『キャリー』1976年版キャスト8人のその後と現在(2023)

キャリー 映画

1976年に公開され、大ヒットしたオカルト映画の傑作『キャリー』。

あと数年でなんと50年が経とうとしていますが、今なおオカルト・ホラー映画の金字塔として、映画史に燦然と刻まれています。

おぞましくもショッキングな物語に加え、本作の大きな魅力となっているのがキャストたち。主要キャスト8人のその後と現在についてご紹介します。

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1976年版『キャリー』について

「ホラーの帝王」として知られるスティーヴン・キングが1974年に発表した同名デビュー小説を原作に、異才ブライアン・デ・パルマ監督がメガホンをとり、1976年に公開された映画が『キャリー』です。

翌年のアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞し、またオカルト映画としては珍しく、主人公とその母を演じたシシー・スペイセク、パイパー・ローリーが、そろってアカデミー賞主演女優賞・助演女優賞にノミネートされるなど、異例の高い評価を得ました。

1999年には続編『キャリー2』が公開されましたが、こちらはたいした話題にもならず失敗。2013年には、クロエ・グレース・モレッツとジュリアン・ムーアの主演によるリメイク版が公開され、それなりに高い評価を得ましたが、オリジナルの1976年版を超えるものではありません。

母娘を演じた2人はもちろん、彼らを取り巻く人物たちの演技も素晴らしく、実際、当時は無名の若手に過ぎなかった彼らの多くは、その後大きく飛躍しています。

まずはその前に、簡単にあらすじをふりかえります。

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■あらすじ(ネタバレ結末は閉じページ)

狂信的なクリスチャンである母マーガレットのもと、極端に内気で未成熟なまま育った女子高生キャリー。体育の授業後のシャワールームで迎えた初潮に動転したキャリーは、クラスメイトたちから壮絶ないじめを受けます。

担任のコリンズ教師は、いじめに関わった女子たちに厳しい処分を下します。コリンズに反抗したクリスは、プロム・パーティーへの参加を禁ぜられ、そのことでキャリーに激しい恨みを抱くことになるのでした。

逆に罪悪感からいじめを後悔するスーは、自分の恋人トミーに頼み、キャリーをプロムに誘わせます。

キャリーは一抹の不安を抱えながらも、母の強い反対を押し切り、トミーのエスコートでプロムに参加。束の間の幸せと楽しい時間を過ごしたばかりか、なんと投票によってその日のベストカップルに選ばれ……。

周囲から祝福されてステージに上がる2人。しかし実は、クリスと彼女の恋人ビリーノーマらが仕組んだ罠であり、恐ろしい仕打ちがステージ上のキャリーを待っていました。

幸せの真っ只中にいたキャリーを襲ったのは、頭上のバケツから降り注いだ大量の豚の血。会場は一気に爆笑の渦に包まれます。

しばらく呆然と立ちすくんでいたキャリーは、ついに表情を一変させ、怒りを爆発。かねてから自身に芽生えていた超能力を解放し、参加者全員を皆殺しにします。

車でひき殺そうとしたクリスとビリーをも爆死させ、一人帰宅したキャリー。しかし、慰めてくれるどころか、汚れた存在として自身を殺害しようとした母をも殺し、一緒に崩壊する家屋の下敷きとなるのでした。

唯一生き残ったスーが、悪夢にうなされるシーンで映画は終わります。

『キャリー』1976年版主要キャスト8人のその後と現在・私生活

主要キャストを8人選びましたが、残念ながら故人が一人います。

また情報は、2023年12月現在のものです。



本作で一躍スターダムにのし上がったシシー・スペイセクは、1949年12月25日、テキサス州生まれ。1973年の『地獄の逃避行』でその演技力と存在感が注目され、本作への抜擢に繋がりました。

その後は演技派女優として不動の地位を築いています。翌年の映画『三人の女』でニューヨーク映画批評家協会賞助演女優賞、1980年の『歌え!ロレッタ愛のために』では、実在のカントリー歌手ロレッタ・リンを見事に演じ、アカデミー主演女優賞など名だたる賞を席巻しました。 同じく数々の賞に輝いた2001年の『イン・ザ・ベッドルーム』も代表作の一つです。

現在も数々の映画やドラマで圧倒的な存在感を放ち続けていますが、比較的新しい話題作では、Amazonプライムビデオで2022年に配信されたJ.K.シモンズとの共演ドラマ『天空の旅人』、実の娘、ダスティン・ホフマン、ホフマンの実の息子が共演した2022年の映画『Sam & Kate(原題、日本未公開)』などがあります。

私生活では、1974年に『地獄の逃避行』で出会った美術監督のジャック・フィスクと結婚し、娘が2人います。長女が、上記『Sam & Kate』に出演した女優兼歌手のシュイラー・フィスクです。

狂信的な母を演じ、強烈な印象を残したパイパー・ローリーは、1932年1月22日、ミシガン州出身。ポール・ニューマンの恋人を演じた1961年の『ハスラー』で、アカデミー主演女優賞候補となるも、その後はドラマ2作と舞台1作のみで、映画界からは事実上の引退状態にあったところ、カムバックとなったのが本作です。

この後は、1986年の映画『愛は静けさの中に』で再びアカデミー助演女優賞ノミネート、1986年のテレビ映画『Promise』でエミー賞助演女優賞、1990年のドラマ『ツイン・ピークス』でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞するなど、名優として活躍しました。

2023年10月14日、老衰により91歳で死去。プライベートでは、1962年に映画評論家のジョー・モーゲンスターンと結婚し、養女が一人いますが、1982年に離婚しています。

キャリーの唯一の理解者と思いきや、最後は裏切る女性教師コリンズを演じたベティ・バックリーは、1947年7月3日生まれ、テキサス州出身。映画やドラマのほか、なんといってもミュージカル・スターとして、また実力派歌手としてのキャリアには華々しいものがあります。

ブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ』で「メモリー」を歌うグリザベラ役でトニー賞助演女優賞、『トライアンフ・オブ・ラヴ』で二度目の同賞に輝いたほか、『サンセット大通り』や『ジプシー』など人気ミュージカルにより数々の受賞・ノミネートを誇ります。

映画では、1983年の『テンダー・マーシー』でカントリー歌手に扮したばかりか、歌った曲が歌曲賞、主題歌賞の候補となりました。ミュージカルのキャスト・アルバムのほか、自身も複数のアルバムをリリースしており、グラミー賞の候補となっています。

70代となった今も現役であり、2016年のホラー映画『スプリット』ではサターン賞候補、2018年から19年にかけて『ハロー・ドーリー!』の全米ツアーを成功させました。私生活では、70年代に一度結婚・離婚歴があるだけで、子どもはいません。

キャリーのプロムのパートナーとなるトミーを演じたウィリアム・カットは、1951年2月16日、ロサンゼルス生まれ。両親とも俳優です。端役を経て、本作のトミー役で注目されました。

この後、1978年の映画『ビッグ・ウェンズデー』、1979年の『新・明日に向って撃て!』など話題作が続き、1981年にスタートしたドラマシリーズ『アメリカン・ヒーロー』では、人気スターの地位を不動のものとしました。80年代には、テレビ映画『新・弁護士ペリー・メイスン』シリーズで、母親と共演も果たしています。

新しいところでは、2022年公開のアクション映画『レッドライン 奪還』などがあります。

私生活では、1979年に一般女性と結婚し、二男をもうけましたが1992年に離婚。1993年に再婚し、妻の連れ子のほか一女をもうけています。



クリスのボーイフレンドであるビリーを演じたのは、当時まだほとんど無名だったジョン・トラボルタです。1954年2月18日生まれ、ニュージャージー州出身。翌1977年の『サタデー・ナイト・フィーバー』、1978年の『グリース』、1980年の『アーバン・カウボーイ』と続く、世界的大スターへの飛躍については、あえて説明するまでもありません。

低迷期を何度もはさみつつ、1994年の『パルプ・フィクション』、1997年の『フェイス/オフ』、2007年のミュージカル『ヘアスプレー』など、ときおり話題作で大スターらしい存在感を発揮しています。

比較的新しい作品には、テレビシリーズ『アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件』、Amazonプライムビデオ配信の映画『ダイ・ハート』などがあります。

1991年に女優ケリー・プレストンと結婚し、3人の子どもをもうけましたが、2009年に長男ジェットが16歳で急死、また妻のケリーも、2020年、乳がんにより57歳で死去しています。トラボルタ自身は、サイエントロジーの信者としても有名です。

本作きっての悪女ともいえるクリス役を好演したナンシー・アレンは、1950年6月24日、ニューヨーク州生まれ。本役柄で注目を集め、以後、ブライアン・デ・パルマ監督とは公私に渡るパートナーとなりました。

2人は1979年に結婚。1980年の『殺しのドレス』、1981年の『ミッドナイトクロス』といった作品でコンビを組みますが、1983年、離婚に終わりました。その後のナンシー・アレンの代表作としては、80年代から90年代にかけて3シリーズ公開された映画『ロボコップ』のヒロイン役があります。

最近の出演作品では、ドキュメンタリー映画のシリーズ『In Search of Darkness: Part II』や『In Search of Tomorrow』などがありますが、残念ながら日本未公開です。

私生活では、デ・パルマのあと、2度再婚しましたが、いずれも離婚に終わります。2008年以降は、知人の死をきっかけに、がん患者のサポートや啓蒙活動に熱心に取り組んでおり、またインスタグラムには新しいパートナーとの仲睦まじい写真が頻繁にアップされています。

キャリーに罪滅ぼししようとするスーを演じたエイミー・アーヴィングは、1953年9月10日、カリフォルニア生まれ。母も女優のプリシラ・ポインターで、本作でも母娘役で共演しています。

本作で映画デビューしたのち、1978年の『フューリー』、1980年の『コンペティション』、1983年の『愛のイエントル』と話題作に出演しました。1988年の『デランシー・ストリート/恋人たちの街角』ではゴールデングローブ賞主演女優賞候補となっています。

最近の作品では、アマンダ・サイフリッドと共演した映画『星の消えた空に』があります。

私生活では1985年にスティーヴン・スピルバーグと結婚し、一男をもうけますが、1989年に多額の慰謝料を得て離婚。1996年に、やはり映画監督のブルーノ・バレットと結婚し、一男をもうけていますが、こちらにも2005年に離婚。2007年にドキュメンタリー監督のケネス・バウザーと3度目の結婚をしています。

クリスとグルの女友達ノーマを演じたP・J・ソールズは、1950年7月17日、父の仕事の関係で当時の西ドイツ、フランクフルトに生まれました。端役でのドラマ出演などを経て、本作で広く知られるようになりました。

その後、1978年の『ハロウィン』、1979年の『ヤング・ゼネレーション』、 1980年の『プライベート・ベンジャミン』、1981年の『パラダイス・アーミー』など、立て続けに話題作に抜擢。今日にいたるまで脇役ながらもたくさんの映画・ドラマに出演しています。

私生活では3度の結婚・離婚歴があり、1978年から1983年まで婚姻関係にあった2度目の夫は俳優のデニス・クエイドです。子どもは3人目の夫との間に一男一女がいます。



『キャリー』を生んだスティーヴン・キングとブライアン・デ・パルマの現在

以上、故人1人を含む8人の主要キャストのその後と現在や私生活をご紹介しました。パイパー・ローリーの訃報に際しては、共演したキャストの多くが自身のSNSなどで追悼の写真や言葉を寄せており、仲の良さがうかがえます。

それにしても当時はまだ無名ながら、その後大きく飛躍することになる若手俳優が多数キャスティングされていることには、あらためて驚かされます。

最後に、原作者スティーヴン・キングと監督ブライアン・デ・パルマのその後と現在について簡単にご紹介します。

1947年9月21日生まれで、70代中盤となった今も、現役で新作を発表し続けています。 デビュー作『キャリー』以後、たくさんの著作が映画化・ドラマ化されているのは言うまでもありませんが、中にはホラーではなく『ショーシャンクの空に』や『スタンド・バイ・ミー』『グリーンマイル』といった人間ドラマも少なくありません。

私生活では、1971年に同じ小説家のタビサ・キングと結婚し、一女二男、3人の子どもの父親でもあります。

1940年9月11日生まれのブライアン・デ・パルマは、1968年の映画『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』が、ベルリン国際映画祭銀熊賞に輝いたのに続き、主に70年代から90年代にかけて多くの傑作、また賛否両論うずまく問題作を量産しました。

代表的作品に、1972年の『悪魔のシスター』、1974年の『ファントム・オブ・パラダイス』、1983年の『スカーフェイス』、1987年の『アンタッチャブル』、 1996年の『ミッション:インポッシブル』などがあります。2019年に公開された『ドミノ 復讐の咆哮』が、現在のところ最後の監督作です。

私生活では、既述のナンシー・アレンのあと2度結婚していますが、いずれも離婚に終わっています。2度目の結婚で一女、3度目の結婚で一女をもうけています。

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