『独眼竜政宗』人物相関図・キャスト25人のその後と現在(故人)

独眼竜正宗 ドラマ

NHK大河ドラマ史上、最高平均視聴率を記録した、1987年放送の第25作『独眼竜正宗』。戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した希代の名武将・伊達政宗の波乱の生涯を描くドラマです。

大河ドラマ最高傑作の一つとあって、これまで何度か再放送されてきましたが、2025年1月6日からは、NHK BS月曜夜6時の枠で再放送がスタート!

本記事では、わかりやすい人物相関図とともに、主要登場人物を演じたキャスト25人のその後と現在についてご紹介します。40年近く前の作品とあって、残念ながら故人も多くいます。

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NHK大河ドラマの最高傑作『独眼竜正宗』

山岡荘八の小説を原作に、ジェームス三木の脚本で1987年に放送されたNHK大河ドラマ第25作『独眼竜正宗』。

激動の戦国時代から江戸時代前期にかけ、一代で仙台藩62万石の礎を築きあげたとされる名武将・伊達政宗の波乱の生涯を描くドラマであり、渡辺謙が主演しました。

2025年現在、第64作目『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』が放送中ですが、大河ドラマ全64作品中、平均視聴率39.7%の記録は、堂々たる第1位に君臨します。最終回に記録した最高視聴率47.8%も歴代3位に相当し、文字通り、大河ドラマの最高傑作として言って過言ではないでしょう。

ドラマの大きな魅力の一つが、大抜擢となった渡辺謙はもとより、周囲を固める豪華なキャスト陣による素晴らしい名演にあります。

ここでは主要キャスト25人を選び、放送後のその後と現在についてご紹介しましょう。

『独眼竜正宗』のわかりやすい人物相関図

独眼竜正宗・人物相関図

※伊達政宗には判明しているだけでも側室が7人、子も十男四女いるとされていますが、この相関図はドラマ上重要となる人物に絞った略式のものです。

また続柄は伊達政宗からみた関係になります。

『独眼竜正宗』の主要登場人物/キャスト25人のその後と現在【2025】

キャストは原則、成人時を演じた俳優です。

伊達家17代目当主となり、初代藩主として仙台藩62万石の礎を築いた名武将が本作の主人公・伊達政宗。演じた渡辺謙は、当時まだあまり知られていない新人俳優でした。そもそも第一候補でもありませんでしたが、本作の大ヒットにより一躍人気俳優の地位を築き上げました。

1989年には急性骨髄性白血病を発症し、初主演映画『天と地と』を降板するなど、闘病活動休止の期間をはさみつつも、着実にキャリアを重ねます。2003年のアメリカ映画『ラスト サムライ』でアカデミー賞助演男優賞やゴールデングローブ賞助演男優賞にノミネートされるなど、世界的人気俳優へと飛躍しました。

その後は、アメリカ映画『バットマン ビギンズ』『SAYURI』『インセプション』、トニー賞にノミネートされたブロードウェイミュージカル『王様と私』、日本映画『沈まぬ太陽』『怒り』など数々の大作・話題作に出演し続けています。放送中の大河ドラマ『べらぼう』にも田沼意次役で出演しているほか、2025年6月には話題作『国宝』が待機中です。

私生活では、1983年に結婚した一般女性と2005年に離婚。同年には南果歩と再婚しましたが、不倫が原因でこちらも2018年に離婚。そのときの女性と2023年に再婚するなど、プライベートでもハリウッド俳優並みの華やかさです。最初の結婚でもうけた渡辺大と杏はともに俳優として活躍中です。

伊達政宗の幼少時の名が梵天丸(ぼんてんまる)であり、劇中のセリフ「梵天丸もかくありたい」は流行語にもなりました。

梵天丸時代の政宗を演じ、人気者となった子役の藤間遼太(本名・藤間良)は、日本舞踊の藤間流宗家の長男として生まれ、2002年には藤間勘十郎(八世)を襲名しました。宗家のトップとして舞台に立つほか、歌舞伎の振付、演出も手掛けるなどその才能をいかんなく発揮しています。

2020年には長男の雄大が三世康詞を襲名、次男の智基も初舞台を踏んだことを公式ホームページで公表しています。

政宗の父・伊達輝宗を演じた北大路欣也は、1943年2月23日生まれ、2025年1月現在81歳となった今も現役で、大御所俳優らしい存在感を放ち続けています。

大河ドラマだけでも2021年の『青天を衝け』まで全9作品に出演。2015年には旭日小綬章を授与され、2023年度の文化功労者にも選ばれました。2024年春の園遊会に出席し、両陛下と談笑する姿が大きく報道されました。

私生活では、1977年に一般女性と結婚していますが、子どもはいません。2014年ごろから夫婦で超高級老人ホームに居住しているようです。

政宗の母・義姫 (後のお東の方・保春院)を演じた岩下志麻は、1941年1月3日生まれで北大路欣也より年上であり、2025年現在84歳です。

昭和を代表する大女優として2004年に紫綬褒章、2012年に旭日小綬章を授与されましたが、近年はさすがに第一線からは退きつつあるようです。それでもメナード化粧品のCM や2022年にはUQ モバイルのCMに登場し、さすがの存在感を放っていました。

1967年に映画監督の篠田正浩(2025年1月現在93歳)と結婚しました。子供はいません。

輝宗と義姫の間に生まれた次男であり、政宗の実弟にあたるのが伊達小次郎です。

演じていた岡本健一は、15歳で旧ジャニーズ事務所入りし、役者業を経て本作の翌1988年に「男闘呼組」のメンバーとなりました。「男闘呼組」は1993年に活動休止し、その後は別のバンドや俳優として様々な舞台・ドラマを中心に活動しています。

2023年12月には、ジャニーズ事務所の後継「 SMILE-UP.」ともエージェント契約を解除。私生活はあまり公にしていませんが、二度の結婚で子どもは合わせて3人います。Hey! Say! JUMPの元メンバーである岡本圭人は最初の結婚でもうけた長男です。



政宗の祖父・伊達晴宗を演じていた金子信雄は、1995年1月20日、細菌性敗血症により71歳で死去しました。

後年は料理研究家としても活躍し、1958年に結婚した妻は、朝ドラ『ちゅらさん』のみづえ役が記憶に新しい女優の丹阿弥谷津子(2025年1月現在100歳)です。

政宗の正室となる愛姫を演じていたのは桜田淳子。

1980年のミュージカル『アニーよ銃をとれ』が高く評価され、1983年のシングルを最後に人気歌手から女優に転身。ところが1992年、統一教会の合同結婚式に参加し、信者の一般男性と結婚したことが公となり、その後は事実上芸能活動から退くこととなりました。

2013年5月には、所属していたサンミュージック会長の通夜に参列する形で16年ぶりに公の場に姿を見せます。同年にはデビュー40周年を記念したイベントを開催したり、2018年には35年ぶりのアルバム「マイ・アイドロジー」をリリースしたりするなど、マイペースで地道な芸能活動を続けています。2025年1月現在66歳。

ちなみに、少女時代の愛姫を演じていたのは後藤久美子です。

政宗の側室猫御前を演じた秋吉久美子は、1954年7月29日生まれで2025年1月現在70歳。本作の翌1988年の映画『異人たちとの夏』、1995年の映画『深い河』では各映画賞を席巻し、個性派ぶりをいかんなく発揮しつつ、今も現役で活躍中です。

私生活では、1979年に「青い三角定規」のメンバーだった岩久茂と結婚しましたが1989年に離婚。2004年に再婚した日系アメリカ人の男性とは離婚と復縁・再離婚を繰り返しました。2015年には、最初の結婚でもうけた唯一の子である35歳の長男が、病院から転落死するという悲劇に見舞われています。

政宗と義姫の間に生まれた第一子の長女・五郎八姫(いろはひめ)を演じていた沢口靖子は、本作2年前の1985年の朝ドラ『澪つくし』でヒロインを演じ、まさに国民的人気を得た時期にありました。

その後1999年に始まったドラマ『科捜研の女』は不動の代表作となり、2024年にはなんとシーズン24が放送されました。

2025年には還暦を迎えますが、未婚を貫いています。

政宗と義姫の間に生まれた次男であり、伊達家の嫡男となるのが忠宗です。

演じた野村宏伸は、本作の翌年に始まるドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイク。その後も芸能活動はきわめて順調でしたが、2000年前後には、借金問題、詐欺被害などに直面し低迷します。しかしそれも乗り越え、現在は、ドラマ・舞台を中心に地道な活動を続けています。

私生活では、最初の結婚で二子をもうけましたが、2009年に離婚。2015年に再婚し、翌年には一女をもうけました。



政宗の祖父・晴宗の弟であり、政宗の大叔父にあたるのが伊達実元です。演じていたのは、1972年から1982年まで出演した『太陽にほえろ!』のゴリさん役で人気を博していた竜雷太。

竜雷太は、その後も大河ドラマだけも9作品に出演するなど、俳優としては数多くの映画・ドラマに出演し順調でしたが、所属事務所問題は三船プロから独立後も落ち着かず、2007年には、共同設立者の俳優・阿知波信介が自死して、事務所も破産しました。

私生活では、4度の結婚歴があり、2度目の結婚でもうけた長男の長谷川陽平は、音楽プロデューサー兼ギタリストとして活動しています。

伊達実元の息子で政宗の従弟にあたり、信頼のおける家臣となるのが伊達成実です。

演じた三浦友和は、70年代の山口百恵とのコンビによる映画・ドラマ、1980年の電撃結婚と、常にそのイメージが張り付いていましたが、次第に一人の役者として高い評価を得るようになりました。

2012年には紫綬褒章、2023年には旭日小綬章を受章しています。長男の三浦祐太朗はシンガーソングライターとして、次男の三浦貴大は俳優として活動中です。2022年には長男夫婦が子をもうけ、祖父となりました。

母・義姫の実兄、つまり政宗の伯父にあたるのが、敵対する最上家の当主・最上義光です。

演じていた原田芳雄は、日本では珍しい野性味あふれる魅力と圧倒的な存在感を放つ名優として数々の映画・ドラマに出演していましたが、2011年7月19日、71歳で死去しました。2008年から大腸がんを患っており、腸閉塞と肺炎が直接の死因となりました。

遺作は死の3日前に公開された映画『大鹿村騒動記』です。私生活では、文学座時代に知り合った一般女性と結婚し一男一女をもうけています。長男の原田喧太はミュージシャンとして活動しています。

輝宗の側近から、そのまま政宗にも仕えた重臣の一人が遠藤基信であり、神山繁が演じました。

神山繫は、文学座時代、そして退団後も自身の劇団を創設して数々の舞台を踏み、一方で数多くの映画やドラマで名バイプレーヤーとして活躍しましたが、2017年1月3日、肺炎にとより87歳で死去しました。

1956年に女優の文野朋子と結婚するも1987年に死別。1992年に一般女性と再婚していました。子はいません。

政宗の祖父・晴宗の代からの重臣が鬼庭左月です。

演じたいかりや長介は、「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして国民的人気を博していましたが、本作をきっかけに後年は『踊る大捜査線』シリーズなど俳優としても高い評価を得ていました。

2004年3月20日、原発不明頸部リンパ節癌の転移により72歳で死去しました。



政宗の幼少時からの守役であり、そのまま大切な忠臣となるのが片倉小十郎(後の景綱)です。

演じた西郷輝彦は、橋幸夫・舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれ絶大なる人気を博した60年代70年代に続き、俳優としても『水戸黄門』や『江戸を斬る』などの時代劇を中心に大スターらしい活躍をみせました。

2011年から闘病していた前立腺がんにより、2022年2月20日、75歳で死去しました。私生活では、1972年に辺見マリと結婚し、一男一女をもうけますが1981年に離婚。1990年には再婚し、一女をもうけました。長女が辺見えみり、次女が今川宇宙です。

鬼庭左月の娘で、片倉小十郎とは異父姉にあたるのが喜多であり、政宗の乳母となりました。

演じた竹下景子は、『クイズダービー』の人気女子大生回答者から、次第に女優としても活躍するようになり、今や大河ドラマは5作品、朝ドラも5作品に出演するなど、実力派として認められています。

私生活では、1984年に写真家の関口照生と結婚し、二男をもうけています。次男の関口アナンも俳優です。

輝宗に乞われ、幼少時の政宗の師となる僧侶が虎哉宗乙(こさいそういつ)です。

演じた大滝秀治は、山本薩夫監督の社会派映画、数々の助演男優賞に輝いた今井正監督の『あにいもうと』、市川崑の「金田一耕助シリーズ」、伊丹十三作品など数々の映画、そしてドラマで類稀なる存在感を放つ名優でしたが、2012年10月2日、肺扁平上皮がんにより、87歳で死去しました。

1988年に紫綬褒章、2011年には文化功労者に選ばれています。

伊達政宗の前に立ちはだかる天下人、豊臣秀吉を勝新太郎が演じました。

日本映画を代表する大スターでありながら、借金と事務所倒産、黒澤明と対立して『影武者』の主演降板、暴力団との交際など、話題に事欠かなかった勝新太郎ですが、1989年には、主演映画『座頭市』撮影中に長男が真剣で役者を死亡させてしまう事件、1990年には自身も麻薬所持で逮捕されるなど、晩年までトラブルメーカーであり続けました。

1997年6月21日、下咽頭癌により65歳で死去。1962年に結婚した中村玉緒とは最後まで添い遂げましたが、長男の鴈龍は、2019年11月1日、急性心不全により55歳の若さで亡くなっています。

秀吉の正室である北政所を演じた八千草薫は、2019年10月24日、膵臓がんにより88歳で死去しました。

宝塚歌劇団の娘役スターで人気を博し、1957年の退団後の代表的作品には、ドラマ『岸辺のアルバム』『阿修羅のごとく』などがあります。遺作ドラマは『やすらぎの郷』です。

1957年に映画監督の谷口千吉と結婚し、2007年に死別しました。子どもはいません。



秀吉の側室である淀君を演じたのは樋口可南子。

1980年の初出演映画『戒厳令の夜』でいきなりヌード、1983年の映画『卍』や1987年の映画『ベッドタイムアイズ』など、濡れ場も厭わない体当たりの演技、そしてヘアーヌード写真集などで話題を呼びましたが、次第に実力派女優として高い評価を得るようになりました。

ドラマでは2008年の大河『篤姫』、2011年の朝ドラ『おひさま』にも出演しています。2025年1月現在66歳となり、ここ最近はあまり目立った出演作はないようです。

私生活では、1993年に糸井重里と結婚。2人の間に子はいません。

豊臣家の五大老からやがて天下をとる徳川家康。

演じた津川雅彦は、1956年の映画『狂った果実』でデビュー後、『ひとひらの雪』など渡辺淳一原作作品、『お葬式』や『マルサの女』など伊丹十三作品、日本アカデミー賞主演男優賞に輝いた1999年の『プライド・運命の瞬間』など、数々の話題作・ヒット作に出演し続けました。また芸能活動に留まらず、北朝鮮による拉致問題解決のため、積極的に取り組んでいました。

2018年8月4日、心不全により78歳で死去。ちなみに、2000年の大河ドラマ『葵 徳川三代』では再び徳川家康役で主演しています。

私生活では、1973年に朝丘雪路と結婚し、長女をもうけました。朝丘は津川が亡くなるわずか3か月早く、82歳で他界しています。

家康の六男で、政宗の長女・五郎八姫を正室と迎えるのが松平忠輝です。

演じた真田広之は当時、千葉真一のJAC所属の一若手俳優でしたが、その後の活躍、そして近年の国際的な名声についてはあえて説明するまでもないでしょう。

ハリウッドで着実にキャリアを重ね、2024年に配信されたドラマ『SHOGUN 将軍』により、ついにプライムタイムエミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞をW受賞するという快挙を達成しました。

私生活では、1990年に手塚理美と結婚し、二男をもうけましたが、1997年に離婚しています。次男は俳優の手塚日南人です。

豊臣家五奉行の一人から、関ヶ原の戦いで敗北する石田三成を演じた奥田瑛二は、これまで大河ドラマ6作品、朝ドラ4作品など多くのドラマ・映画に出演し続けているほか、映画監督として3作目となる2006年の映画『長い散歩』でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞するなど、非常高い評価を得ました。

また安藤和津との間にもうけた次女の女優・安藤サクラの近年におけるめざましい活躍についても、言うまでもありません。

大きな権力を持つ茶人・千利休を演じた池部良は、昭和を代表する二枚目スターとして数々の文芸作品、『昭和残侠伝』などのヤクザものに多数出演し、人気を博しました。

晩年は、日本映画俳優協会初代理事長を務めたり、随筆家としても才能を開花させました。

2010年10月8日、敗血症により92歳で死去。私生活では、駆け出しの頃に女優の羽鳥敏子と結婚しましたがすぐに離婚。その後、森永製菓二代目社長を祖父に持つ一般女性と再婚しましたが、子どもはいませんでした。

『独眼竜正宗』に比して低視聴率にあえぐ近年の大河ドラマ

『独眼竜正宗』が極めて高い評価を得たのに比して、近年の大河ドラマの低調ぶりは残念です。

平均視聴率で歴代ワースト第2位となってしまった2024年放送の『光る君へ』。放送がスタートした『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』も、すでに初回視聴率が歴代ワースト1位を記録するなど、その傾向はさらに加速度を増して明白です。

視聴者のテレビ離れといった社会的背景があるものの、ドラマの完成度の低さ、物語の弱さ、キャストの稚拙さはいかんともしがたく、状況が上向く可能性は極めて低いと言えるでしょう。

2024年も、アンコール枠で放送された『篤姫』と『光る君へ』の出来のあまりの差に愕然としましたが、2025年の『べらぼう』と『独眼竜正宗』の落差に驚きながら視聴することになりそうです。

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