【訃報】2023年に死去した日本で有名な海外映画スター17人

訃報2023 映画

2023年に死去した海外の映画スターをご紹介します。

日本でもなじみの深い人を選び、死因、私生活の素顔、代表作などを紹介します。

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2023年に死去した海外映画スター<死因・素顔・代表作>

中には、厳密には俳優ではない人物もいますが、映画界と切っても切れない活躍をした存在として加えています。

1/12:リサ・マリー・プレスリー(54歳)

世界のスーパースター、エルヴィス・プレスリーと女優プリシラ・プレスリーの一人娘として、1968年2月1日に生まれたリサ・マリー・プレスリー。

若い頃からドラッグの依存症を抱えていたほか、大きな注目を集めた4度の結婚と離婚を含め、私生活は波乱に満ちていました。2023年1月12日、カリフォルニア州の自宅で心臓発作を起こし、54歳の若さで急死。

2度目の結婚相手がマイケル・ジャクソン、3度目の結婚相手がわずか3か月で離婚したニコラス・ケイジです。子どもは最初の結婚で一女一男、4度目の結婚で双子の合計4人います。長女のライリー・キーオは女優として活躍、長男のベンジャミン・ストーム・キーオは2020年に27歳の若さで猟銃自殺を遂げました。

娘に先立たれた母親のプリシラ・プレスリーは、2023年6月現在、78歳です。

1/16:ジーナ・ロロブリジータ(95歳)

イタリアを代表する大女優ジーナ・ロロブリジーダは、1927年7月4日生まれ。1952年の映画『夜ごとの美女』、ハリウッド進出作『悪魔をやっつけろ』など、数々の作品で国際的な名声をえました。日本でも高い人気を誇り、複数回来日してテレビ番組等に出演しています。

キャリア後半は、女優としてより、欧州議会議員に立候補して落選したり、写真家・彫刻家としての活動がメインになったりしていました。2023年1月16日、ローマの病院にて95歳で死去。

事実上の遺作は、1997年公開のフランス映画『XXL』ですが、2011年に公開されたイタリアのパロディ映画『Box Office 3D: The Filmest of Films』に本人役でカメオ出演しているのがスクリーン上でみせた最後の姿です。

2/8:バート・バカラック(94歳)

ディオンヌ・ワーウィックやアレサ・フランクリンらが歌った数々の名曲はじめ、『明日に向って撃て!』『アルフィー』『ミスター・アーサー』など多数の映画音楽も手掛けた巨匠バート・バカラック

1969年の映画『明日に向って撃て!』の主題歌「雨にぬれても」、1981年の映画『ミスター・アーサー』の中でクリストファー・クロスが歌った主題歌「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」はアカデミー歌曲賞を受賞しました。また、1997年の映画『オースティン・パワーズ』には自らカメオ出演も…。

私生活では4度の結婚歴があり、2度目は女優アンジー・ディキンソン、3度目は、作詞作曲の名コンビだったキャロル・ベイヤー・セイガーです。2023年2月8日、ロサンゼルスの自宅にて94歳で死去しました。

2/11:オースティン・メイジャーズ(27歳)

オースティン・メイジャーズは、1995年11月23日、カリフォルニア州カーン生まれ。1997年には子役としての活動をスタートし、大ヒット刑事ドラマ『NYPDブルー』で主人公の刑事の息子テオを演じ、お茶の間の人気を博しました。

その後も、『ER 緊急救命室』や『デスパレートな妻たち』など数々のドラマや映画で引っ張りだこの人気を誇る子役として活躍。2009年ごろには表舞台から距離を置いて学業中心の生活を選び、成人しても俳優より音楽活動がメインとなっていました。

いつの頃からかドラッグ依存症を抱え、2023年2月11日に亡くなったときには、ロサンゼルスにあるホームレスの施設にいたことや、まだ27歳という若さもあって、全米に衝撃を与えました。死因は薬物の過剰摂取ではないかと言われています。

2/15:ラクエル・ウェルチ(82歳)

ラクエル・ウェルチは、1940年9月5日、イリノイ州シカゴ生まれですが、ボリビア人の父を持ち、どこかエキゾチックな美貌と官能的な肉体から「20世紀最高のグラマー」と称されるなど、絶大なる人気を博しました。「プレイボーイ誌」において、20世紀を代表するセクシーなスター100人の第3位に選ばれたこともあります。

1966年の映画『ミクロの決死圏』と『恐竜100万年』で注目され、1973年の『三銃士』ではゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞しました。

私生活における4度の結婚もすべて離婚に終わっていますが、最初の結婚で一男一女をもうけ、娘のターニー・ウェルチも女優です。2023年2月15日、ロサンゼルスの自宅で心停止により死去しました。享年82。晩年はアルツハイマーも患っていました。



4/25:ハリー・ベラフォンテ(96歳)

1956年、「バナナ・ボート」が記録的な大ヒット曲となり、一躍世界的人気スターとなったハリー・べラフォンテ

チャリティー「USAフォー・アフリカ」の提唱者となったほか、俳優としても、ロバート・アルトマン監督の『ザ・プレイヤー』や『プレタポルテ』、近年もスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』など多くの作品に出演しました。

2023年4月25日、うっ血性心不全により、ニューヨークの自宅で死去しました。私生活では、3度の結婚で子どもが4人います。娘のシャーリー・べラフォンテも、父にならい、歌手兼女優として活躍しています。

5/18:ヘルムート・バーガー(78歳)

オーストリア生まれのヘルムート・バーガーは、大学生のとき、巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見初められ、1966年の映画『華やかな魔女たち』で映画デビューしました。その後、1969年の『地獄に堕ちた勇者ども』で一躍世界的スターに。

ともにバイセクシュアルだったヴィスコンティとヘルムートは、公私にまたがる仲となり、『ルートヴィヒ』や『家族の肖像』などの数々の名作を生んでいます。

ヴィスコンティの死後は、なかなか良作に恵まれず、薬物とアルコールに溺れて自殺未遂を図ったり、半引退状態に追い込まれたりするなど、荒んだ生活を送ります。2019年の主演映画『リベルテ』は、カンヌ国際映画祭ある視点部門の審査員特別賞に輝きましたが、それが最後の出演映画となりました。

2023年5月18日、オーストリアのザルツブルクで死去。死因は公表されていませんが、2019年には健康上の理由から正式に引退表明をしていました。

6/12:トリート・ウィリアムズ(71歳)

トリート・ウィリアムズは、1951年12月1日、コネティカット州スタンフォード生まれ。ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』の1979年の映画版で主要キャストのジョージを演じ、一躍注目を集めました。

その後は、ブロードウェイ・ミュージカル『グリース』のダニー役、1981年の『プリンス・オブ・シティ』、1984年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、1998年の『ザ・グリード』などの映画、ドラマシリーズ『エバーウッド 遥かなるコロラド』など数多くの作品に出演し、実力と人気を兼ね備えた俳優として活躍しました。

2023年6月12日、バイクを運転中に車に追突され、搬送先の病院にて死去しました。享年71。ライアン・マーフィーが手掛けるドラマシリーズ『フュード/確執』のシーズン2が最後の出演です。私生活では、ドラッグ依存に苦しんだ80年代を経て、1988年に結婚した女性と最後まで添い遂げました。子どもは2人います。

没日不詳:ジュリアン・サンズ(65歳)

ジュリアン・サンズは、英国ヨークシャー州出身のイギリス人俳優です。1986年の映画『眺めのいい部屋』、1991年の『裸のランチ』、1993年の『ボクシング・ヘレナ』、1995年の『リービング・ラスベガス』、2011年の『ドラゴン・タトゥーの女』など、数々の作品で異彩を放つ性格派俳優として活躍しました。

冷酷ともみえるクールな存在感から、残酷な悪役を演じることも多かった俳優ですが、私生活もあまり公にはしていませんでした。実際は、1984年に英国人ジャーナリストと結婚し一男をもうけたものの1987年に離婚。1990年にアメリカ人ジャーナリスト兼劇作家の女性と再婚し、二女をもうけています。

2023年1月13日、趣味のトレッキングに出かけたカリフォルニア州サン・ガブリエル山脈で消息不明に…。半年後の6月24日に遺体が発見され、27日に身元が判明しました。死因は現在も調査中です。遺作は2023年3月に劇場公開されたドイツ・モロッコ合作映画『Seneca – On the Creation of Earthquakes』です。

6/30:アラン・アーキン(89歳)

アラン・アーキンは、まずブロードウェイで活躍し、トニー賞など数々の賞を受賞。映画デビュー作となった1966年の『アメリカ上陸作戦』でも、いきなりアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた実力派です。

代表作には、オードリー・ヘプバーン主演の『暗くなるまで待って』、1968年の『愛すれど心さびしく』、そして2006年の『リトル・ミス・サンシャイン』では、見事アカデミー賞助演男優賞に輝きました。

私生活では3度の結婚歴があり、2人の息子も俳優です。2023年6月29日、カリフォルニア州のサンマルコスにある自宅にて、持病の心臓疾患により89歳で死去しました。



7/16:ジェーン・バーキン(76歳)

ジェーン・バーキンは、1946年12月14日、英国ロンドン生まれ。女優、歌手、モデルとして精力的に活動したばかりか、作曲家ジョン・バリーとの間に写真家ケイト・バリー(2013年に自死)、セルジュ・ゲンズブールとの間に女優のシャルロット・ゲンズブール、映画監督ジャック・ドワイヨンとの間にルー・ドワイヨンをもうけました。

女優としての出演作には、カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた1967年の『欲望』、『太陽が知っている』、1978年の『ナイル殺人事件』、2012年の『ある愛へと続く旅』などがあります。また、自身の名前が付けられたエルメスのバッグも有名です。親日家としても知られ、東日本大震災の際には多大な支援をしてくれました。

かねてから病気療養中のところ、2023年7月16日、パリの自宅で死去。享年76歳。遺作は、次女のシャルロットが監督を務めた2021年のドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロッテ』で、日本では2023年8月公開です。

7/30:ポール・ルーベンス(70歳)

「ピーウィー・ハーマン」のキャラクターで世界的な人気スターとなったポール・ルーベンス。スタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートさせたのち、テレビ番組『ピーウィーのプレイハウス』や、『サタデー・ナイト・ライブ』『セサミ・ストリート』などにも出演して、国民的人気コメディアンの座を不動のものとします。1985年の初主演映画『ピーウィーの大冒険』もヒットしました。

ところが、人気絶頂期の1991年、ポルノ映画館での性的行為が発覚して逮捕。仕事の一時休止から徐々に再開し初めていた2002年、再び児童ポルノ所持で逮捕されてしまいます。

2016年には、久しぶりに映画『ピーウィーのビッグホリデー』がNetflixで配信されるなど、復活が期待されましたが、2023年7月30日、併発していた肺がんと骨髄性白血病から、呼吸不全を起こして死去しました。70歳でした。

7/31:アンガス・クラウド(25歳)

アンガス・クラウドは、1998年7月10日、カリフォルニア州オークランド生まれ。2019年に始まり、2022年にはシーズン2も放送された人気ドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』における麻薬ディーラーのフェズコ役で、一躍世界的に広く知られるようになりました。

クラウドは、ニューヨークの街角を歩いているときに、いきなりスカウトされて抜擢された素人でした。

これからが期待されていた2023年7月31日、オークランドの家族の自宅にて遺体で発見されます。かねてから心の病に苦しんでいたとも言われており、また1週間前に父を亡くしていたことから、自殺説も取りざたされました。しかし、後日、薬物の過剰摂取による事故死だったことが公式に発表されています。

8/7:ウィリアム・フリードキン(87歳)

ウクライナから移民してきたユダヤ系の両親のもと、イリノイ州シカゴに生まれたウィリアム・フリードキンは、1967年の『ソニーとシェールのグッド・タイムス』で映画監督としてデビューしました。

1970年の映画『真夜中のパーティー』で注目され、翌1971年の『フレンチ・コネクション』では、監督賞や作品賞を含むアカデミー賞5冠に輝きます。1973年のオカルト映画『エクソシスト』は世界的に大ヒットし、アカデミー賞10部門ノミネート、2部門受賞の高い評価を得ました。

その後に発表した『恐怖の報酬』、『クルージング』や『L.A.大捜査線/狼たちの街』など、中には賛否の分かれた作品もありますが、70年代ほどの大ヒット作に恵まれることはありませんでした。

2023年8月7日、ロサンゼルスの自宅にて肺炎と心不全を併発し、87歳で死去しました。私生活では4度の結婚歴があり、最初の妻は女優のジャンヌ・モロー、2人目の妻も女優のレスリー=アン・ダウンです。

10/14:パイパー・ローリー(91歳)

1932年1月22日、ミシガン州デトロイトに生まれたパイパー・ローリーは、1961年公開の映画『ハスラー』で、ポール・ニューマンの相手役を演じ、アカデミー主演女優賞候補となるなど、一躍注目されました。その後、しばらくほぼ引退状態にあったものの、衝撃的なカムバック作となったのが、1976年に公開されたオカルト映画の傑作『キャリー』です。

その中で、主人公キャリーの異常に狂信的なクリスチャンの母マーガレット・ホワイトを演じ、強烈な印象を残しました。アカデミー助演女優賞にノミネートされています。

その他の作品には、やはりアカデミー助演女優賞にノミネートされた1986年の映画『愛は静けさの中に』、ゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞した世界的大ヒットドラマシリーズ『ツイン・ピークス』などがあります。

私生活では、1962年に映画評論家のジョー・モーゲンスターンと結婚しましたが1982年に離婚。養女が一人います。2023年10月14日、老衰により91歳で死去しました。

10/28:マシュー・ペリー(54歳)

1994年から2004年にかけ、大人気を博したテレビドラマ『フレンズ』で主人公の1人チャンドラーを演じたマシュー・ペリー。2023年10月28日、ロサンゼルスの自宅にあるジャグジーで死亡しているのが発見されました。54歳。

死因はまだはっきりしていませんが、警察は、溺死だと一部メディアに告げたとの報道もあります。1997年ごろから抱えていた薬物とアルコール依存症から、2001年にはリハビリ施設に入所していたこともあり、それと関連付ける声もあります。

1969年8月19日、マサチューセッツ州出身で、1987年にテレビドラマでデビュー。『フレンズ』のチャンドラー役で一躍人気スターの地位を確立しました。

私生活では、ジュリア・ロバーツやリジー・キャプランらと交際していた時期もあり、2020年にはマネージャーの女性と婚約しましたが、翌年には破局しており、結局、独身を貫きました。2022年11月に回顧録「Friends, Lovers, and the Big Terrible Thing: A Memoir」を発表しています。

12/8:ライアン・オニール(82歳)

60年代にドラマシリーズ『ペイトンプレイス物語』で一躍人気者となり、その後、世界中で大ヒットした『ある愛の詩』、バーブラ・ストライサンドと組んだ『おかしなおかしな大追跡』など複数の作品、実の娘のテイタム・オニールと共演した『ペーパー・ムーン』などで知られるライアン・オニール。2023年12月8日、82歳で死去したことを息子でスポーツ記者のパトリック・オニールが公表しました。

2001年に慢性骨髄性白血病、2012年に前立腺がんを公表。闘病と並行して仕事に復帰し、ドラマ『BONES -骨は語る-』などいくつかの作品に出演していました。遺作映画は、ナレーションを担当した2015年のドキュメンタリー『Unity』(日本未公開)です。

私生活では、1963年に女優のジョアンナ・ムーアと結婚し、テイタムと長男グリフィンをもうけましたが、1967年に離婚。同年、女優のリー・テイラー=ヤングと再婚し、次男パトリックをもうけますが、こちらも1973年に離婚に終わりました。1979年より女優のファラ・フォーセットと交際し、一時ライアンの浮気が原因で破局していた時期もありますが、2001年に復縁し、ファラが2009年に死去するまで添い続けました。ファラとの間にも三男レイモンドをもうけています。パトリック以外の子どもたちとは、虐待や薬物の問題から複雑な関係にありました(テイタムとは2011年に和解)。



追悼2023

2023年に他界したスターの中から、日本でもなじみの深い人を選びました。ジュリアン・サンズの山での死、トリート・ウィリアムズの交通事故死などは衝撃的であり、とても残念です。

2022年、2024年の訃報については、以下の記事をご覧ください。

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