【訃報2024】死去した日本で有名な海外映画スター10人(私生活/代表作)

訃報2024 映画

2024年に入って死去した海外の映画スターをご紹介します。

日本でも比較的なじみの深い人を選び、代表作やキャリア、死因、私生活などの素顔についてご紹介します。

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2024年に死去した海外映画スター<死因・素顔・代表作>

2024年1月から7月の間に亡くなった映画スターの中から、10人ご紹介します。

今後、随時更新していきます。

1975年から1979年まで、4つのシーズンに渡って放送され、大ヒットしたドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』のハッチ役で世界的人気を博したデヴィッド・ソウル。日本においても、1977年から1981年にかけてTBS系列で放送され、アメリカンTVドラマ人気の一翼を担いました。

デヴィッド・ソウルは、1943年8月28日、シカゴ生まれ。無名の歌手から俳優に転身後、ハッチ役で一躍人気スターに躍り出ると、「やすらぎの季節」などリリースした曲も大ヒットしました。その後は、『ジェシカおばさんの事件簿』『名探偵ポワロ』などにゲスト出演したり、2004年の映画版『スタスキー&ハッチ』にカメオ出演したりしました。2014年にイギリスのTVコマーシャルの中で、代表曲の一つ「シルバー・レディ」を歌って登場したのが、公式の最後の出演です。

50年間、一日3箱を吸う愛煙家として知られていましたが、慢性閉塞性肺疾患および肺がんにより片方の肺を切除。亡くなる前10年ほどは禁煙に成功していたと言いますが、2024年1月4日、80歳で死去しました。

私生活では、5度結婚し、合わせて6人の子どもがいます。4人目の妻で女優のジュリア・ニクソンとの間にもうけた一人娘チャイナ・ソウルはイギリスでシンガーソングライターとして活動中です。

アメリカでは、1970年から2011年まで放送され、国民的人気を博した昼ドラ『オール・マイ・チルドレン』の2005―2007シーズン、またそのきっかけとなったリアリティ番組『I Wanna Be a Soap Star』への出演で有名なアレック・マッサー

日本では『デスパレートな妻たち』や、アダム・サンドラー主演の映画『アダルトボーイズ青春白書』、また「アバクロンビー&フィッチ」の広告モデルとして知る人もいるでしょう。

1973年4月11日、ニューヨーク生まれ。トップモデルとして様々なブランドの顔を務めたあと、俳優兼モデルとして活動していました。

2024年1月12日、カリフォルニアの自宅において、拳銃により自死しました。50歳の若さでした

1982年の映画『愛と青春の旅だち』で鬼軍曹を演じ、アカデミー助演男優賞を受賞したルイス・ゴセット・ジュニア。そのほかにも多くの映画・ドラマに出演して数々の受賞歴を誇る、アメリカの黒人俳優を代表する名優の一人です。

1936年5月27日、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。大学ではバスケットボールのスター・プレイヤーとして活躍し、一時はプロとなったものの、ほどなく俳優に転身。1977年のテレビドラマ『ルーツ』でプライムタイム・エミー賞主演男優賞を受賞し、一躍実力派俳優として知られるようになりました。

1990年代から、前立腺がんなどさまざまな病気を患いつつ、何度も再起を遂げては俳優業を続けてきました。最近でも2023年公開のミュージカル・リメイク映画『カラーパープル』で、老いたミスター役を演じ、さすがの存在感を見せています。

2024年3月29日、87歳で死去。直接の死因は非公表です。私生活では、3度の結婚歴があり、実子が一人、養子が一人います。

アメリカンフットボールの国民的スター選手から俳優へと転身し、成功を収めたO・J・シンプソン(オレンタール・ジェームス・シンプソン)。出演映画には、1974年の大作映画『タワーリング・インフェルノ』、1976年の『カサンドラ・クロス』、1978年の『カプリコン・1』などがあります。

しかし、1994年に起こった、俗にいう「O・J・シンプソン事件」により、全米を大きく揺るがすことに…。2人めの元妻だったニコール・ブラウン、ニコールの友人ロナルド・ゴールドマン殺害容疑で逮捕。車での逃走劇、裁判の様子などがテレビでライブ中継される事態となり、ある種の社会現象と化しました。

結局、刑事裁判では無罪、民事裁判では有罪となりましたが、2007年には強盗事件を起こして実刑判決を受け、服役するなど、波乱の後半生を送りました。(2017年10月に仮釈放)

家族関係では、ニコール・ブラウンの前にも一度結婚歴があり、3人の子どもがいますが、末っ子は2歳のときに自宅のプールで溺死しています。ニコールとの間にも2人子どもがいます。事件直後の1995年に出会った19歳のウェイトレスの女性と、その後13年間交際していましたが、破局後には女性側が何度も殺されるかと思ったと暴露しました。

2024年4月10日、前立腺がんのため76歳で死去しました。

コメディ映画から超大作映画まで、数多くの作品で名バイプレーヤーとして活躍したダブニー・コールマンは、1932年1月3日、テキサス州オースティン生まれ。テキサス大学で法律を学び、また2年間ドイツで兵役についたのち、俳優に転身しました。

1961年にまずブロードウェイ・デビューを果たし、その後は、多数の舞台、テレビドラマや映画に出演し、キャリアを重ねます。日本においては、1974年の大作『タワーリング・インフェルノ』における消防署長役、1980年の『9時から5時まで』における憎まれ上司役、1982年の『トッツィー』、1990年の主演作『天国に行けないパパ』、1998年の『ユー・ガット・メール』などで見せた独特の存在感で人気をよびました。

プライムタイム・エミー賞は6度のノミネートで受賞1回、ゴールデングローブ賞は3度のノミネートに受賞1回の名優です。

2024年5月16日、カリフォルニア州サンタモニカの自宅にて、92歳で亡くなりました。遺作映画は、2016年公開のウォーレン・ベイティ監督作『ハリウッド・スキャンダル』です。私生活では2度の結婚と離婚で、4人の子どもがいます。



監督・脚本・製作に留まらず、自ら主演したドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』が、世界中で大ヒットしたモーガン・スパーロック。1日3食、ファーストフードだけを30日間食べ続けたらどうなるか、というユニークかつ馬鹿げた実験を記録したものであり、アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞の候補となりました。

1970年11月7日、ウェストバージニア州パーカーズバーグ生まれ。ニューヨーク大学で映画を学び、卒業後はまず劇作家として作品を発表しました。

2004年に発表した『スーパーサイズ・ミー』の大ヒットを受け、その後はたくさんのドキュメンタリー作品を手掛けました。テレビシリーズ『モーガン・スパーロックの30デイズ』や映画『ヤバい経済学』などは、日本でもよく知られています。

私生活では、3度結婚と離婚を繰り返し(3人目の妻との離婚は2024年)、2人の子どもがいます。2017年にはセクハラ・スキャンダルが露呈し、以後、キャリア上の目立った活動はありませんでした。

2024年5月23日、がんの合併症により53歳で死去しました。

カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた1966年公開の映画『男と女』。ヒロインのアンヌを演じたアヌーク・エーメも、ゴールデングローブ賞主演女優賞や英国アカデミー賞最優秀外国女優賞はじめ、各国で数々の受賞・ノミネートを果たし、世界的大スターの地位を確立しました。日本でも、フランス人女優の代表的存在として絶大なる人気を博しました。

1932年4月27日、パリのユダヤ系俳優一家の生まれ。1947年の映画『密会』で女優デビュー後、1958年の『モンパルナスの灯』で一躍注目されました。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』や『8 1/2』、ロバート・アルトマン監督の『プレタポルテ』など国外の作品にもたびたび出演。

『男と女』は、1986年に続編『男と女II』、2019年に2人の52年後を描いた『男と女 人生最良の日々』が公開され、同作がアヌーク・エーメの最後の出演映画となりました。2024年6月18日、パリの自宅で92歳で亡くなったことを看取った娘がSNSで公表しました。ちなみに『男と女 人生最良の日々』は、相手役を演じたジャン=ルイ・トランティニャンの遺作(2022年に死去)でもあります。

私生活では、4度の結婚と離婚を経て、娘が一人。3人目の夫(1966-1969)は『男と女』で夫を演じていたピエール・バルー、4人目の夫(1970-1978)はイギリス人俳優のアルバート・フィニーです。

1970年の『M★A★S★H マッシュ』、1973年の『赤い影』、1980年の『普通の人々』などの映画史に残る名作のほか、最近でも『ハンガー・ゲーム』シリーズのスノー大統領役など数々の作品で名バイプレーヤーぶりを発揮してきた名優がドナルド・サザーランドです。

1935年7月17日、カナダのニューブランズウィック州セントジョン生まれ。トロント大学卒業後に渡英し、1960年代を通じてウエストエンドの舞台、イギリスのテレビドラマや映画を中心にキャリアを積みました。

1995年のテレビ映画『ロシア52人虐殺犯/チカチーロ』で、プライムタイム・エミー賞とゴールデングローブ賞の助演男優賞をW受賞したほか、2017年にはアカデミー名誉賞を授与されました。

私生活では3度の結婚で、5人の子どもがいます。2人目の妻でカナダ人女優のシャーリー・ダグラスとの間にもけたのが、俳優のキーファー・サザーランドです。

近年まで映画やドラマへの出演を続けてきましたが、2024年6月20日、フロリダ州マイアミの自宅にて88歳で亡くなりました。死因は非公表ですが、仕事と並行して長い間、病と闘っていたようです。

ロバート・アルトマン監督による1977年の映画『三人の女』で、カンヌ国際映画祭最優秀女優賞を獲得し、実力派女優として名声を得たシェリー・デュヴァルは、1949年7月7日、テキサス州ヒューストン生まれ。

1970年、アルトマン監督に見出され、『BIRD★SHT』で映画デビュー。その後も『ギャンブラー』『ナッシュビル』『ビッグ・アメリカン』『三人の女』と立て続けにアルトマン作品に抜擢されました。1980年のスタンリー・キューブリック監督作『シャイニング』で演じたジャック・ニコルソンの妻役、アニメの実写映画化『ポパイ』で演じたオリーブ役なども代表的出演作です。

個性派女優として、いくつかの作品で独特の存在感をみせていましたが、2002年の映画『Manna from Heaven(日本未公開)』を最後に事実上、女優業を引退。表舞台から姿を消しましたが、2016年に、精神疾患を患っていたことをメディアによって暴露されました。そんな彼女をテレビのインタビュー番組に引っ張り出したことで、炎上騒ぎも起こっています。

2024年7月11日、糖尿病の合併症により75歳で死去。20年ぶりにスクリーンに戻った2023年の映画『The Forest Hills(日本未公開)』がそのまま遺作となりました。

私生活では、1970年にアーティストの一般男性と結婚しましたが1974年に離婚。その後、ポール・サイモン、リンゴ・スターらとの短い交際をへて、ミュージシャンのダン・ギルロイと亡くなるまでパートナーでした。

1990年から2000年にかけ、シーズン10まで放送された大ヒット青春ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』。そのシーズン4まで登場した主人公の双子の妹ブレンダを演じ、一躍若手人気スターとなったシャナン・ドハーティー

1971年4月12日、テネシー州メンフィス生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルス育ち。子役としてキャリアをスタートさせ、上記作品で名声を確立しました。他にも『チャームド ~魔女3姉妹』シーズン1から3までの主役プルーデンス・ハリウェル役などで、日本でも人気を博しています。

2008年には続編『新ビバリーヒルズ青春白書』に再登板。この2つドラマ作品のイメージが強すぎたのか、映画ではなかなか代表作に恵まれませんでした。

2015年に乳がんを発症し、2020年にはステージ4であることを公表。長らく闘病生活を送っていましたが、2024年7月13日、53歳の若さで亡くなりました。

私生活では、1993年に俳優のアシュレイ・ハミルトンと結婚しましたが1年で離婚。2002年にポーカー・プレイヤーのリック・ソロモンと再婚しますがこちらも9か月で離婚。2011年に、カメラマンの男性と3度目の結婚しますが、亡くなる前に破綻しています。反捕鯨テロ組織「シーシェパード」を公式に支援していたほか、飲酒運転逮捕、借金踏み倒しなど、なにかと問題の多い女優でした。



追悼2024

訃報を耳にすると、改めてその代表作など鑑賞したくなりますね。

今後も、日本でもなじみのある海外スターの訃報が伝わりましたら、この記事を更新し、お知らせしたいと思います。

2023年、2022年に亡くなった海外の映画スターについては、以下の記事をご覧ください。

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