【ベニスに死す】あらすじ/その後と実話/映画と小説ネタバレ考察

ベニスに死す 映画

ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作の一つ『ベニスに死す』。

1971年の公開から早50年以上が過ぎたというのに、今なお世界中のファンを魅了し続けている映画史に残る傑作です。

本記事では、映画『ベニスに死す』のあらすじと主要キャストのその後、モデルとなった人物やロケ地など実話・裏話5選の紹介にくわえ、個人的感想/考察を交えて小説と映画の両方をレビューしたいと思います。

あらすじ及び考察・解説部分にネタバレを含みます。

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映画『ベニスに死す』とは?

1929年のノーベル文学賞を受賞したドイツの文豪トーマス・マンが、1912年に発表した同名小説を原作に、巨匠ルキノ・ヴィスコンティがメガホンをとった不朽の名作が『ベニスに死す』です。

『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』と並ぶ、ドイツ人を主人公にしたヴィスコンティ「ドイツ三部作」の第2作目にあたりますが、言うまでもなく舞台はイタリアのベニス(ヴェネチア)です。

後述するように、主人公アッシェンバッハのモデルの一人であるグスタフ・マーラーの交響曲第5番・第4楽章「アダージェット」が全編に流れ、得も言われぬ抒情と官能に満ちた文芸大作です。

■あらすじ<ネタバレ>

療養のためイタリアのベニスにやってきたドイツ人の老作曲家アッシェンバッハが、ホテルで偶然見かけたポーランド人の美少年タジオ。

アッシェンバッハは、タジオにかつてない究極の美を見出して虜となり、家族と休暇を過ごすタジオを追いかけて街中をさまようことに……。

そんなおり、人知れず、街に疫病のコレラが蔓延。いたるところで消毒が行われる中、アッシェンバッハは、ひそかにその事実を知りながらも、奇妙な若作りをして、タジオの姿を追い求め続けます。

やがて、砂浜のデッキチェアに身を横たえ、水際で遊ぶタジオを見ながら、恍惚の極致の中で静かな死を迎えるのでした。



キャスト(ダーク・ボガードとビョルン・アンドレセン)のその後

■アッシェンバッハ/ダーク・ボガード

アッシェンバッハを壮絶な存在感で演じきった名優ダーク・ボガードは、1921年3月28日生まれ、ロンドン出身のイギリス人俳優です。舞台俳優としてデビュー後、第二次世界大戦従軍を経て、戦後になって映画にも出演するようになりました。

本作のほか、同じくヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』、シャーロット・ランプリングと共演した『愛の嵐』などは、代表作として有名です。

私生活では、生涯独身を通し、俳優のアンソニー・フォーウッドと、フォーウッドが1988年に他界するまで一緒に暮らしていました。ボガードは、ゲイであることを否定し続けましたが、当時の社会の事情からそうせざる得ず、二人が恋人関係にあったというのは、半ば公の事実です。

1999年5月8日、ロンドンにて、心臓発作により78歳で死去。遺灰は、かつて暮らした南フランスのグラースにまかれました。

■タジオ(タッジオ)/ビョルン・アンドレセン

少し陰のあるボーランド貴族の美少年タジオを演じて、世界中に鮮烈な印象を残したビョルン・アンドレセン(撮影時は15歳)は、1955年1月26日、ストックホルム生まれのスウェーデン人俳優です。父は不明、10歳のときに母も自死したことで、祖母に引き取られて少年時代を過ごしました。

バンド活動に取り組みつつ、1969年の映画『純愛日記(のちの邦題:スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー)』で子役デビュー。数千人の中からタジオ役に選ばれた本作が出演2作目であり、一躍アイドル的人気を博しました。とりわけ日本での人気は高く、CM出演やレコードデビューも果たしています。

しかし、その後の映画出演は少なく、音楽活動を中心に、表舞台に姿を現すことはあまりありませんでした。80年代以降は、地元スウェーデンの映画やテレビドラマにたびたび出演するようになりますが、脇役が多く、目立った作品はありません。

久しぶりの話題作となったのが、2019年に公開され、世界中で評判をよんだホラー映画『ミッドサマー』です。

さらに、2021年のサンダンス映画祭において、ビョルンの半生を描いたドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』が発表されます。その中で、ヴィスコンティとの微妙な関係や、ステージママ化した祖母との確執、母や父、娘など自身のプライベートを赤裸々に語っています。

同ドキュメンタリーでも語られている通り、私生活では、1983年に詩人の一般女性と結婚し、一女一男をもうけましたが、9か月の長男を乳幼児突然死症候群で亡くしたことにショックを受け、長らく鬱に苦しみ妻とも離婚。現在は、ストックホルムに在住し、静かに暮らしています。67歳となった2022年現在、男女2人の孫がいます。

■その他キャスト

タジオの母を演じたシルヴァーナ・マンガーノは、イタリアを代表する名女優として、ヴィスコンティやピエル・パオロ・パゾリーニ監督作品に多数出演。1989年12月16日、ガンにより59歳で死去しています。

アッシェンバッハ夫人を演じたマリサ・ベレンソンは、60年代から70年代に、数々の有名ファッション誌の表紙を飾ったアメリカ人トップモデルであり、本作が事実上の女優デビュー作でした。現在はモロッコに在住し、ときおり映画にも出演しています。

アッシェンバッハと芸術論を闘わせる音楽仲間のアルフリートを演じたイギリス人俳優のマーク・バーンズは、2007年5月8日、肺ガンにより71歳で死去。ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』にも出演しています。



監督ルキノ・ヴィスコンティについて

イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティは、1906年11月2日生まれ、ミラノの貴族階級の出身です。1942年に映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で監督デビューしたのち、寡作ながらネオレアリズモと上流階級をテーマに次々と傑作を発表しました。

世界中で数々の賞を受賞しており、本作『ベニスに死す』も、第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞など、複数の賞に輝いています。

私生活では、ホモセクシュアルであることを公言し、アラン・ドロンやヘルムート・バーガーがその相手だったと言われています。

1976年3月17日、脳卒中により、ローマで死去。69歳でした。遺作は、没後に公開された『イノセント』です。

モデルやロケ地など実話トリビア5選

① アッシェンバッハのモデルとなった人物は?

グスタフ・フォン・アッシェンバッハの人物像は、名前からも明らかなように、オーストリア・ウィーンの大作曲家グスタフ・マーラーに着想を得たものであることは有名です。マーラーはトーマス・マンの個人的な友人でもありました。

しかし、ストーリーそのものについては、原作者トーマス・マンの実体験がもとになっているという点で、マン本人こそがモデルだと言った方が正確でしょう。

マンは1911年夏に妻とベニスを旅行した際、滞在したホテルでポーランド人貴族の美少年に出会い、すっかり夢中になってしまったのです。その時の体験を綴ったのが小説『ヴェニスに死す』でした。

② タジオのモデルとなった美少年は?

トーマス・マンが1911年に出会った美少年の名は、ヴワディスワフ・モエス。1900年11月17日生まれ、ポーランド人貴族の子息で、マンが出会った当時はまだ10歳でした。(写真の右側の少年)

本人も家族も、長らくまさか自分が文豪の小説のモデルになっているとは知らず、本の発売から12年後、彼のいとこがたまたま著作を読んで気づいたようです。しかし、トーマス・マンに名乗りを上げるどころか、大きな反応をすることもなくその後の人生を送りました。1986年12月17日に死去。2001年には彼の伝記『The Real Tadzio(直訳:本当のタジオ)』が発売されています。

③ アッシェンバッハ役の候補だった俳優

アッシェンバッハ役の有力候補の一人だったのが、バート・ランカスターでした。ランカスター自身が、この役を熱望していたと言われています。

残念ながら実現には至らず、本作から3年後、ヴィスコンティ監督が発表した1974年の映画『家族の肖像』で、アッシェンバッハに非常に似た主人公の老教授をランカスターが演じています。

④ タジオ役の候補になったのは?

タジオ役の候補として有力だったのが、当時アメリカ人子役で、後に人気ポップアイドルとなるレイフ・ギャレットでした。

また、1970年の映画『早春 Deep End』で注目されていたイギリス人俳優のジョン・モルダー・ブラウンの名前も挙がっていましたが、タジオ役には歳が行き過ぎているという理由で断念。といっても当時まだ17歳でした。

ジョン・モルダー・ブラウンは、『ベニスに死す』の翌年、ヴィスコンティの「ドイツ三部作」にあたる映画『ルードウィヒ』にオットー1世役で出演しています。

⑤ ロケ地の現在

映画はごく一部のホテルの室内が、チネチッタ・スタジオで撮られた以外、ほぼ全編、ベニスで撮影されました。

舞台となったホテル「グランドホテル・デ・バン(Grand Hotel des Bains)」は、実際にトーマス・マンが宿泊したホテルであり、映画の撮影もここで行われました。映画のヒットを受け、サロンの一つは「ヴィスコンティ・サロン」と呼ばれていました。

1900年創業で、長年、ヴェネツィア国際映画祭にやってきたスターたちの定宿となるなど、由緒ある老舗ホテルでしたが、2010年に閉業。一時は豪華コンドミニアムとして使用されていましたが、現在は改装もすすまぬまま閉鎖されています。

ちなみに、1996年の映画『イングリッシュ・ペイシェント』でもロケ地となったホテルです。

また、アッシェンバッハの結婚生活を描く回想部分は、ベニスではなく、イタリア北部にあるボルツァーノで撮影されました。



小説と映画の違い、小説から映画の謎を解説

映画のアッシェンバッハは作曲家ですが、原作では作家の設定です。

映画は、アッシェンバッハがベニスに到着するところから始まり、回想形式でときおり過去が挿入されるという構成ですが、小説は、前半ではアッシェンバッハの生い立ちや人物像が、詳しく描写されたあと、後半でベニス旅行とタジオとの出会いが描かれます。

しかし総じて、映画は小説に忠実に作られていると言え、アッシェンバッハが化粧して若作りすること、また死に至るラストシーンなども原作のままです。

最後に砂浜でタジオがみせる少々不思議なポーズも、なんと原作にそのまま描写されているのです。

「突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振り返った」

引用:『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』トーマス・マン著、高橋義孝訳、新潮文庫。以下の引用すべて同じ。

また、白塗りの老人や、ホテルのテラスにやって来た流しの大道芸人なども、実は原作通り。大道芸人の、薄気味悪い大笑いの歌の理由が、原作にははっきりと書かれています。

「テラスの人たちに向かって臆面もなく投げつけられる彼の作り笑いの声は嘲笑であった」

彼は、街に疫病が蔓延していることも知らず、のんきに談笑しているホテルの金持ちの客たちを、バカにして笑っているのです。

そして、小説を読むことで、明瞭に浮かび上がってくるのは、なぜ物語の舞台がベニスでなければならなかったか、ということです。

「この都の腐ったような空気の中で、かつて芸術は放恣なまでに栄え誇り、人の心を軽くゆすって、媚びつつ寝入らせる響きを音楽家にもたらした」

芸術の街として華やかな繁栄を誇った過去から、今や商業的な観光地に成り下がったベニスが、アッシェンバッハの半生そのものを象徴しているのではないでしょうか?

さらにベニスと言えば、ゴンドラ。

「この世の中にあるものの中では棺だけがそれに似ている、この異様に黒い不可思議な乗物、ゴンドラは小波の音しか聞こえぬ夜の、静けさの中に行われた犯罪的な冒険を思い起こさせる。いや、それよりもなお死そのものを思わせる」

ベニスに到着したアッシェンバッハが、リド島に渡るために乗ったゴンドラは、そのまま黒い棺として、まもなく訪れる彼の死の葬送を暗示しているのです。



映画『ベニスに死す』の考察・感想レビュー

マーラーの交響曲第5番が流れ、ほんの微かに明るみ始めた夜の海を、黒い汽船がゆっくりと進むオープニングから、一気に叙情的な官能の世界の虜である。

風に揺れるストライプのビーチタオル、ホテルのロビーに活けられた紫陽花の花が、これほど美しいと思えるのは、ヴィスコンティの魔力以外の何物でもないだろう。

20数年ぶりに観たのだが、若い時はいかに表面的にしか観ていなかったか、ということ。
そして、当時は少年タジオの年齢に近く、間違いなく今はアッシェンバッハの方に近いのだと思うと、愕然としてしまう。

それゆえか、今回は、ホモセクシャルな主題よりも、むしろ芸術と人間の相克のドラマに心魅かれた。

高名な作曲家でありながら、自身の芸術に足りないものがあることを苦悩し続けてきたアッシェンバッハ。少年タジオの存在と、彼に対する自分の感情の中に、欠けていたものの本質を、ついに発見する。

自然の造った、絶対的な美との出会い。
忍び寄る自らの死の気配の中で、理性を捨て、恍惚と忘我の境地に身をゆだねることを選ぶのだ。

一方のタジオは、アッシェンバッハが自分に向ける熱い視線の存在に最初から気づいている。そればかりか、わざと視線を絡ませたりする。タジオも同性愛的資質を持っていたからか、それとも、自分の美しさを知っている者特有の残酷な遊びなのかは、曖昧なままである。

エンディング、タジオが波光きらめく砂浜で見せるポーズも不可解だ。
振り向き、左手を腰にあて、右手をまっすぐ横に伸ばして、親指と人差し指で小さな輪を作ってみせる。

それは、タジオからアッシェンバッハに向けた、ある種の肯定、受容の意志表示だったと見てとれる。
あるいは、アッシェンバッハの願望が見せた幻だった、とも。

アッシェンバッハは、命の最後の灯を燃やすようにデッキチェアから立ち上がり、タジオに近づこうとして叶わず、砂浜に息絶えるのである。

アッシェンバッハの印象的な言葉がある。

「砂時計は、砂の落ちる道が狭く、最初はいつまでも上の砂が変わらずに見える。砂がなくなったことに気づくのは終わりの頃。それまでは誰も気にしない。時間が過ぎて気づいた時には既に終わっている。」

アッシェンバッハの死に様は、まさしくそんな死である。

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