朝ドラ『本日も青天なり』あらすじ/相関図、近藤富枝の実話

本日も青天なり ドラマ

NHK朝ドラの再放送枠において、2022年9月から2023年3月まで放送され、再び注目を集めた『本日も晴天なり』。

1981年10月から1982年4月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説第28作目の作品です。

本記事では、同ドラマのあらすじ、主要登場人物とキャスト、簡単な人物相関図にくわえ、ヒロインのモデルとなっている近藤富枝について詳しくご紹介します。

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NHK朝ドラ『本日も青天なり』が再放送で注目!

東京の人形町に生まれ育ったヒロインの桂木元子が、仕事と主婦業に、奮闘しながら生きていく姿を描いた朝ドラ第28作目の作品が『本日も青天なり』です。

1981年(昭和56年)10月5日から1982年(昭和57年)4月3日にかけて全153話が放送され、平均視聴率36.6%、最高視聴率43.3%を記録したばかりか、ヒロインを演じた原日出子が大ブレイクするきっかけとなりました。

実在した作家、近藤富枝がヒロインのモデルとなっており、タイトルはアナウンサーとして「本日は晴天なり」と言うべきところ、誤って「本日も晴天なり」と言ってしまったエピソードに由来しています。

脚本を担当したのは小山内美江子。ドラマ『3年B組金八先生』シリーズが有名ですが、NHK大河ドラマも『徳川家康』と『翔ぶが如く』の2度、朝ドラも1979年の『マー姉ちゃん』に続き、本作が2度目の抜擢でした。

近藤富枝自身は、著作の中でドラマ化の経緯を以下のように語っています。

「戦後もその頃になるとかなり男女同権の時代になっていましたが、私がアナウンサーになった頃は、男の人は皆戦地に赴いていたので、代わりに女性が採用されたという事情がありました。そのため終戦とともに女子は辞めされられるということになったけれど、それは戦後社会で最先端であるべきNHKという組織にとって恥ずべきことだったのではないかという反省があって、戦時中に女性アナウンサーとして勤めた私の例が取り上げられたらしいのです。」

引用:『92歳まだまだやりたいことばかり』近藤富枝著、聞き書き鈴木伸子、河出書房新社

『本日も青天なり』のあらすじとキャスト・相関図

■あらすじ

江戸時代から続く東京・人形町にある江戸染紺屋「吉宗」の、4人きょうだいの長女として生まれ育ったヒロインが桂木元子です。

戦時下の労働力不足の中、放送局の募集に合格し、初の女性アナウンサーの一人となりますが、終戦によってわずか1年で失業。その後、ルポライター、やがて作家の道へと歩み始める姿を、昭和の世相を背景に描きます。

物語は、元子が19歳となった昭和19年にはじまり、ルポライターとして精力的に活躍しながら、家族の問題に悩む昭和48年まで描かれます。

■主要キャストと人物相関図

本日も晴天なり人物相関図

ヒロイン:桂木元子(かつらぎもとこ)/原日出子

江戸時代から続く東京・人形町にある老舗江戸染紺屋「吉宗」に生まれた長女が桂木元子です。昭和元年に生まれ、物語のスタート時点では19歳。「ガンコ」というあだ名の文学少女です。のちに大原正道と結婚し、長男の大介、長女の道子をもうけます。

父:宗俊/津川雅彦

元子の父で、「吉宗」の八代目当主が宗俊です。典型的な江戸っ子気質ですが、気弱なところもある遊び人です。「むねとし」が本名ですが、気取って「そうしゅん」と呼ばせています。

母:トシ江/宮本信子

夫の宗俊を支えるしっかり者の妻であり、元子の母がトシ江です。

兄:正大/福田勝洋

元子の兄が正大で、のちに元子の夫となる大原正道の中学の後輩でもあります。北海道の大学在学中に軍の召集令状を受け取り、出征します。

妹:巳代子/小柳英理子

元子の3歳下の妹が巳代子です。マイペースなちゃっかり屋さんです。

弟:順平/吉田紀人

元子の12歳下の弟が順平です。映画の仕事を目指しますが、最終的には「吉宗」の跡継ぎとなります。

叔父:花山洋三/上條恒彦

宗俊の妹である絹子と結婚し、元子から見て叔父にあたるのが花山洋三です。カフェ「モンパリ」のマスターです。

叔母:花山絹子/茅島成美

宗俊の妹で、花山洋三と結婚し、「モンパリ」のおかみさんとして働いているのが絹子です。つまり、元子の叔母にあたります。

夫:大原正道/鹿賀丈史

のちに元子の夫となる男性が、陸軍中尉の大原正道です。正大の入隊にあたって、桂木家と深く関わるようになります。

姑:大原波津/原泉

大原正道の母が波津であり、つまりのちに元子の姑となる女性です。



■その他、桂木家を取り巻く人々

芸者:金太郎/木の実ナナ

芳町の売れっ子芸者から、戦時中は軍需工場で働くことになるのが金太郎です。面倒見がよく、アナウンサーを目指す元子のよき相談相手にもなります。のちに東京大空襲の犠牲となってしまいます。

三味線屋「秀美堂」主人:神長幸之助/牧伸二

人形町にある三味線屋「秀美堂」の主人が神長幸之助であり、宗俊の遊び仲間です。

「吉宗」染物職人:彦造/森三平太

50歳を過ぎても独身の「吉宗」の染物職人が彦造です。

「吉宗」お手伝い:キン/菅井きん

夫と死別したのち、一人息子とともに、結婚前に奉公していた「吉宗」に戻ってきたお手伝いさんが、「おキンばあや」ことキンです。息子は出征しています。

その他、働く元子を取り巻く人々

アナウンサー同期:向井恭子/小島りべか
アナウンサー:五十嵐悦子/渡辺佐和子
「女性時代」編集長:泰子/三木弘子

モデルとなった近藤富枝の実話とその後

■戦前から戦中

桂木元子のモデルとなっている近藤富枝(こんどうとみえ)は、1922年(大正11年)8月19日、東京市日本橋区矢ノ倉町(現在の中央区東日本橋一丁目)にあった袋物問屋に生まれました。

1929年、世界恐慌のあおりで家業が破産したため、田端にあった父方の祖父母の家にひきとられます。戦時下だった1943年9月、東京女子大学国語専攻部を繰上げ卒業し、文部省教学局国語課に職を得ました。在学中には演劇に熱中し、劇団の研究生になったりしたほか、瀬戸内寂聴は学生時代からの友人でした。

1944年、NHKの第16期アナウンサーに採用されますが、終戦を機にわずか1年あまりで退職しました。

■戦後と晩年

1946年5月、23歳の時、元軍人でのちに軍事史研究家となる幼なじみの近藤新治(筆名は土門周平)と結婚しました。その後は約18年間にわたり専業主婦でしたが、1963年に「週刊朝日」に投稿した体験談「その瞬間の放送員室」が特選となったことなどをきっかけに、文筆活動に入ります。体験談は、NHKアナウンサー時代の終戦の日を綴ったものでした。

40代中頃までは、「主婦の友社」の専属のルポライターとして忙しい日々を送ります。1968年には、最初の著作である『永井荷風文がたみ』を発表。以後、きものや王朝継ぎ紙関連の著作、ノンフィクションやミステリー小説などを次々と刊行していきます。

ドラマ『本日も青天なり』が放送されたのは、近藤富枝がまさに多岐にわたる活動に積極的に取り組んでいた時期です。その後も、1986年から1993年にかけて武蔵野女子大学の教授、1997年から雑誌「東京人」副編集長、また読売文化センターにて『源氏物語』に関する講座を26年間に渡って継続しています。

2014年から15年にかけて、スカパー!プレミアムで「DHCシアター『光る君』近藤富枝が語る源氏物語」を全53回に渡って放送するなど、晩年に至っても表舞台に立ち続けましたが、2016年7月24日未明、老衰のため享年93歳で他界しました。

■近藤富枝のおすすめ著作

①『本郷菊富士ホテル』

大杉栄、竹久夢二、直木三十五、坂口安吾ら、多くの作家や芸術家が出入りしたと言われる、本郷菊坂にあった伝説の高級下宿「菊富士ホテル」。近藤富枝の叔母が、ホテル経営者の羽根田幸之助の長男の妻だった縁で、見聞きしたことを綴った文壇ノンフィクションです。

いよいよライターから作家へと本腰を入れて取り組むようになったきっかけの作品です。執筆にあたっては、瀬戸内寂聴から「すでに自分も書いた題材だから」という理由で反対されたよう…。

1998年には、森光子、中田喜子、高畑淳子らが出演し、芸術座で上演もされました。

②『紫式部の恋』

近藤富枝のライフワークの一つでもあった『源氏物語』研究を結実させた著作の一つです。

大胆な仮説を展開しつつ、読み応えのある内容は高く評価され、源氏ファンの間では、隠れた名作として広く知られています。

③『文豪のきもの』

樋口一葉、永井荷風、谷崎潤一郎、夏目漱石、川端康成、宇野千代ら、名だたる文豪たちは、それぞれの作品のなかでどんな風にきものを描き、また本人はどんなきものを着ていたのか…。

きものに関する著作の多い近藤富枝が綴った珠玉のエッセイです。

④『92歳 まだまだやりたいことばかり』

近藤富枝が92歳を迎えたときの心境を、聞き書き形式で綴ったエッセイ集です。自分の生い立ちについて、病気のこと、夫のこと、老いと死のことなど、前向きに生きる人生術を語ります。



■夫の近藤新治(筆名:土門周平)について

土門周平(どもんしゅうへい)こと近藤新治は、1920年11月18日、東京生まれ。陸軍士官学校卒業後、いくつかの部隊に従軍し、終戦を迎えました。

戦後、幼なじみだった近藤富枝との結婚後は、警察予備隊入隊、陸上自衛隊勤務、富士学校教官などを経て防衛研究所戦史編纂官に就きました。その後も、軍事戦略思想史、戦争指導史の専門家として、日本軍事史学会副会長、戦略研究学会会長などを歴任しています。

そうした軍事関係の仕事のかたわら、作家として時代小説を執筆。1978年には、共同執筆した記事「第三次世界大戦」で文藝春秋読者賞を受賞しました。

晩年は10年以上に渡り認知症を患っていたことが、近藤富枝の著作に記されています。2017年、97歳で死去しました。

■近藤富枝の子どもは?

子どもは娘と息子がいます。息子の近藤龍太郎氏は、日本におけるApple立ち上げ時の関係者、娘の近藤陽子氏は、講談社の編集者から母の後を継いで「王朝継ぎ紙研究会」の講師をつとめているようです。

公式ホームページにある略歴によると、亡くなる前日に孫やひ孫と面会したことが記されています。

朝ドラ『本日も青天なり』が出世作となった原日出子

ドラマ『本日も青天なり』は、DVD化の実現していない作品とあって、今回はファンにとって待望の再放送でした。

また本作は、ヒロインを演じた原日出子の出世作としても知られています。2022年5月には、夫・渡辺裕之の急逝という悲しい出来事を体験しましたが、本ドラマでは、若きの日の初々しい魅力に溢れた姿を見ることができます。どうやら、公式インスタグラムによると、再放送を毎回懐かしく楽しんで視聴していたようです。

残念ながら、ヒロインの父を演じた津川雅彦も2018年に他界しています。

ちなみに、モデルとなった近藤富江は、ドラマ放送の感想を以下のように語っています。

「私自身の講演料がすごく高くなったこと。どこへ行ってもちやほやされたこと。そして、NHKの朝のドラマの主人公という肩書きだけがものを言ったこと。その後数年間は、そのことだけで見られてなんだかいやでしたね。そういうことで自分が有名になるのはうれしくなかった。」

引用:『92歳まだまだやりたいことばかり』近藤富江著、聞き書き鈴木伸子、河出書房新社

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