『秋津温泉』あらすじ/岡山ロケ地/レビュー【岡田茉莉子】

秋津温泉 映画

岡田茉莉子の映画デビュー100本記念作品として製作された1962年公開の『秋津温泉』。

毎日映画コンクール女優主演賞含む数々の賞を受賞するなど、名作の誉れとともに、岡田茉莉子の代表作の一つとなりました。

監督・脚本は、本作がきっかけでのちに夫となる吉田喜重です。

本記事では、映画『秋津温泉』のネタバレあらすじやキャスト、見どころ、ロケ地とその現在の紹介、さらに、個人的感想を交えてレビューしたいと思います。

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『秋津温泉』映画化の経緯と岡田茉莉子

1951年に『舞姫』で映画デビューした岡田茉莉子が、数えて100本目となる作品として自ら企画、プロデュースした映画が『秋津温泉』です。

原作は、藤原審爾(ふじわらしんじ)が1947年に発表し、人気作家となるきっかけとなった同名小説。

その経緯について、岡田茉莉子は、2023年の雑誌のインタビューで以下の通り語っています。

「ぜひ演じてみたい役が、藤原審爾の小説『秋津温泉』の新子でした。一本気な女性で、彼女へのシンパシーと、メロドラマへの憧れもあり、この作品に懸けてみたいと思ったの。会社のお偉いさんに提案したら、『自分でプロデュースするのなら』ということで、やるしかないと」

引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2214121/

そして、監督に指名したのが当時まだ新進の映画監督、吉田喜重でした。

岡田は、吉田の監督デビュー作『ろくでなし』(1960)の出演オファーを受けたものの、スケジュールの都合で実現叶わず、ただその才能を高く評価していました。しかし最初は、オリジナルしかやらないという理由で吉田に断られます。粘り強く交渉した結果、脚本も兼任するといったいくつかの条件でついに受諾してくれたのです。

また当初、岡田は本作をもって女優業を引退するつもりでした。ところが、吉田に説得されて翻意。さらに2人は本作がきっかけとなって翌年に婚約し、1964年6月21日、西ドイツの小さな村で挙式しました。



映画『秋津温泉』のあらすじ(ネタバレあり)

戦時中、一人の学生・河本周作は、東京から伯母を頼って疎開する途中、汽車の中で知り合った旅館の女中に連れられ、ふらりと岡山の山奥にある「秋津温泉」に立ち寄ります。

結核に冒され、生きる気力もなくした周吉は、旅館「秋津荘」の一人娘で、明るく自由奔放な新子と接するうち、互いに惹かれあい、また少しずつ元気も取り戻すのでした。

時が過ぎ、生活先の市街から再び秋津までやってきた周吉は、一見明るく調子よい素振りをみせながら、病はいまだ完治せず、新子に一緒に死のうと提案します。新子も受け入れますが、結局、大笑いして終わってしまうのでした。

また数年をおき、秋津にやってきた周吉は、深酒し、芸者遊びする男となっており、その情けない姿に新子はあきれ……。さらに周吉が、別の女性と結婚し、まもなく子どもが生まれることを知るのでした。新子は哀しみに打ちひしがれながらも、周吉を送り出します。

それから4年後、教師をしながら、家族3人で暮らす周吉は、小説家になる夢を実現するため上京を決意。その前に、別れを告げるため再び秋津を訪ねると、今度は新子の方が酔っぱらって泣き言を並べる女となり……。翌日、何も言わずに旅立った周吉を津山まで追いかけ、2人は一緒に翌朝まで過ごします。岡山行きの汽車に乗る周吉を、新子は一人ホームから見送るのでした。

さらに数年が過ぎ、2人が初めて出会ってから17年後……。

東京で相変わらず女性関係にだらしない生活を送る周吉が、久しぶりに秋津を訪ねます。すると、すでに旅館を廃業した新子が、ぼんやりと無気力な日常を送っていました。これまでと同じように新子を抱く周吉に、今度は新子が一緒に死んでほしいと懇願します

翌朝、一人旅立つ周吉を追いかけ、心中を乞う新子をなんとかなだめ、周吉は去っていきます。道端に一人残された新子は、自らの手首を切り……。異変を感じて戻った周吉が後を追いかけますが、新子は川辺ですでに息絶えていました。

キャストの2人・岡田茉莉子と長門裕之紹介

主演2人のほか、実は、山村聡宇野重吉東野英治郎高橋とよといった数多くの名優たちが、ささいな役で登場します。岡田茉莉子100本記念作品を祝う、特別出演のような形かと思われます。

岡田茉莉子は、1933年1月11日、無声映画時代を代表する二枚目俳優の岡田時彦を父に、宝塚歌劇団で男役を務めた田鶴園子を母に、東京の渋谷区代々木で生まれました。岡田時彦は1934年、30歳の若さで結核により死去。そのため父の顔を知らずに育ちました。

1951年、東宝ニューフェイスの第3期として、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』の重要キャストで女優デビューするや、瞬く間に人気女優となります。以後、『浮雲』や『流れる』など成瀬巳喜男監督作はじめ、多数の作品に出演。1957年、松竹に移籍後も、小津安二郎監督作『秋日和』など、松竹の看板女優の一人として活躍し続けました。

上述の通り、『秋津温泉』への出演、吉田喜重との結婚を経て、1965年にフリーとなります。翌年には吉田と独立プロダクション「現代映画社」を設立。吉田の11本の作品でヒロインを演じたほか、ときおり他社の作品やテレビドラマに出演し、その出演料を夫との映画製作費に充てるという公私に渡る強力なパートナーでした。

代表的な出演作に、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』、1964年の『香華』、1977年の『人間の証明』、伊丹十三監督の『マルサの女』、そして吉田喜重監督作では、1969年の『-エロス+虐殺』や 2002年の『鏡の女たち』などがあります。

吉田喜重は、2022年12月8日、89歳で死去。90歳を過ぎた岡田茉莉子は、夫の追悼上映の舞台挨拶に立つなど、今なお現役として活動しています。

2009年には自伝『女優 岡田茉莉子』を発表しており、おすすめです。

長門 裕之は、1934年1月10日、歌舞伎俳優の沢村国太郎を父に、女優のマキノ智子を母に、京都市で生まれました。両親ばかりか、祖父は日本映画の父・牧野省三、実弟が俳優の津川雅彦と、絵に描いたような芸能一家の出身です。

名子役として早くからキャリアをスタートさせ、日活に所属後、1956年の映画『太陽の季節』に主演し、看板スターに……。同作で共演した南田洋子と1961年に結婚しました。

数々の賞に輝いた1959年の『にあんちゃん』や1961年の『豚と軍艦』など、今村昌平監督作が広く知られているほか、数多くのテレビドラマやバラエティー番組にも出演し、お茶の間でも人気を博しました。

私生活では、1985年に発表した暴露本『洋子へ』が問題となり、一時キャリア低迷のきっかけとなってしまいます。晩年は認知症を患った妻・南田洋子を看取り、その1年半後の2011年5月21日、肺炎による合併症にて77歳で死去しました。



原作者・藤原審爾と実体験

さまざまなジャンルの小説を発表し、また多くの作品が映画化された藤原審爾ですが、1947年に発表した『秋津温泉』は、実体験をもとにした私小説的な意味合いの強い小説です。

伯母に連れられ、「秋津温泉」にやってきた主人公の「私」は、両親のいない17歳の若者であり、それは早くに両親を亡くした藤原自身の境遇と重なります。実際、藤原が伯母とともに湯治に訪れたのが、岡山県の「奥津温泉」であり、そのとき滞在した旅館「河鹿園」が、新子の営む宿「秋津荘」のモデルだとも言われています。

また藤原は、妻子がいながら、女、酒に溺れ、疎遠になった妻子への仕送りと自身の病気治療費のため、執筆せざるを得なかった無頼派の作家でした。

1984年12月20日、肝臓がんにより死去。娘は女優の藤真利子であり、亡くなる直前には、疎遠だった関係も和解したと言います。

原作はKindle版が発売されていますので、映画が気に入った方はぜひ読まれてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、映画化された藤原審爾のたくさんの小説の中でも、『秋津温泉』と並ぶ傑作となったのが今村昌平監督による1964年の映画『赤い殺意』です。

日本より海外での評価が高い吉田喜重

吉田喜重は、1933年2月16日、福井県福井市に生まれ、戦後一家で東京に移住します。東京大学文学部仏文科卒業後、松竹大船撮影所に入社。木下惠介の助監督などを経て、1960年に『ろくでなし』で監督デビューしました。

『秋津温泉』などで、松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として高い評価を得ましたが、編集の問題で松竹と衝突して退社。1966年、妻の岡田茉莉子とともに独立プロダクション「現代映画社」を設立しました。

『エロス+虐殺』『煉獄エロイカ』『戒厳令』などの前衛的な作品は、日本より特にフランスなど欧米で高い評価を得ましばらく映画から離れ、13年ぶりの復帰作となった1986年の映画『人間の約束』は、サン・セバスティアン国際映画祭銀の貝殻賞、1988年の『嵐が丘』もカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で高い評価を得ました。

最後の監督作となった2002年の映画『鏡の女たち』も、カンヌ国際映画祭において特別招待作品として上映されています。

2022年12月8日、肺炎のため89歳で死去。岡田茉莉子は、亡くなったときの様子を以下のように語っています。

「前日までは普通に会話をして『おやすみ』と言って……。翌朝、7時ごろに吉田は起床するなり『だるい』と。これはただ事ではないのだと救急車に乗って病院に到着したものの、待合室で息を引き取ってしまったのです」

「吉田は父であり、恋人であり、師匠であり、友人であり、そして、私を大女優に育ててくれた最高のパートナーでした。亡くなった当時はぼうぜん自失としていましたが、法要を終え、やることが次々と舞い込むので、前を向かなければと。何十年と習慣にしていたダンスのレッスンも再開しました」

引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2214133/

2人は同じ歳であり、子どもはいませんでしたが、ともに製作した11本の映画が子どものようなものだと語っています。



映画のロケ地6か所とその現在

「秋津温泉」も「秋津荘」も架空ですが、上述の通り、岡山県の「奥津温泉」と旅館「河鹿園」がモデルとなっています。

「河鹿園」は、当時の建物こそ現存していませんが、現在も営業を続けています。

名称池田屋 河鹿園
住所岡山県苫田郡鏡野町奥津55
公式HPhttps://www.kajika-en.com/

以下、映画のロケ地とその後・現在についてご紹介します。

渓谷沿いに立つ「秋津荘」のロケ地となったのは、上記の「河鹿園」ではなく、「大釣荘」でした。

しかし、残念ながら「大釣荘」はその後閉業して建物も取り壊しとなり、現在は「大釣温泉」という名の日帰り入浴施設となっています。

名称大釣温泉(もと大釣荘)
住所岡山県苫田郡鏡野町奥津川西16-2
公式HPhttps://www.i-napj.com/facility/

劇中、何度も登場する素朴な温泉街の橋は、奥津温泉街に今もほぼそのままの形で現存しているようです。

橋の上の印象的なシーンも多く、本映画ファンならぜひ一度足を運びたいところです。

新子は、自宅に戻る周吉を追いかけて同じバスに乗り込み、津山の街で丸一日一緒に過ごします。その際、2人が散策する桜の咲いた高台の公園は、津山城がロケ地です。

津山城は、森蘭丸の弟である森忠政が、1616年に築城。明治時代、廃城令によって城の建造物はすべて取り壊しとなりましたが、今も残る荘厳な石垣とともに、桜の名所として有名です。現在も「鶴山公園(かくざんこうえん)」として、津山のシンボル的存在です。

ちなみに、2人が散策する背後に、テニスコートが見えていますが、確定はできないものの、今もすぐ近くにテニスコートは実在しているようです。

名称津山城 鶴山公園
住所岡山県津山市山下135
公式HPhttps://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=58

津山城を散策し、その夜を一緒に過ごした翌朝、新子は周吉を駅のホームで見送ります。場所は、そのまま津山駅のホームがロケ地です。

写真の中央あるホームから下りる階段は、新子が先に去ろうとして立ちすくんでいた場所です。

名称JR津山駅
住所岡山県津山市大谷
公式HP

「秋津荘」を廃業した新子が、もらい湯をするのは、セリフにもあったとおり、「般若寺温泉(はんにゃじおんせん)」の露天風呂です。

映画の中盤、新子が入るそり立った岩壁の風呂も、こちらの風呂のように見えます。風呂場回りは、当時から改装されている可能性がありますが、脱衣小屋のあたりは、映画そのままの風情が今も残っています。

般若寺温泉は、明治時代に寺の宿坊として開設され、現在は、1時間単位の完全貸切制の露天風呂施設となっています。

名称般若寺温泉
住所岡山県苫田郡鏡野町奥津川西20
公式HPhttps://www.okayama-kanko.jp/spot/11774

終盤、周吉に置き去りにされた新子が手首を切る道端は、現在、「奥津渓」の石碑が建てられているこの場所。

劇中通り、この下に、奇妙な形状の白い岩場が連なる奥津峡・甌穴(おうけつ)が拡がっています。

奥津渓は、奥津温泉を流れる吉井川沿いの渓谷であり、中でも数十万年かけて形作られたと言われている花崗岩の甌穴群は東洋一とも言われています。

名称奥津峡・甌穴
住所岡山県苫田郡鏡野町奥津川西
公式HPhttps://www.okayama-kanko.jp/spot/11712



映画『秋津温泉』の感想・レビュー

岡田茉利子と言えば『秋津温泉』。

映画出演100本記念として自身が企画し、監督・脚本が後の夫、吉田喜重とくれば、岡田をひたすら美しく見せるだけのメロドラマかと思いきや、なかなか前衛的な、芸術の香り漂う傑作であった。

岡山の山間にある鄙びた温泉宿の一人娘、新子と、東京から疎開してきた学生、河本周吉との出会いから、終戦を挟んだ17年の物語。

新子は、当時としてはかなり自由な考えを持ち、明るく行動的。
周吉はというと、戦争と自身の病から自暴自棄となっており、辿り着いた宿で自殺を図ろうとして結局、新子に救われる。
二人はすぐに惹かれ合い、新子も乞われて一度は心中に同意するが、本当は新子にそんな気はさらさらなく、大笑いで未遂に終わらせてしまうのだ。

そんな風に、明と暗、まるで正反対の二人だが、17年の年月を経ていくうちに、その内面は次第に逆転していくのである。

井伏鱒二の「さよならだけが人生さ」という言葉が劇中何度も使われる。

その通り、二人は、何度も引っ付いたり別れたりを繰り返す。
実際のところ、正式な恋人関係になったことは一度もなく、数年おきに再会してはひとときの愛憎に溺れ、また河本が去っていくという、腐れ縁のような関係。

とりわけ印象的なシーンが、東京へ行くという河本を、駅のホームで新子が見送るところ。
河本は、今日は僕が見送る番だと言って、ホームの新子を先に帰らせる。
誰もいないホームを無言で去っていく新子の後ろ姿。
やがて汽車が動きだし、その横を追い越されて初めて新子は感情露わに汽車を追いかけるのである。

そんな一風変わった別れの場面こそ、二人の関係そのものを象徴していると思う。

17年の間、河本は、他の女と所帯を持ちつつ、厭世的でだらしない生き方を変えることはない。その自己中心ぶりは、したたかでさえある。
激しく変貌していくのは、そんな情けない河本をひたすら待ち続けた新子である。

最後に河本が秋津を訪ねたとき、新子は別人のように変わり果てていた。
まるで魂が抜けたように、河本を見ても無表情。そして、ついには、自分から河本に懇願するのである。
「一緒に死んで欲しい」と。

素晴らしいカメラワークで切り取られた画面はまるで現代絵画のよう。
四季の移ろう美しい自然と、滑稽な人間の営みを、ときにワクワクするような斬新な構図の中に見事に対比させてみせている。

男と女の腐れ縁を描いた日本映画の名作というとすぐに『浮雲』が思い浮かぶが、『秋津温泉』の印象は随分違う。

どこかヨーロッパ映画の香りが漂っているように感じられるのは、終始二人を包む、抒情的な弦楽器の音楽によるところも大きいかもしれない。

岡田茉利子が最も美しい盛りの記念すべき作品であり、長門裕之は巧いがどちらかという凡庸な二枚目という点で、その相手役に相応しい。

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*本ページの情報は2024年2月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

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