フュード/確執カポーティvsスワンたちに登場する12人の実話とその後

フェード確執カポーティvsスワン ドラマ

日本でもDisney+で視聴が可能になった、アメリカのドラマ『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』。

ヒットメーカーのライアン・マーフィーが手掛けた作品であるばかりか、実在した女性たちを演じる豪華すぎる女優陣の競演も大きな見どころの一つとなっています。

本記事では、本ドラマの主要登場人物12人のモデルとなっている実在人物たちの実話、その後と現在などについて、またその他見どころ含め、詳しくご紹介します。

スポンサーリンク

Disney+で配信!海外ドラマ『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』とは?

『ティファニーで朝食を』や『冷血』で知られるアメリカの天才作家トルーマン・カポーティと、彼が「スワン(白鳥)」と呼んだ、ニューヨーク社交界に生きるセレブ女性たちの愛憎入り混じる関係を描いたドラマ『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』。

『glee/グリー』『アメリカン・ホラー・ストーリー』『POSE/ポーズ』など数々の大ヒットドラマを手掛けてきたライアン・マーフィーが総指揮をとり、『ミルク』や『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』が高い評価を得た名匠ガス・ヴァン・サントがメインでメガホンをとりました。

2017年に全米で配信され、大きな話題をよんだ前作『フュード/確執 ベティ vs ジョーン』に続くシリーズ2作目であり、全米では2024年に放送。日本では、スターチャンネルの独占放送に続き、現在はDisney+において両作品とも配信されています!



主要登場人物12人のモデルとなった実在人物の実話とその後/現在

ドラマに登場する人物はほとんど全員が実在人物であり、実名で描かれています。その中でも主要な12人についてご紹介しましょう!

主人公のトルーマン・カポーティは、言うまでもなく、40年代から60年代を中心に発表した著作により、一躍天才作家として時代の寵児となりながら、数々の奇行でスキャンダルも巻き起こした作家です。

1924年9月30日、ニューオーリンズ生まれ。両親は早くに離婚して親戚に預けられ、その後再婚した母も自死を遂げるという恵まれたとは言えない家庭環境で育ちました。1943年、19歳の時の短編『ミリアム』でオー・ヘンリー賞受賞、1948年の長編『遠い声 遠い部屋』で、文字通り天才作家と称されます。1958年の『ティファニーで朝食を』は映画化もされて大ヒットし、1966年の『冷血』はノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを築き、絶賛されました。

しかし、その後は執筆よりも、有名人としての社交活動がメインとなっていきます。「プラザ・ホテル」で伝説となる仮面舞踏会を開いたり(1966年11月)、映画やテレビに積極的に出演したりしたほか、アルコールと薬物依存症となり、次第に奇行ばかりが目立つようになりました。

最後の作品となる長編『叶えられた祈り』は未完に終わったばかりか、中で親しくしていた社交界の女性たちをこき下ろし、大きな反発と痛手を被ります。このあたりの事情を描いたのが本ドラマです。1984年8月25日、ロサンゼルスの友人宅で心臓発作を起こし、59歳で死去しました。

ベイブ・ペイリーことバーバラ・クッシング・モーティマー・ペイリーは、1915年7月5日、著名な脳神経外科の父、下院議員の祖父を持つ母との間に、ボストンに生まれました。

1934年に社交界デビュー。ファッション誌「Glamour」そして「Vogue」の編集者を経た後、1940年に石油業界の御曹司と最初の結婚。一男一女をもうけましたが、1946年に離婚します。その翌年に再婚したのがウィリアム(ビル)・ペイリーでした。ビルとの間にも、一男一女をもうけています。

夫の度重なる浮気癖に苦しみ、常に孤独感を抱えていたと言われていますが、50年代頃からは、完璧なエレガンスと気品を持つ社交界の花として君臨しました。この頃、親友とも呼べる間柄だったカポーティは、「ベイブの欠点はわずか一つだけ。それは完璧であること。完璧でなければ完璧だったのに」と評しました。

しかしカポーティが、1975年秋、「エスクァイア」誌に社交界の秘密を暴露する短編小説『ラ・コート・バスク、1965』を発表したことにより、2人の関係は破綻に至ります。

1974年に肺がんを発症し、余命を悟ったベイブは、自らの葬儀の花やワインの種類まで指定し、さらに所有していた宝石などを知人や親族に送る詳細な書類も準備していました。1978年7月6日、63歳で死去しました。

(ナンシー・)スリム・キースは、1917年7月15日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父は複数の缶詰工場を所有する裕福な実業家でした。

22歳で「ハーパーズバザー」誌の表紙を飾り、50年代、60年代を通してファッション・アイコン的存在として活躍します。その間、結婚は3度しており、最初の夫は1941年に映画監督のハワード・ホークスと、2度目は1949年に映画プロデューサーのリーランド・ヘイワードと、3人目の夫が1962年に結婚したイギリス人貴族で銀行家のケネス・キースですが、こちらも1972年に離婚しています。

カポーティとは、ベイブ同様きわめて親しい間柄から、暴露小説がきっかけで絶縁し、以後二度と口をきかなかったと言われています。

晩年は、静かで穏やかな社交生活を送り、1990年4月16日、ベイブと同じ肺がんにより亡くなりました。72歳。1度目の結婚でもうけた一人娘キティ・ホークスはインテリア・デザイナーです。

(ルーシー・ダグラス)・C・Z・ゲストは、1920年2月19日、ボストンきっての名門一家に生まれました。1937年に社交界デビューを果たした後、若い頃は女優としてレビュー・ショーに出演したりもしていました。

1947年に名家チャーチル家の出身でポロの全米チャンピョンだったウィンストン・フレデリック・チャーチル・ゲストと結婚し、子どもを2人もうけましたが、1982年に死別しています。ちなみに、結婚式は文豪ヘミングウェイを介添人に、彼のハバナ邸でとり行われました。

C・Zは、1962年に「TIME」誌の表紙を飾るなど、社交界で華やかな活躍したほか、乗馬、ファッションデザイナー、コラムニストなど多彩な才能も発揮。ディエゴ・リベラ、サルバドール・ダリ、アンディ・ウォーホルなどの絵のモデルにもなっています。

社交界から追放されたカポーティにも、比較的同情的立場をとっていたようです。

2003年11月8日、83歳で死去。呼吸困難を訴え、友人の車で病院に向かう途中でした。現在、娘のコーネリアも社交界で活躍しています。

1933年3月3日、サウサンプトンの裕福な資産家一家に生まれたリー・ラジウィルは、言うまでもなくファーストレディとなったジャクリーン・ケネディ・オナシスの実妹です。

若い頃は、イタリア留学後、1950年に「ハーパーズバザー」誌でダイアナ・ヴリーランドの助手となったり、姉とパリに遊学したりしました。60年代は、ファーストレディとなった姉ともども、社交界で華やかな交友関係を持ったほか、女優としても映画に出演したりもしました。

結婚は3度。1953年に、名門の出で老舗出版社重役の養子となっていたマイケル・キャンフィールドと結婚しましたが1959年に離婚。1959年にポーランド貴族で不動産王のスタニスラス・ラジウィルとW不倫の末、婚姻に至りましたが、二子をもうけて1974年に離婚。1988年の3度目の結婚相手は、映画監督のハーバート・ロスですが、こちらも2001年に離婚しています。

幅広い人脈を駆使し、ジョルジオ・アルマーニの全米での広報担当として、一大ブームの一助を担ったことも広く知られています。2019年2月15日、ニューヨークの自宅で死去。85歳でした。

アン・ウッドワードは、1915年12月12日、路面電車運転士の父と教師の母のもと、カンザス州ピッツバーグに生まれました。ラジオの美人女優として名をはせた後、富豪の銀行家ウィリアム・ウッドワード・ジュニアと結婚。以後は社交界で華やかな活躍をするようになります。

ところが、1955年に夫が射殺され、夫婦関係が破綻していたアンに殺人容疑がかけられます。事故として起訴には至らなかったものの、アンは社交界を追放され、失意のうち、1975年10月10日、59歳のときに服毒自殺しました。

カポーティの小説が掲載される「エスクァイア」誌が発売される直前のタイミングであり、一説にはそれを事前に知ったことが自死のきっかけだったとも言われています。小説の中では、明らかにアンをモデルとした女性を、夫殺しとして描いていました。

ちなみに息子が2人いましたが、1978年と1999年に2人とも自死しています。



ジョアン・カーソン(旧姓:コープランド)は、1931年10月20日生まれ。モデルやテレビのゲーム番組の司会を務めたりしていたときに出会ったのが、NBC『ザ・トゥナイト・ショー』で絶大なる人気を誇っていた司会者ジョニー・カーソンでした。

二人は1963年に結婚し、1972年に離婚しますが、ジョアンはカーソンが亡くなる2005年まで月額6000ドルの慰謝料を受け取り続けていたと言います。

カーソンとの離婚と前後して親しくつきあうようになったのがカポーティであり、カポーティが亡くなったのは、ジョアンのロスアンゼルスの自宅でした。カポーティの遺灰はジョアンとジャック・ダンフィーに分けられたほか、多くの所有物がジョアンに遺されたと言われています。ジョアンは2006年にそれら多くの遺品を競売にかけました。

晩年、ジョアンは再婚しましたが2013年に離婚。2015年5月8日、83歳で死去しました。子どもはいません。

カポーティが生まれてすぐ離婚した実母がリリー・メイ・フォークです。カポーティが母方の親戚に預けられた一方、奔放で美人だった母は上流階級に憧れ、ニューヨークで「高級娼婦」のような生活をしていたと言います。

カポーティが9歳の時、リリーが再婚したのが裕福なホセ・ガルシア・(ジョー)・カポーティでした。母のもとに引き取られ、10代をニューヨークで過ごしました。

しかし、1954年、夢破れたリリーは結局自殺を選びます。そのことがカポーティの人生に多大な影響を残したことは言うまでありません。

一説には『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーのモデルは母リリーだと言われています。

ベイブ・ペイリーの二人目の夫となるのが、ビル(ウィリアム)・ペイリーであり、ビルも再婚でした。

もともと大手タバコ会社の御曹司でしたが、小さなラジオ局からCBSを創立し、全米三大ネットワーク局に成長させた立役者として、1928年から1946年まで長きに渡りトップを務めたメディア界の重鎮です。

ベイブと結婚したのは1947年。ドラマで描かれた通り、奔放な女性関係で知られ、常に複数と女性と関係を持っていたと言われています。

1990年10月26日、腎不全により89歳で死去。ベイブの隣に埋葬されました。子どもは最初の結婚で養子2人、ベイブとの間に実子2人で計4人います。

カポーティの最も長く続いた恋人が作家のジャック・ダンフィーです。1914年8月22日生まれで、ニュージャージーの労働者階級の出身でした。

若い頃はバレエダンサーとして舞台に立ち、1939年にダンサーの女性と結婚しましたが、1948年に離婚。その直後に出会ったのがカポーティでした。ダンフィー最初の小説「John Fury」が好評を博し、小説家として歩み始めた頃でもあり、2人は恋人となります。1950年には、イタリア・シシリー島にある作家D・H・ロレンスがかつて住んでいた家で同棲していたこともありました。

控えめで孤独を愛するダンフィーと、社交好きのカポーティは真逆の性格だったこともあり、年々、関係は疎遠になっていきます。1970年代中盤には恋人というより、離れがたい親友のような関係になっていたようです。カポーティが亡くなったとき、遺灰が手渡されたのもダンフィーと上記のジョアンでした。

晩年の1987年、回顧録『親愛なる天才:トルーマン・カポーティとの生活』を出版。1992年4月26日、がんにより77歳で死去しました。カポーティとダンフィーの遺灰は、かつて2人が所有していた土地にある池に撒かれ、2人の名を記した墓石が建てられています。

カポーティが1973年に出会ったのがロングアイランドに暮らすジョン・オシェイでした。1929年2月11日生まれで、カポーティと出会った頃、銀行員だったオシェイには妻と娘がいました。オシェイは2人を棄て、カポーティのビジネスマネージャー兼恋人となります。

オシェイは、アルコール依存症にあり、しばしばカポーティに虐待や暴力をふるう男でしたが、スワンたちから追放され、孤独だったカポーティはオシェイに頼らざるを得ない心理状態にあったと言います。結局、2人は破局し、しかし罪悪感を覚えていたカポーティはオシェイの一人娘ケイトを預かることにしました。

オシェイは、晩年までアルコール依存に苦しみ、2014年5月22日、孤独のうちに亡くなったようです。

ジョン・オシェイの一人娘がケリー(ケイト)です。ドラマで描かれたとおり、カポーティはジョンと別れた後も、ケイトを、非公式な養女の形で預かり、さまざまな支援を行いました。

ケイトは1961年生まれ。カポーティの口利きにより、当時「Vogue」誌の敏腕編集者だったダイアナ・ヴリーランドのアシスタントとなり、ファッション業界でのキャリアをスタートさせました。その後、「Interview Magazine」や 「Vanity Fair」誌でも働き、最終的にはコスチューム・デザイナーとなりました。

2003年に結婚し、子どもが2人います。2019年に公開されたドキュメンタリー映画『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』に出演し、インタビューに応じる形でカポーティや実父のこと、当時のことを詳細に語っています。



『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』その他の見どころは?

カポーティやスワンたちが頻繁に集まり、会食するレストランであり、カポーティの暴露短編小説『ラ・コート・バスク、1965』の題材となった「ラ・コート・バスク」は、ニューヨークに実在した高級フレンチレストランです。

1959年、60 West 55th Streetに開店し、社交界の御用達レストランとして45年に渡る営業を続けていましたが、2004年3月に閉店しました。跡地の現在は「Benoit New York」という別のフレンチレストランとなっています。

1992年公開の映画『Light Sleeper』で、主演のウィレム・デフォーとスーザン・サランドンがランチするシーンに登場し、当時の姿を垣間見ることができます。

ベイブの夫ビル・ペイリーを演じたトリート・ウィリアムズは、残念ながら本ドラマの放送を待たず、2023年6月12日、バイク走行中に自動車追突事故に遭遇し、71歳で急死しました。

ドラマのエンドロールに、哀悼のメッセージが流れます。

ジョン・オシェイの娘ケイトを演じたエラ・ベイティの実の両親は、なんとウォーレン・ベイティとアネット・ベニングです。

大スターにして名優の両親を持つだけあって、フレッシュなだけでなく、何やら独特のオーラを発しています。



『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』を観た方におすすめ!

『フュード/確執 カポーティvsスワンたち』は、実在した人物の実話をもとにしていることもあり、さまざまな興味がつきません。

そうした中、ぜひ見ていただきたいのが以下の2作品です。

2019年に公開されたドキュメンタリー映画『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』は、スワンたちの関係やトルーマン・カポーティの晩年まで、関係者の証言と当時の映像をふんだんに盛り込んだ見ごたえのあるドキュメンタリー映画であり、必見です。

また、カポーティを演じきった本作のトム・ホランダーの秀逸さは言うまでありませんが、2005年の映画『カポーティ』も、見事アカデミー主演男優賞に輝いた故フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が素晴らしくおすすめです。

『冷血』を完成させるまでのカポーティの葛藤を描いた作品ですが、ダンフィーとの関係なども描かれています。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました