感のあるシーン。その後、アダムが発熱したりするシーンもあることから、実は、この火災によりアダムも焼死していたという解釈です。

だとすると、両親との再会や、ハリーがゴーストだと知った後もすんなり受け入れ、そればかりか一緒に寄り添って眠るというラストの展開も筋が通ります。

映画のオープニングクレジットにおいても、夜景に重なったぼんやりと半透明なアダムの姿も、どこかゴーストめいていました。

上述したとおり、『異人たち』の英語版タイトル「All of Us Strangers」の意味は「みな全員が見知らぬ人」。この説に従うと、アンドリュー・ヘイがあえて「All of Us」の部分を付け加えたのは「アダムも含めて」の意味を込めた可能性があります。

個人的にはこの②の考察を好みますが、本当にアダムも死んでいたのかどうかは別としても、結末には、ある種の「死」が暗示されていたのは明らかだと思います。ベッドに寄り添った2人の姿が、やがて夜空に輝く星となるラストシーンから感じられるのは「幸福な死」ではないでしょうか?

映画『異人たち』『異人たちとの夏』、原作もすべて堪能したい

大林宣彦版『異人たちとの夏』は、ラストのゾンビシーンゆえ少々賛否わかれるようですし、世界中で非常に高い評価を得たアンドリュー・ヘイ監督版『異人たち』も、日本の一部のBL好き腐女子からは期待外れだったという声もあるようです。

しかし、主人公のアンドリュー・スコットとポール・メスカルがむさくるしくて美しくないと批判している腐女子の人たちの身勝手な独善性は無視していいでしょう。

個人的には両作品とも異なる味わいを持つ秀作だと考えます。ぜひ、両作品、そして山田太一の原作もあわせて堪能されることをおすすめします。

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