宮本輝『流転の海』舞台となった実際の場所・モデルとなった人物【実話その後】

流転の海 その他

1982年に雑誌連載が始まった第1部から、2018年刊行の第9部まで、36年をかけて完結した、宮本輝の長編小説『流転の海』。

宮本輝自身の父と母を主人公にした自伝的色彩の濃い大河小説であり、1990年には第1部が映画化もされました。

自伝とは言いつつ、すべてが完全な実話ではなく、かなりのフィクションが混在しているということになっていますが、舞台となった場所や施設などはおおむね実在し、宮本輝の公式プロフィールと照らし合わせても、ほぼ事実に沿ったものではないかと推測されます。そういった場所がどこなのかを中心に、また判明した実在人物のその後など含め、調べてみました。

スポンサーリンク

宮本輝の自伝的長編小説『流転の海』全9巻

タイトル単行本刊描かれた時代主な舞台
第一部流転の海1984昭和22-24年神戸(伸仁誕生)
第二部血の星 1992昭和24-27年愛媛/南宇和
第三部血脈の火 1996昭和27-30年大阪/中之島(伸仁・小学生)
第四部天の夜曲 2002昭和31年富山
第五部花の回廊 2007昭和32-33年尼崎
第六部慈雨の音 2011昭和34-35年大阪/福島(伸仁・中学生)
第七部満月の道 2014昭和36-38年大阪/福島(伸仁・中学→高校生)
第八部長流の畔 2016昭和38-39年大阪/福島(伸仁・高校生)
第九部野の春 2018昭和41-44年大阪/福島(伸仁・大学生)

宮本輝は、実話と創作の部分について、以下のとおり発言しています。

これは小説ですから、実際に起こったことは三分の一くらい、あとは僕の創作です。虚実混じり抜いた全九巻です。

引用:https://kangaeruhito.jp/interview/6144

たとえ担当編集者であっても、実話か、実在した人物なのか等、訊かれてもはっきり明言しようとはしなかったそうです。

『流転の海』の主人公と宮本輝、その後

小説の中の名実名その後
松坂熊吾宮本熊市昭和44年(1969)、70歳で死去
松坂房江宮本雪恵平成3年(1991)、79歳で死去
松坂伸仁宮本正仁作家・宮本輝として活動

言うまでもなく、『流転の海』の主人公とも言える松坂熊吾(まつざかくまご)は宮本輝の実父・熊市、松坂房江(まつざかふさえ)は同じく実母の雪恵、そして二人の子である松坂伸仁(まつざかのぶひと)は、宮本輝自身(本名は宮本正仁)がモデルになっています。(以下、宮本輝本人に関しては、「正仁」ではなく「輝」で統一して記述します)

全9巻で登場人物はのべ1500人を超えるとも言われていますが、モデルとなった実在人物が誰なのか、実際いるのかどうかを特定するのは、著者が口を噤む以上極めて困難でしょう。

モデルはいるが、どこまでも小説でいくんだと割り切った。それによって書きにくいことも書けると考えた

引用:https://reskill.nikkei.com/article/DGXKZO36760240S8A021C1BE0P00/

親族関係に関しては、ほぼ実在の通りでしょう。それ以外に関しては、たとえ特定のモデルがいたとしても、複数の人物を組み合わせたキャラクターになっているケースも多いのではないかと推測しています。

ただ、上記インタビューの中で、はっきりと「海老原太一」「柳田元雄」には、モデルがいることをほのめかしています。

宮本輝の他の著作からわかる、熊吾=熊市が死んだあとの母子のその後は以下の通り。

熊吾=熊市の死と同時に、残された雪恵と輝は無一文になったばかりか、多額の借金取りに追われる数年間を過ごすことになります。福島を引き払って、夜逃げするように大阪府大東市住道の小さなアパートで身をひそめるように数年を過ごしました。しかし、そこすら借金取りに見つかったようです。

伸仁=宮本輝は、友人宅に隠れ、アルバイトなど掛け持ちしながら、なんとか追手門学院大学文学部を卒業(一期生)。サンケイ広告社に入社し、コピーライターとして勤務しました。25歳(1970年)のときに大山妙子と結婚し、長男の陽平、次男の大介を相次いでもうけます。そうした中、今でいうパニック障害を発症し、会社を退職。作家を目指して修行生活に入り、1977年、ついに『泥の河』で太宰治賞、翌年『蛍川』で芥川賞を受賞し、プロの作家として独り立ちしました。

一方、母の房江=雪恵は、熊市の死後、一発奮起。アルコール依存を克服し、ビジネスホテルの従業員食堂で懸命に働きました。輝の小説が芥川賞の候補となった1978年頃まで10年近く勤務し続けたようです。(小説において、房江が「多幸クラブ」で働くエピソードは、時系列を変えてあるようです)。1980年、胃がんが見つかりますが、手術で胃の4分の3を切除して回復。1991年に脳梗塞で倒れ、79歳で死去しました。自宅で、孫たち家族に見守れながら穏やかな臨終を迎えたようです。

小説に登場する親族関係は、おおむね事実に沿ったもののようですが、伸仁の従兄にあたる明彦のその後については、妻子を残し、心不全により42歳の若さで亡くなったことが、別の著作の中に綴られています。

また、第9部に登場する伸仁の恋人で女子学生の大谷冴子。25歳のときに結婚した宮本輝の妻・大山妙子と氏名が似ており、おそらくこの女性と数年後に結婚したことは間違いないでしょう。



物語の舞台となった実際の場所・実在の施設を紹介

筆者の推測を含みます。

伸仁は、神戸市灘区弓木町の「石屋川のほとり」にある屋敷に誕生しますが、それはそのまま宮本輝誕生の地と一致します。熊吾はしばしば、伸仁を連れて石屋川沿いを散歩し、また伸仁が急病の際は、石屋川沿いを下り、「六甲道駅」前の「筒井医院」まで伸仁を運ぶという描写がありました。

公式プロフィールに記載されている宮本輝生誕の住所「神戸市弓木町2丁目6番地」は、そのまま現在の「神戸市灘区弓木町2丁目」に一致し、地図では上記の場所。まさに石屋川のほとりです。

弓木町から徒歩約15分の位置に「六甲道駅」も実在します。駅前にあると書かれた「筒井医院」に相当する病院は、残念ながら現在は見当たりません。

伸仁と房江の健康のことを考え、一家で熊吾の故郷である愛媛県・南宇和郡に引越しますが、それも事実に即しています。

熊市の故郷も「愛媛県南宇和郡」であり、すでに他人の手に渡っていた生家自体は「一本松村・広見」に、母妹が暮らす住まいは隣接する「城辺町」にありました。(ともに現在の愛南町に相当)

『第二部 地の星』の中で、子どものころ、「上大道の伊佐男」こと増田伊佐男と境内で相撲をした際、大ケガをさせて足を不自由にした場所として登場した「日枝神社」は、広見に実在します。

上大道」の地名も実在。増田伊佐男が実在した人物かどうかは不明ですが、いずれにせよ、熊市はもちろん、幼い輝も一度ぐらい足を運んだ神社だったのではないでしょうか?

愛媛から大阪に戻ってきた松坂一家が暮らすのは、中之島にある3階建てのビル。作中では「船津橋のビル」と呼ばれています。

『第三部 血脈の火』の中で、「家の前に堂島川が流れ、船津橋が架かり…(中略)…家の裏側が土佐堀川をのぞんで、ちょうど真正面に昭和橋」と描写される「大阪市北区中之島7丁目7番地」は、まさに現在、上の写真の白い建物があるあたりでしょうか?「中之島7丁目7番地」は、現在の「中之島6丁目」にあたります。

「流転の海」中之島

1966年(昭和41年)撮影の空撮写真でみると、数軒が並んだ赤で囲んだあたりでしょうか? ただ、宮本輝自身が述べているとおり、高速の橋が架ったりして、この当時の面影は今は完全に失せてしまっています。

この時期、伸仁がバスで通った「大阪市立曾根崎小学校」は2007年に閉校。現在は取り壊され、跡地には高層マンション「梅田ガーデンレジデンス」が立っています。

大阪を引き払い、再出発しようと、松坂一家は富山にやってきます。最初に仮住まいとしたのが、富山市豊川町にある高瀬家の家、そのあと借りて移り住んだのは、大泉本町にある大工の家の2階でした。

豊川町」「大泉本町」とも、今もそのまま実在する地名です。

大泉本町の家は、「いたち川」に架る「見竜橋」のそばと描写されていますが、現在の「見竜橋」が上記の写真です。

伸仁は「富山市立八人町小学校」に転入しましたが、同校は2005年、新設の芝園小へ統合されて閉校。校舎は現在、「富山市教育センター」として利用されています。

富山から大阪に戻った松坂一家は、熊吾と房江がしばらく「船津橋のビル」に、伸仁は尼崎に暮らす熊吾の妹タネのもとに預けられます。熊吾が「貧困の巣窟」だと呼んだ「蘭月ビル」の場所については、「国道二号線に面した尼崎市の東難波という停留所の前」と記載されており、それは現在の上の場所に相当します。

停留所は今も現存し、ビジネスホテルと横に2階建ての駐車場があります。

宮本輝の他の著作では、ビル(アパート)ではなく長屋と書かれているものもあり、どちらが事実かはわかりませんが、場所はここか、多少停留所が移動したとしてもこの近くで間違いないでしょう。

この時期、伸仁が転入した「尼崎市立難波小学校」は、現在も同地に実在します。ただ校舎は当時のものではなく、その後新築・改修がなされているようです。



熊吾が柳田元雄と手を組み、福島に開業する大型駐車場「シンエー・モータープール」。松坂一家は、晩年愛人宅に入り浸りだった熊吾はともかく、ここの住み込み管理人として長く暮らすことになります。

もともと女学校があり、移転計画および火災によって空地となった場所です。女学校とは、1937年、福島区上福島西通に開校した「大阪商科女学校」(その後、何度か改称し、1958年、大阪市西淀川区へ移転した現在の好文学園女子高等学校の前身)であり、正確な場所は文中で「福島西通りの南東側の角にある」と記載される上記の場所です。

現在の跡地には「福島阪神ビルディング」が立っています。

1966年(昭和41年)当時の空撮写真を見ると、ぼんやりながら、同地にたくさんの自動車が駐車されているのがなんとなく確認できるような気がするのですが、いかがでしょうか?

文中、住所は「福島区上福島南二丁目」と記述されていますが、そこは現在の福島三丁目に相当しますので、上記の場所で間違いないでしょう。

熊吾が新たに鷺洲に開業する「中古車のハゴロモ」。

車が頻繁に行きかう鷺洲の大通りに面した場所だと記載されており、『第六部 慈雨の音』の中では、「その道は、東は大阪駅の北口へ、西は国道二号線の海老江の大きな交差点へとつながる」と書かれていることから、写真の「大阪市道九条梅田線」沿いのどこかだと推察できます。

全く当時の面影はなく、場所の特定は困難です。

熊吾は、鷺洲の北に隣接し、歩いて行ける「大淀」に「ハゴロモ」の二号店を出店します。歩いて向かう道中に伸仁の通う「私立関西大倉中学校・高校」があるとありますが、それも事実に基づいています。

小説でも描写されたとおり、このころ、「大倉中学校・高校」は「朝日放送(ABC)」に土地を売却し、茨木市に移転しています。同地にあった「朝日放送」も現在は移転して再開発され、歩道に学校があったことを示す小さな黒い石碑のみが残っています。

熊吾は、何人かの出資者をつのって千鳥橋に「大阪中古車センター」を開業する仕事に関わります。『第八部 長流の畔』の中で、「千鳥橋の停留所から小さな橋を渡ってすぐ川沿いの道に…(中略)…門扉も、それに代わる柵もない入口から工場跡地に入る」と描写される、凶暴な野犬だらけの空地は、上記の場所だと推察します。

仲介者の丹下から「住宅公団」が再開発に目をつけていると教えられるシーンがありますが、実際、敷地に隣接するようにURのマンションが何棟か見られます。ただ、現在もまだ広大な空き地状態が広がっているのは驚きます。もしかして、何やらいわくつきの闇物件なのかもしれません。

生活が苦しくなった房江が、新聞の求人広告で見つけ、働き始めるのが東梅田、兎我野町にある「多幸クラブ」というホテル内の従業員食堂でした。文中、「大正9年創業で各地に4軒」「創業当時は、主にお寺に詣でる人たちのための宿だった」と説明されていることから、同地に実在する「ホテル法華クラブ 大阪」だと考えて間違いないでしょう。

ただ上述の通り、小説と実話では時系列を変えてあり、房江=雪恵がここで働くのは夫が死んでからです。

「ホテル法華クラブ 大阪」は、現在も兎我野町で営業を続けています。

脳卒中をおこして倒れた熊吾が、救急車で運ばれた病院が「須藤病院」でした。『第九部 野の春』の中で、「玉川町と西九条の中間の市電の走る道沿いにある」と描写されていますが、現在、地図のまさにその位置にあるのが「首藤病院」。名前も似ており、この病院がモデルではないでしょうか?

「首藤病院」は大正13年の開院ということですから、その当時もこの地にあったことは確かです。

病状が悪化し、失語症になって暴れた熊吾は、狭山市にある別の病院「狭山病院」に転院となります。房江も伸仁も、行ってみて初めてそこが精神病院であることを知るのですが、モデルとなっているのは実在する「大阪さやま病院」ではないでしょうか?

難波から南海電車の高野線に乗り、狭山駅で下車。そこから田舎道を歩いていった先にある病院だと説明される「狭山病院」。

「大阪さやま病院」は、昭和41年に精神科病院として開院しており、時系列的にも地理的にも合致します。



『流転の海』をより楽しむ・詳しく知るには?

以上、『流転の海』の舞台となった場所や施設がどこなのかを中心に、また判明した実在人物のその後など含め、調べたことをご紹介しました。

繰り返しになりますが、場所や施設の特定はあくまでも個人の推測によるものです。

あらためて1か月ほどかけ、全9巻をまとめて一気読みし、この小説のすばらしさを痛感。何度も涙しながら最後の『野の春』を読み終えたあとは、しばらくロス状態となり、そんな中、熊吾や房江、伸仁の姿を追い求めるように、宮本輝の他の著作を読み、いろいろ調べた次第です。

いくつか資料などご紹介します。

全9巻を読み終え、熊吾ロスとなった読者のために、ライターの堀井憲一郎が、宮本輝の短編やエッセイから『流転の海』につながる作品を選び、まとめたものです。

選ばれた全15編以外にも、どの作品を読むべきか詳しく紹介されており、実話を知る最初のヒント本としても必読です。

上記のライター・堀井憲一郎が、『流転の海』を細部にわたって紐解いた力作です。

熊吾、房江それぞれの家系図、地図、相関図、各巻あらすじに加え、主要登場人物の紹介が索引によって検索できるようになっています。

私のように全9巻を一気読みした読者には不要かもしれませんが、休息を挟みつつ、じっくり長い時間をかけて読み、内容や人物を忘れがちな読者にはとても役に立つでしょう。

映画『流転の海』

1990年には、第一部が以下のキャストで映画化もされました。

松坂熊吾:森繁久彌
松坂房江:野川由美子
海老原太一:西郷輝彦
丸尾千代麿:芦屋雁之助
柳田元雄:大村崑
岩井亜矢子:浅野ゆう子

しかし、日本テレビが製作したもので完成度は低く、残念ながら、小説『流転の海』のファンがわざわざ観るべき作品ではありません。なにより、熊吾が森繫久彌なのは全くのミスキャスト。そんな失敗作であり、DVD化はされておらず、視聴するためには絶版になったVHS版をなんとか入手するしかありません。

しかし、宮本輝のデビュー作にして太宰治賞を受賞した『泥の河』の映画化作品はおすすめです。

小栗康平監督作で、国内外で多数の賞を受賞した秀作映画ですが、もちろん、実話ではありません。

ただ、中之島の土佐堀川が舞台であり、それはまさに『第三部 血脈の火』で描かれる世界そのものなのです。父の板倉晋平を演じる田村高廣、母の貞子を演じる藤田弓子のイメージも、熊吾と房江のそれとそうかけ離れたものではなく、『流転の海』ファンの人であれば、違和感なくその世界に没入できるはずです。

1990年の映画版が失敗したことも影響しているのか、これだけの大河小説にもかかわらず、以後いっさい映像化されていないのは非常に残念です。

例えば、NHK大河ドラマにもじゅうぶんなりうる物語だと思いますが、現在のNHKでは、なかなか実現どころか上質な作品を作るのは難しいのはないでしょうか?

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました