『カムカムエヴリバディ』は実話?平川唯一の生涯/妻子の現在

カムカムエヴリバディ・平川唯一 ドラマ

2021年11月1日から2022年4月8日まで放送されたNHK連続テレビ小説の第105作『カムカムエヴリバディ』。

3人の女優が、三世代にわたる3人のヒロインをリレー形式で演じていく、朝ドラ初の試みが話題になりましたが、物語の一つのカギとなっていたのがラジオ英語講座です。

そこで本記事では、題材となっている実在した平川唯一と、「カムカム英語」として愛された彼のラジオ番組について詳しくご紹介します。

物語の背景を理解することで、ドラマをより深く楽しむことができるはずです!

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NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』について

昭和・平成・令和それぞれの時代を、強く自分らしく生きていく祖母・母・娘、三世代の女たち……。

上白石萌音(祖母)、深津絵里(母)、川栄李奈(娘)が演じる、そんな3人のヒロインの生きざまをリレー形式で描く第105作めのNHK連続テレビ小説が『カムカムエヴリバディ』です。3人主演は、朝ドラ史上初の試みでもあります。

のべ100年にわたる物語の一つの重要な柱であり、タイトルの由来ともなっているのが、実在した平川唯一(ひらかわただいち)と彼が講師を務めて国民的人気を博したラジオ英語講座、通称「カムカム英語」です。

ドラマでは、さだまさしが平川唯一を演じます。

■あらすじ

舞台は岡山、大阪、京都。また、それぞれの物語に「野球」「ジャズ」「時代劇」というテーマがもうけられており、三世代100年の物語がつづられます。

最初のヒロインは、日本で初めてラジオ放送が始まった1925年(大正14年)3月22日、岡山の和菓子店「たちばな」に生まれた橘安子(たちばなやすこ)。戦争によって夫を亡くしますが、ラジオ英語講座との出会いが人生を変え、娘を残して渡米することになります。

そんな安子の娘で、2人目のヒロインとなるのが雉真るい(きじまるい)です。昭和30年代の大阪に始まり、母親に反発しつつも、ジャズを通して運命の相手と出会います。

3人目のヒロインが、るいの娘、ひなた。物語は昭和40年代の京都に始まり、時代劇に憧れ、その後平成から令和へ、再び祖母の人生を変えたラジオ英語講座に回帰します。

■脚本と主題歌は?

ストーリーそのものは実話ではなく、2007年の朝ドラ『ちりとてちん』を手掛けた藤本有紀が2度目の抜擢となってオリジナル脚本を執筆しました。

主題歌は、AIが歌う「アルデバラン」。

「アルデバラン」とは、恒星の名前であり、おうし座で最も明るい星の一つとして、冬のダイヤモンドを形成することでもよく知られています。アラビア語に由来し、「後に続くもの」という意味があることから、本作の物語を象徴します。

作詞と作曲を担当したのは森山直太朗です。



平川唯一と「カムカム英語」について詳しく紹介!

1.ラジオ英語講座「カムカム英語」について

終戦から半年が過ぎた1946年(昭和21年)2月1日、NHK第一放送でスタートしたラジオの教育番組が「英語会話」です。

番組は「カムカム英語」の通称で、講師の平川唯一も「カムカムおじさん」あるいは「アンクル・カムカム」などと呼ばれ、国民的人気を博し、戦後の日本における英語ブームのきっかけとなりました。

週5日、夕方6時から15分の生放送でしたが、再放送があったり、たびたび放送時間も変更されたりしています。

1951年(昭和26年)2月9日まで5年間にわたってNHKで放送されたのち、およそ10か月間の中断を経て、12月25日からはラジオ東京をはじめとする民間放送で、1955年(昭和30年)7月30日まで放送されました。

つまり番組は9年6か月続いたことになります。

2.テキストと「カムカム・クラブ」

放送の内容に合わせたテキストが毎月発行されましたが、最初のころは用紙不足や急激な人気沸騰などあって、入手することは極めて困難だったようです。NHK時代に54冊、民放時代に43冊が発行されました。

またNHK時代には、平川が中心となって副読本的な雑誌「カムカム・クラブ」も毎月発行されています。同誌を軸に、全国各地にカムカム・クラブ支部が結成されたりもしました。

昭和22年4月29日には、東京の神田にある共立講堂で「楽しく英語を学ぶ会」が開催されて盛況を呈し、この後も大阪などで同様の催しが開かれて「カムカム大会」と呼ばれました。

番組の熱心なファンは「カムカム・ベイビー」と呼ばれ、中には多くの著名人もいます。

3.「カムカムエヴリバディ」の意味は?

番組が「カムカム英語」の通称で愛されたのは、冒頭に流れるテーマソング「カム・カム・エヴリバディ」に由来します。

平川唯一自身が作詞し、メロディーは中山晋平が作曲した有名な童謡「証城寺の狸囃子」に乗せ、歌われました。当時、中山晋平はまだ健在で、平川が直接家を訪問して許可をとったようです。

滝田静子のピアノ伴奏で、東京放送児童合唱団が歌い、番組開始から最初の1か月は生演奏でした。ちなみに、滝田静子は、平川の妻よねの二番目の妹です。

訳詞には「こいこい、みんなこい」があてられています。

4.平川唯一の生涯とその死

・生い立ち

平川唯一は、1902年(明治35年)2月13日、岡山県上房郡津川村(現在の高梁市)のごく普通の農家に3人兄弟の次男として生まれました(弟は幼くして事故死)。

14歳のときに、津川尋常高等小学校高等科をおえると、2年ほど、家業の農家の仕事を手伝って暮らし、このときはまだ英語とは無縁でした。

1918年(大正7年)、16歳のとき、事業の失敗のためかねてからアメリカに出稼ぎに行っていた父・定二郎を追って、兄の隆一とともに渡米します。9月7日に神戸港を出発し、10月1日、サンフランシスコ港に到着しました。

・渡米生活

父と合流して一時ロサンゼルスに滞在したのち、よりよい環境を求めて3人はオレゴン州ポートランドに落ち着きます。

唯一は、鉄道の線路工夫として半年、シアトルで日系実業家の経営する「古屋商店」の店員として半年を過ごしました。

そこで英語の必要性を身をもって痛感した唯一は、1919年(大正8年)に裕福なハモンド家住み込みのスクールボーイとして週2ドル50セントの手当をもらいながら、ウーウェド・スクールで勉強を始めます。同小学校を3年で終え、ブロードウェイ・ハイスクール時代には雄弁大会で決勝に残るほどのレベルに到達していました。

1926年(大正15年)10月には、ワシントン州立大学にすすみ、物理学を専攻しましたが、2年生のときに演劇科に移りました。優秀な成績をおさめ、また演技の発声の一環で、正しい英語の発音などを身につけたようです。

大学卒業後はロサンゼルスに移り、リトル・トウキョウ劇団の専任監督として指導にあたりつつ、自身も俳優としてハリウッド映画『ダイヤモンド島の謎』などに出演しています。

・帰国からラジオ・アナウンサーとして

よねの大学卒業や当時の社会情勢を鑑み、一家3人は、1937年(昭和12年)9月19日、サンフランシスコ港を出て、11月6日、横浜港に到着し、帰国をはたしました。唯一にとってはのべ19年の滞米生活でした

唯一は、日本電報通信社(現在の電通)に短い期間在籍したのち、NHK海外放送のスタッフに採用され、入社します。翻訳者として採用され、まもなくアナウンサーに転じています。

世田谷に居を構え、戦時中はNHKラジオの海外放送においてチーフアナウンサーとして勤務しました。戦後は、GHQからの要請で、占領の放送などに携わることとなり、NHKも退職に至っています。

一時は無職となった唯一でしたが、再びNHKから声をかけられ、ラジオ英語会話の講師に抜擢されるに至ったのです。

・NHKの英語講座降板の理由

一時はファンレター50万通におよんだと言われた平川唯一が、1951年にNHKの番組を降板した理由はいくつかあったと言われています。

契約上の経済的条件が折り合わなかったというもの、また、英語教育に関する唯一の信念や考え方によるもの、戦後しばらく経ち、NHK側と平川の考え方にズレが生じたことなどが、絡み合っていたようです。

その後、上記のとおり民放において「カムカム英語」が復活しましたが、かつてのような人気を取り戻すことはできませんでした。

・晩年と死去

NHK、続く民放での英会話講師を終えたのち、1957年(昭和32年)、創立まもない太平洋テレビに迎えられ、翻訳部長に就任しました。その後、副社長となり、63歳で退職しています。

1976年には、勲五等双光旭日章を授与。

1981年(昭和56年)、79歳のとき、『みんなのカムカム英語』を出版しています。

趣味はテニスと自動車でした。滞米時代から続けているテニス、そして85歳で免許返上するまで、愛車のモーリス・マイナーに35年間乗り続けました。(没後、河口湖自動車博物館に展示)。

1993年(平成5年)8月25日、家族に看取られながら91歳で死去しています。

平川唯一の家族(妻の滝田よねと4人の子ども)

ロサンゼルス在住時には、演劇活動以外にも、セントメリーズ・チャーチに招かれて専任教師をつとめていました。牧師補試験にも合格しています。この教会で出会った日本人女性が、滝田よねです。

滝田よねは、東京・神田の裕福な洋服商の家に生まれ、教育学を学ぶため南カリフォルニア大学に留学中でした。1935年(昭和10年)3月14日、二人はロサンゼルスの教会で結婚。翌年には長男の壽美雄が誕生しています。

ちなみに父の定二郎は、1920年に早々と帰国しており、7年後に死去。その直後に兄の隆一も9年間の滞米生活を終えて先に帰国しており、唯一ひとりが残っていました。

家族3人で帰国後、日本で次男の洌、長女の睦美、次女の萬里子をもうけています。

・家族のその後と現在

長男の壽美雄(英語名:ビクター)は、ワシントン大学を首席で卒業し、ファースト・シティー銀行副頭取、三菱銀行シアトル出張所長などを歴任。2018年に他界しています。

次男の(英語名:クラレンス)は、海外ビジネスを行うホリー商事株式会社を設立し、代表取締役を務めているほか、ウクレレ奏者の第一人者としても活躍。下記にご紹介する父に関する書籍も執筆しています。

次女の萬里子(英語名:メリー)は、日本舞踊と長唄三味線の名取を取得して渡米。1983年にはワシントン州タコマに「歌舞伎アカデミー」を創設し、日米文化交流の一翼を担っています。

妻のよねと長女の睦美のその後と現在については、公になっていません。よねは1904年(明治34年)の生まれですから、すでに亡くなってしまわれているものと推測されます。



『カムカムエヴリバディ』好きにおすすめの本

朝ドラ『カムカムエヴリバディ』のスタートと同時に、『ラジオで! カムカムエヴリバディ』が、NHKラジオ第2放送でも放送されました。

週3回、ドラマと連動する形で放送される英語講座番組で、平川唯一の「カムカム英語」を彷彿とさせるものでした。

平川唯一の生涯については、次男の平川洌(きよし)氏が執筆した「カムカムエヴリバディ: 平川唯一と『ラジオ英語会話』の時代」がおすすめです。

ちなみに、平川唯一と合わせ、ドラマのもう一つのテーマとも言える「時代劇」を象徴するキャラクターが尾上菊之助演じる桃山剣之介。ここにも実在のモデルがおり、下記の記事で紹介しています。

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