【訃報2025】死去した日本で有名な海外映画スター6人紹介(私生活/代表作)

訃報2025 映画

惜しむらくも、2025年に入って死去した海外の映画スターをご紹介します。

日本でも比較的なじみの深い人を選び、代表作やキャリア、死因、私生活などの素顔についてまとめてみます。

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2025年に死去した海外映画スター<死因・素顔・代表作>

2025年に亡くなった映画スターの中から、日本でも比較的名の知られた方を選びました。

『エレファント・マン』『ブルーベルベット』『ツイン・ピークス』『マルホランド・ドライブ』など数々の異色作をうみだし、「カルトの帝王」とも呼ばれたデヴィッド・リンチ

1946年1月20日、モンタナ州ミズーラ生まれ。画家志望から映画に転身し、1967年に短編映画で監督デビューしました。1977年の初長編『イレイザーヘッド』でカルト的人気を博し、続く1980年の『エレファント・マン』はアカデミー賞で8部門にノミネートされ、一躍世界的名声を確立するに至っています。

テレビドラマ『ツイン・ピークス』が社会現象を巻き起こしたほか、『ワイルド・アット・ハート』でカンヌ国際映画パルム・ドール、『マルホランド・ドライブ』で同映画祭監督賞など、もはやカルトの域を超えた巨匠となりました。

2020年より肺気腫を患っており闘病生活を送っていましたが、2025年1月16日、山火事を逃れて避難していた娘の家で死去しました。78歳。直接の死因は心停止と公表されています。

私生活では4度の結婚・離婚歴があるほか、イザベラ・ロッセリーニとの交際も有名です。子どもは合わせて4人おり、一度目の結婚でもうけたジェニファー・リンチも映画監督です。

大ヒットドラマシリーズ『ゴシップガール』のジョージーナ・スパークス役で日本でも人気のあったミシェル・トラクテンバーグ

1985年10月11日、ニューヨーク生まれ。幼い頃から子役として活躍し、1996年の主演映画『ハリエットのスパイ大作戦』、ドラマ『バフィー 〜恋する十字架〜』で演じたヒロインの妹役などで注目を集めました。

2007年にスタートしたドラマシリーズ『ゴシップガール』で演じたジョージーナ役は、その悪女ぶりで世界的人気を博しました。

2月26日朝、ニューヨークの自宅で意識不明の状態になっているのを実母が発見。その後死亡が確認されました。39歳。死因は公表されていませんが、最近、肝臓移植手術を受けたばかりで、深刻な健康問題を抱えていたと言われています。

1960年代から長きに渡りハリウッドを代表する名優として活躍したジーン・ハックマンは、1930年1月30日、カリフォルニア州サン・バーナディノ生まれです。アクターズ・スタジオに学び、長い下積みを経て1964年の『リリス』で映画デビューを果たしました。

1967年の『俺たちに明日はない』で主人公の兄を演じ、アカデミー助演男優賞にノミネートされるなど、ようやく実力派としての地位を固めます。

その後は、アカデミー賞主演男優賞に輝いた『フレンチ・コネクション』はじめ、『ポセイドン・アドベンチャー』『スケアクロウ』『カンバセーション…盗聴…』など数々の大作・ヒット作に出演。1992年の『許されざる者』では、再びアカデミー賞の助演男優賞に輝きました。2004年の映画『ムースポート』を最後に、事実上の第一線からの引退をしています。

2025年2月26日、サンタフェの自宅で、2人目の妻であるピアニストの日系アメリカ人ベッツィー・アラカワと一緒に亡くなっているのが警備員によって発見されました。死因等はいまだ調査中です。ちなみに、子どもは最初の結婚で3人います。

ワイルドな男性らしさで人気の高かったヴァル・キルマーは、1959年12月31日、ロサンゼルス生まれ。ジュリアード音楽院演劇科に学び、1984年の『トップ・シークレット』で映画デビューを果たしました。1986年の『トップガン』で演じたパイロット役で注目を集めたほか、1991年の『ドアーズ』主演、1995年の『バットマン フォーエヴァー』主演で名実ともに大スターの仲間入り果たしています。

2017年には咽頭がんを公表。闘病を続ける一方、2021年にはその姿と半生を綴ったドキュメンタリー映画『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』も公開されました。

2025年4月1日、肺炎により65歳で死去。36年ぶりの続編となり、世界中で大ヒットした2022年の『トップガン マーヴェリック』が遺作です。

私生活では、1988年に映画で共演した女優ジョアンヌ・ウォーリーと結婚し、二子をもうけていますが1996年に破局。長男のジャック・キルマーも俳優です。

ジュリアン・マクマホンは、1968年7月27日、オーストラリアのシドニー生まれ。父親は、第20代オーストラリア首相を務めたウィリアム・マクマホンです。

1989年にテレビドラマで俳優デビュー。その後、渡米し、2000年にスタートした大ヒットドラマ『チャームド〜魔女3姉妹〜』のコール・ターナー役で一躍人気俳優となります。2003年にはドラマ『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』で主人公の形成外科医を演じ、ゴールデングローブ賞にノミネートを果たすなど、名実ともに人気俳優の地位を確立しました。

映画作品では、『ファンタスティック・フォー』 シリーズの悪役ドクター・ドゥーム役、2010年の『RED/レッド』などがあります。

私生活では、3度の結婚歴があります。1994年にオーストラリア人歌手のダニー・ミノーグ(カイリー・ミノーグの妹)と結婚するもわずか1年で離婚。1999年アメリカ人女優のブルック・バーンズと再婚し一子をもうけましたが、2001年に離婚。2014年に一般女性と3度目の結婚をしていました。2025年7月2日、がんにより、56歳で死去しました。

遺作は、2025年にNetflixで配信されたドラマシリーズ『ザ・レジデンス』であり、オーストラリア首相を演じています。

映画『キル・ビル』シリーズのバド役により日本でも人気の高い個性派俳優マイケル・マドセンは、1957年9月25日、イリノイ州シカゴ出身。ゲイリー・シニーズやジョン・マルコヴィッチも所属していたシカゴの「ステッペンウルフ・シアター・カンパニー」の舞台を踏み、1983年の『ウォー・ゲーム」で映画デビューしました。

1991年の『テルマ&ルイーズ』、そして翌1992年の『レザボア・ドッグス』のミスター・ブロンド役で、国際的な人気俳優となります。クエンティン・タランティーノ監督のお気に入り俳優となり、上記『キル・ビル』2作品、2015年の『ヘイトフル・エイト』などにも出演しました。

私生活では、3度の結婚により実子は合わせて6人います。長男のクリスチャン・マドセンが俳優として活動している一方、2022年には、五男のハドソンを自死で失うという悲劇も経験しました。

2022年に不法侵入で、2024年には妻への暴力で逮捕されるなど、近年は決して穏やかとは言い難い中、2025年7月3日、マリブの自宅において心停止を起こし、67歳で死去しました。



訃報2025

2024年は大御所スターが相次いで亡くなった1年でしたが、2025年も、早くも残念な訃報が届いています。

今後も情報があり次第、追記していきたいと思います。

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