ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ:謎・伏線・ネタバレ解説

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 映画

イタリアの名匠セルジオ・レオーネが10年以上の歳月をかけ、1984年に発表した3時間49分の超大作映画が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』です。

2020年には、宝塚歌劇団雪組により、望海風斗、真彩希帆が主演した舞台版が上演されたこともあり、再び熱い注目が集まっています。

入り組む時間構成とさまざまな解釈が可能な謎めいたシーンが多いことから、難解映画の一つに数えられていますが、映画史に残る傑作であることは間違いありません。

ここでは、鑑賞を終えた状態であることを前提に、あらすじや登場人物の紹介は簡単に留め、謎解きと伏線についてなるべく具体的な解明を試みたいと思います。

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セルジオ・レオーネ監督の遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』作品紹介

あらすじ(ネタバレ)

1920年代から30年代にかけてのニューヨーク、ユダヤ人街が拡がるブルックイン・ウィリアムズバーグを主な舞台に、ヌードルスとマックスを中心とする少年グループの友情、そしてギャングとなって犯罪に手を染めたことで迎える悲劇を描きます。

そしてもう一つの軸が、たった一人生き残り、老いたヌードルスの今です。

何者かから一通の手紙を受け取り、35年ぶりにニューヨークに戻ってきたヌードルスが、過去と向き合います。

以下、結末。

仲間を案じた上で決断したヌードルスの密告により、殺されてしまうマックスら仲間の3人。しかし、みなで貯め込んだお金が忽然と消えているという不可解なことも……。

ヌードルスは罪悪感から一人ニューヨークを旅立ち、姿をくらまします。

35年後、裕福なベイリー財団からのパーティー招待状をきっかけに、戻ってきたヌードルス。

女優となったかつて愛した女デボラを訪ねて、事情を訊きだそうとすると、絶対にパーティーに行ってはならないと……。

パーティー会場となった屋敷に行くと、ベイリー長官は、なんと死んだはずのマックスでした。全てを告白し、殺してくれと願うマックスを無視し、ヌードルスは一人屋敷を去っていきます。

主要登場人物とキャスト

ヌードルス/ロバート・デ・ニーロ
マックス/ジェームズ・ウッズ
デボラ/エリザベス・マクガヴァン
デボラ(少女時代)/ジェニファー・コネリー
キャロル/チューズデイ・ウェルド
フランキー/ジョー・ペシ
ジミー/トリート・ウィリアムズ

セルジオ・レオーネ監督とエンニオ・モリコーネの音楽

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は、1989年に他界したセルジオ・レオーネ監督の遺作にして代表作に数えられています。

また、叙情あふれるノスタルジーに満ちた音楽の素晴らしさも、本作を語る上では欠かせません。

音楽手掛けたのは、2020年に他界した映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ。セルジオ・レオーネとは、60年代のマカロニ・ウェスタンの時代から続く、名コンビであり続けました。



『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の伏線と謎を考察!

複雑に絡み合う人間模様の中で、本作の重要なカギとなるのが言うまでもなく「死んだはずなのに生きていた」というテーマです。

そのテーマを強調すべく、全編に張り巡らされた伏線からまず考察します。

1.「死んだはずなのに生きていた」ことを暗示していた伏線4つ

伏線1

35年ぶりにニューヨークのブルックリンに戻ってきたヌードルスが、車を降りて最初に目にするのが、墓地を掘り起こしている工事現場。

最初観たときは、おそらく何の意味もなさないシーンですが、結末を知ると、実に意味深なシーンだったことがわかります。

そもそもヌードルスがニューヨークに戻った理由は、ユダヤ教会から届いた霊園売却のための改葬の案内でした。つまり、マックスはすでにヌードルスを呼び寄せた時点で、この後に起こることをそれとなく指し示していたのです。

伏線2

少年時代、港でマックスとヌードルスが小舟から海に落ちるシーン。

いつまでも水面に浮上してこないマックスが溺れたと思い、ヌードルスが焦ります。が、実は単にヌードルスをからかったマックスの狂言でした。

この時点で、映画の結末がすでに暗示されていたことがわかります。

伏線3

刑期を終えて釈放されたヌードルスをマックスが出迎えるシーン。

出迎えの車がなぜか霊柩車。乗せられた女性の遺体が、実は生きており、マックスがヌードルスを驚かすために仕組んでいた悪戯だったことがわかります。ここでも、再び、同じテーマが繰り返されました。

ちなみに、このとき、マックスはヌードルスにこう言います。

「息を吹き返したみたいだな。よくあることだ」

伏線4

マックスとヌードルスが彼女連れでマイアミのビーチに遊ぶシーン。

ヌードルスに「気が狂ってる」と言われて激怒したマックスが、一人で水際の砂浜を歩きます。遠目にカメラがとらえるマックスの姿。ゆっくり、カメラのフレームから消えかかって、再び中央に戻ってきます。

いったん消えて、また戻る……。

テーマを、映像によって暗示させていることは間違いありません。

2.ゴミ収集車に関する考察

マックスがゴミ収集車に飛び込むことで自ら死を選んだという解釈があるようですが、何度観直してもそんな風には見えません。

解釈は人それぞれですが、次の客観的事実が、なんらかのヒントを指し示していることは確かです。

伏線1

1.ゴミ収集車の名前が、マックスを連想させる「マック(Mack)」である点。
2.車体にはっきり「35」という数字が見えます。「35」とは、マックスがヌードルスをあざむいていた空白の35年と結びつきます。

そして、ゴミ収集車を暗示するかのように、若い頃、2人の間でこのような会話がありました。

伏線2

ヌードルス「お前とはどこまでも一緒だ」
マックス「ゴミのようにお前を捨てたい」

つまり、ヌードルスの目の前を走りゆくゴミ収集車は、この35年という年月がまるでゴミのような無意味な時間だったことを(おそらくマックスにとってもヌードルスにとっても)、象徴しているのではないでしょうか。

同様に、その後にやってきた若者たちの車は、新しい世代の到来、時代の移り変わりそのものを暗示しているように映ります。

3.ヌードルスがにこりと微笑むラストシーンについての考察

ゴミ収集車と並び、最も多くの議論を呼ぶのが、映画のラストシーンで見せる、ヌードルスの不思議な笑顔です。

映画の冒頭につながる若きヌードルスの姿であり、すべては夢だったと見る解釈もありますが、個人的には、笑顔そのものに、あまりに深い意味付けを与える見方はどうかと思っています。

何より、平常時ではなくアヘンの摂取後であるという事実が重要です。やはり、アヘンがもたらした多幸感による見せかけの笑顔だとみるほうが自然ではないでしょうか? あえて深く解釈するならば、陶酔でありながら、辛い現実からの逃避と見ることは可能でしょう。

この不思議なラストシーンによって、物語は再び冒頭に戻り、映画全体が一つのループのようにつながる構成にこそ、壮大なる意図を感じます。

4.アヘン窟で上演されている中国の影絵について

伏線

影絵で映し出されているのは、男が女を追いかける芝居。

男と女は、ヌードルスとデボラを連想させます。

つまり、ヌードルスのデボラに対する叶わぬ純愛が本作の重要なテーマの一つであるとすると、それを暗示していると見ることも可能です。

さらに深く掘り下げるならば、それを知っているマックスの横恋慕の物語だとも言え、嫉妬の対象はヌードルスにではなく、ヌードルスの愛を独り占めしているデボラに向けられているように感じます。同性愛だとは思いませんが、マックスのヌードルスに対する執拗な想いは尋常ではありません。

何度も観直したい映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

セルジオ・レオーネ監督が口をつぐんだまま他界してしまった今となっては、謎や意味について、想像することしかできません。

ここでは伏線を中心に考察を試みてみましたが、あくまでも一個人の見方です。それに、まだまだ見落としている伏線があるかもしれません。

上記に述べたとおり、ループのように結末と冒頭がつながった映画であり、つまり、否応なく何度も観直すことを要求する作品だと言えるでしょう。

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