世界的ファッションデザイナーのトム・フォードがメガホンをとった、2009年公開の映画『シングルマン』。
監督デビュー作でありながら、ゲイを主人公に製作された数ある映画の中でも傑作のひとつとして非常に高い評価を得ています。
本記事では、同作のあらすじ、主要登場人物とキャストの簡単な紹介、またロケ地など製作裏話とともに、個人的な感想を交えレビューしたいと思います。
トム・フォードの監督デビュー作『シングルマン』
ファッションデザイナーとして名声を確立したトム・フォードが映画界に進出し、初メガホンをとった2009年公開の映画『シングルマン』。原作はクリストファー・イシャーウッドの同名小説であり、主人公をコリン・ファース、彼を取り巻く人物をジュリアン・ムーア、ニコラス・ホルト、マシュー・グードらが演じました。
1960年代初期のロサンゼルスを舞台に、同性の恋人を事故で亡くした喪失から、死を決意した一人の大学教授の一日を描く物語ですが、トム・フォードもクリストファー・イシャーウッドももちろんゲイです。
ヴェネツィア国際映画祭のクィア・ライオン賞、GLAADメディア賞の最優秀映画賞に輝いたほか、米・英アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などでも複数のノミネート・受賞を果たした傑作です。
■トム・フォードについて
トム・フォードは、1961年8月27日、テキサス州オースティン生まれ。1994年、当時低迷していた「グッチ」のクリエイティブ・ディレクターに就任し、見事第一線へと復活させる立役者となります。「グッチ」および兼任していた「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」の同職を前年に退任し、2005年自らのブランド「トム・フォード」を発表し、こちらも大成功に導きました。
「トム・フォード」ブランドと並行し、かねてから関心を持っていた映画業界に進出。洗練された美意識をもって初監督作として発表した作品が『シングルマン』でした。2016年には2作目『ノクターナル・アニマルズ』を発表し、こちらもヴェネツィア国際映画祭審査員大賞を受賞するなど、期待通りの評価を得ました。
2022年には、自身のブランドを「エスティローダー」に売却し、ファッション業界からは事実上の引退。2026年現在、18世紀のイタリア・オペラ界を舞台にしたアン・ライスの小説『Cry to Heaven』を原作に、待望の3作目を製作中です。
私生活ではオープンリー・ゲイとして、1986年よりファッション・ジャーナリストのリチャード・バックリーと交際。2012年に代理母出産で一男をもうけ、2014年に同性婚を挙げました。本作にカメオ出演もしているバックリーは、2021年、73歳で病死しています。
ちなみに、バックリーの前に交際していたのが舞台デザイナー、イラストレーターで、画家デイヴィッド・ホックニーの恋人兼ミューズとしても知られたイアン・ファルコナー(2023年に63歳で没)です。
■原作者のクリストファー・イシャーウッドについて
原作を執筆したクリストファー・イシャーウッドは、1904年8月26日、イングランドのチェシャーに生まれました。ケンブリッジ大学を中退し、1928年に処女作『陰謀家たち』を発表。1939年には渡米し、1946年の帰化後は、オープンリー・ゲイの作家の一人として数々の著作を発表しました。1986年1月4日、前立腺がんにより81歳で死去しています。
映画化された本作のほか、代表作の一つである短編小説『さらばベルリン』を舞台化・ミュージカル化・映画化したのが『キャバレー』です。
私生活では、1952年、48歳のときに30歳下の画家ドン・バチャーディと出会い、亡くなるまで添い遂げました。
残念ながら、日本語に翻訳発売された著作は少なく、『シングルマン』も未発売です。原書が入手できますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
映画『シングルマン』の製作裏話5選(ロケ地・カメオほか)
映画のWikipediaにもいくつかのエピソードが書かれていますが、ここではそれ以外の5つの裏話をご紹介しましょう。
①ケニー役の第一候補だった俳優
ニコラス・ホルトが演じたケニー役は、当初、別の有名俳優が演じる予定でした。トム・フォードはその名を伏せていましたが、のちに『リトルダンサー』の主演子役から実力派へと成長した俳優のジェイミー・ベルだったことが判明。
クランクインの5日前、衣装のフィッティングにベルが現れなかったため、降板が決定し、オーディションを受けていたニコラス・ホルトが急遽抜擢されたのです。
トム・フォードはニコラス・ホルトを気に入り、のちに自身のブランドのキャンペーンモデルに起用しています。
②コリン・ファースが演じた主人公の大学教授の名前
原作小説においては、主人公の名前に「ジョージ」とファーストネームしか与えられていませんが、映画化作品では、「ジョージ・カーライル・ファルコナー」とフルネームが与えられています。
「カーライル」は、実はトム・フォード自身のミドルネーム、そして「ファルコナー」は、上述の通り、トム・フォードの若いころの恋人イアン・ファルコナーからとったものです。
つまり、主人公像にはトム・フォード個人の非常にパーソナルな思いが投影されていることを意味しています。
③最愛の恋人2人がカメオ出演
2021年に73歳で亡くなったトム・フォードの恋人リチャード・バックリーは、大学構内の待合室のシーンでカメオ出演しています。また映画のエンドクレジットには、「For Richard Buckle(リチャード・バックリーに捧ぐ)」の献辞が記されています。
さらに、原作者クリストファー・イシャーウッドの恋人ドン・バチャーディも大学教授の一人としてカメオ出演。トム・フォードのインタビューによると、このとき、バチャーディは、イシャーウッドの遺品である赤いソックスをわざわざ身に着けていたそうです。
ちなみに、画家であるドン・バチャーディによる絵画作品の一つが、劇中内の壁の一つに飾られています。
④重要なロケ地2つ
主人公ジョージのハイセンスな自宅外観および内装はセットではなく、1948年、建築家のジョン・ロートナーが設計した実在する家です。
カリフォルニア州のグレンデールにある「J.W. Schaffer House」と呼ばれる別荘であり、フランク・ロイド・ライトのもとから独立したジョン・ロートナーが初めて手掛けた建築として知られています。
また、ジョージが教壇にたつ大学のロケ地は、カリフォルニア州のパサデナにある旧アンバサダー・カレッジです。
⑤スペイン人の青年カルロスを演じたジョン・コルタジャレナ
ジョージが駐車場で出会うスペイン人の青年カルロスを演じたジョン・コルタジャレナは、当時俳優ではなく人気ファッション・モデルでした。
2003年にバルセロナでスカウトされるや、翌年には「ロベルト・カヴァリ」のキャンペーンモデルに抜擢。以後、「ヴェルサーチ」や「アルマーニ」など多数の世界的ブランドの顔を務めるトップモデルとなりました。トム・フォードの目に留まり、本作で俳優デビューと同時期には、「トム・フォード」ブランドの広告にも登場しています。
2009年にはフォーブス誌が選ぶ世界のトップメンズモデルの8位に選ばれたほか、本作をきっかけに以後、映画やドラマに俳優として出演を続けています。
自らの性的志向についてはあまり公言していませんが、2014年から2016年の間、俳優のルーク・エヴァンズと交際していたことは有名です。
主要登場人物とキャスト
●ジョージ/コリン・ファース:主人公のイギリス人大学教授
●シャーロット(チャーリー)/ジュリアン・ムーア:ジョージの友人にして隣人
●ジム/マシュー・グード:8ヶ月前に交通事故死したジョージの恋人
●ケニー/ニコラス・ホルト:ジョージの教え子
●カルロス/ジョン・コルタジャレナ:ジョージが駐車場で出会う青年
映画『シングルマン』のあらすじ・名言・感想レビュー
映画のキャッチコピーは「愛する者を失った人生に、意味はあるのか?」
随分、大仰でドラマチックな宣伝文句だが、実際の内容はずっと哲学的な示唆に富んでいる。
16年つきあった恋人を交通事故で亡くしたゲイの大学教授ジョージ。
8ヶ月が過ぎたある朝、ジョージは悪夢に目覚めてこう思う。
「今日一日だけなんとか生き抜こう」
ついに自らの命に終止符を打とうと決意した、ある一日を描く。
大学での、最後の講義は「恐怖」について。
「老いや孤独の恐怖、話しかけても通じない恐怖」
それはまさしく、今、ジョージの直面している恐怖である。
ところが、念願だった死を捉え、今日は人生最後の日だと意識したとたん、今までとは違う世界が見えてくる。
講義に共感した一人の学生ケニーがジョージに近づき、後をついて回る。
ケニーは、まるで神が遣わした天使のような存在だというと、ロマンチック過ぎるだろうか。
ジョージがケニーに諭す。
「人生が価値を得るのは、他者と真の関係を築けたときだけだ」
一日の終わり、ジョージが現実と生に目覚めるのは、ケニーとの束の間のふれあいの中に、そのささやかな萌芽を見るからである。
また、行きずりの短い会話を交わす、スペイン人の青年が語る母の教えがいい。
「恋人はバスと同じ。待っていれば次が来る」
主演は、『ブリジット・ジョーンズの日記』以来お気に入りのコリン・ファース。
恋人の死を知らされる場面の演技は圧巻だ。
映画の隅々にまで、トム・フォードの美意識が貫かれている。
「トム・フォード」ブランドのワードローブを纏ったコリン・ファースはもとより、部屋のインテリアから調度品、映像の構図や色調に至る細部にまで、きめ細かな神経が行き届いている。
あまりのスタイリッシュさに、少々辟易することもあったが、観終わるとただ拍手を送りたくなる。
根底を流れているのは深い喪失と絶望である。
それはジュリアン・ムーア演じるエキセントリックな隣人も同様。
一日の最後、ジョージは、全く予期せぬ形での終焉を見ることになる。
様々な見方ができるだろうが、自分には、ある種のハーピーエンドだと思われる。
トム・フォードの長年の恋人、ヴォーグ・オム誌の元編集長リチャード・バックリーが、大学構内のシーンでカメオ出演。
エンドロールの一番最後は、For Richard Buckle。
トム・フォードが彼に捧げた愛の映画でもあるのだ。
『シングルマン』のDVDコレクターズエディションが必見!
映画『シングルマン』が気に入った方には、ぜひともDVDのコレクターズエディションがおすすめです。
トム・フォード自身によるオーディオ・コメンタリーが音声特典として聴けるほか、メイキング映像・インタビューなど約50分におよぶ特典映像も収録されています。
とりわけ、フォード自身の解説による撮影裏話は必聴の価値ありです!

