名作『追憶』あらすじ・キャスト・実話と知られざる10の秘話

追憶 映画

バーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォードという二大スターが共演し、1973年に公開されたラブストーリーの名作『追憶』。

脚本家アーサー・ローレンツの学生時代の体験をもとにした映画、と極めて一面的な形容がなされがちですが、実はさまざまな秘話が隠されています。

そこで本記事では、すでに有名なあらすじとキャストの説明はごく簡単に留め、日本ではあまり知られていないそうした秘話と実話について、詳しくご紹介したいと思います。

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極上の恋愛映画『追憶』について

あらすじ

1937年、大学で出会ったケイティとハベル。

ケイティは共産主義に傾倒し、政治運動に熱心に取り組む頑固過ぎるほどの硬派。一方のハベルは文武両道、おまけに容姿もよく学内の人気者ですが、政治にはあまり興味なし……。

そんな正反対の二人が出会い、惹かれ合って結婚に至るも、生き方と考え方の違いから否応なく破綻していく20年の愛の軌跡を、赤狩りが吹き荒れる当時の社会情勢を背景に描きます。

主要登場人物とキャスト

・ケイティ・モロスキー/バーブラ・ストライサンド

強い政治信条を持ち、一途にその信念を貫く強さと頑固さを持ち続ける女性がケイティです。大学卒業後も放送局で働いて自立しながら、政治運動を続けます。自分を偽ることができず、すぐ感情的になって周囲と衝突します。

・ハベル・ガードナー/ロバート・レッドフォード

大学卒業後、第二次世界大戦に従軍。数々の実績を残して帰国後、ケイティの後押しもあって小説家としての才能を開花させます。政治より人間を重視し、社交的で人付き合いも良く、他人との不必要な摩擦を好みません。

・J・J/ブラッドフォード・ディルマン

ハベルの大学時代の悪友で、裕福な上流階級の出身です。難しい政治の話を嫌い、娯楽最優先。その軽薄な生き方がケイティには我慢できません。

・キャロル/ロイス・チャイルズ

ハベルの大学時代の恋人で、その後J・Jと結婚した、やはり上流階級の令嬢です。物静かで、自分を声高に主張することをせず、ケイティとはまったくタイプの違う生き方をしている女性です。

スタッフ

監督:シドニー・ポラック

シドニー・ポラックは、1950年代半ばから俳優として活躍しつつ、やがて監督として才能を発揮し、数々の名作を手掛けました。本作のほか代表的作品には、『トッツィー』、アカデミー監督賞に輝いた『愛と哀しみの果て』などがあります。

2008年に73歳で死去しました。

製作:レイ・スターク

60年代から80年代にかけて活躍した、ハリウッドを代表する敏腕プロデューサーの一人がレイ・スタークです。代表的作品には、『ファニー・ガール』『グッバイガール』『アニー』『マグノリアの花たち』などがあります。

2004年に89歳で他界しました。

脚本:アーサー・ローレンツ

アーサー・ローレンツは、『ウエスト・サイド物語』や『ジプシー』などブロードウェイ・ミュージカルの脚本で脚光を浴び、その後は本作のほか、ヒッチコックの『ロープ』、『追想』や『悲しみよこんにちは』など文芸映画でもその才能を発揮した脚本家です。

後述するようにゲイであり、2000年に発表した自伝の中で私生活のことも赤裸々に綴っています。2011年に93歳で亡くなりました。



映画『追憶』にまつわる知られざる10の裏話

①実話をもとにした物語!しかも……

2人の出会いやその後関係が壊れていく物語のプロットは、脚本を執筆したアーサー・ローレンツ自身(写真中央)の実体験がもとになっています。

ローレンツが、1948年に出会い、恋に落ちたのがバイセクシャルで知られる俳優のファーリー・グレンジャー。

ローレンツはゲイのユダヤ人で、しかも政治運動にも熱心でした。一方のグレンジャーはというと、のんきで典型的なWASP(白人アングロ・サクソン系プロテスタント)の二枚目俳優。

マッカーシズムによる赤狩りが吹き荒れる中、下院非米活動委員会で矢面に立つローレンツをグレンジャーは擁護することをせず、その結果、関係が壊れたばかりか、1951年、「ハリウッド・ブラックリスト」にローレンツの名が載ることになってしまいます。

つまり、ゲイの恋愛が、物語のベースになっているのです

アーサー・ローレンツが脚本を手掛けたヒッチコック監督の『ロープ』には、ファーリー・グレンジャーが主人公の青年の一人として出演。実在の同性愛カップルが起こした殺人事件をもとにした物語です。

②ケイティとハベルの人物造形にもモデルが!

1937年、アーサー・ローレンツがコーネル大学の学生だったとき、政治運動に関心を持つきっかけとなった一人の女子学生がおり、彼女がケイティのモデルとなりました。

ユダヤ人であるローレンツは、自分の気持ちを代弁できるのは同じユダヤ人の女優だと考え、バーブラ・ストライサンドを当初から想定して脚本を執筆しました。

一方、ハベルについては、複数の人物を組み合わせたキャラクターのようです。

まず名前は、仕事上関わりのあったテレビ・プロデューサーのハベル・ロビンソンから借用。見た目や内面については2人いると答えており、一人は脚本家・作家のピーター・ヴィアテル、そしてもう一人について、ローレンツは「Tony Blue Eye(粋なブルーの瞳)」と形容しただけでその名を明かしていません。

一説には、ローレンツと死別まで52年間恋人同士だったトム・ハッチャーだという人もいるようですが、真偽は明らかではありません。

ピーター・ヴィアテルは、映画『アフリカの女王』の脚本、クリント・イーストウッドの『ホワイトハンター ブラックハート』の原作・脚本などで知られており、また女優デボラ・カーの夫としても有名です。(上の写真:ピーター・ヴィアテルとデボラ・カー)

③監督選びの経緯

最初、監督候補として名前があがったのはピーター・ボグダノヴィッチでした。1971年の『ラスト・ショー』でアカデミー監督賞候補、本作の前年にはバーブラ・ストライサンドとライアン・オニール主演で映画『おかしなおかしな大追跡』を大ヒットさせていました。後年、オファーを断ったことを後悔していると述べています。

また、初期の脚本執筆には、赤狩りの被害者として2015年にその生涯が映画化もされたダルトン・トランボらも参加していました。

ダルトン・トランボは、劇中にも登場する、赤狩りによって有罪判決を受けた「ハリウッド・テン」のうちの1人です。

④ハベル役のキャスティング

ローレンツは、ハベル役としてライアン・オニールのキャスティングを想定していたと言われています。

しかし当時、オニールとストライサンドは短い交際にピリオドを打ったばかりであり、カップルを演じさせるのは賢明ではないと判断されたようです。

ロバート・レッドフォードに決定した経緯には諸説あり、一つはウォーレン・ベイティが断ったからだというもの。もう一つは、監督選びで候補に挙がったシドニー・ポラックが、自分なら当時人気絶頂だったロバート・レッドフォードを説得できると主張したため、プロデューサーのレイ・スタークが受け入れたというものです。

⑤脚本家と監督の衝突

上で述べた通り、物語に個人的な思い入れの強かったアーサー・ローレンツは、シドニー・ポラック監督が、脚本に変更を加えたり、削除したりするのが我慢ならず、たびたび二人は衝突していました。

激論が交わされる中、バーブラ・ストライサンドは、ローレンツの側に立つことが多かったようです。

⑥バーブラ・ストライサンドと世紀の名曲「追憶」誕生秘話

映画の主題歌として、マーヴィン・ハムリッシュ(写真左)作曲、アラン&マリリン・バーグマン作詞で製作された同タイトル曲。

バーブラ・ストライサンドは、曲のデモテープを聴いた瞬間にほれ込んだと言われています。当初、今回の映画では、自ら歌うつもりはなかったようですが、この曲を聴いて快諾しました。ただ、数か所、バーブラのリクエストで修正が加えられています。

その一つが、歌詞の有名な冒頭「Memories light the corners of my mind♪」。実は、最初は「Memories」ではなく「Daydreams」と書かれていました。

⑦ラストシーンほか、撮影ロケ地

2人が再会するラストシーンは、ニューヨークの5番街にある有名な「ザプラザ・ホテル」の玄関前

大学のシーンは、ニューヨーク州スケネクタディにあるユニオン大学で撮影されました。

また、学生時代、外のテラスで会い、ハベルがケイティの靴ひもを結んであげるレストランは、ニューヨーク州ボールストン・スパにあるホテル「Medbery Inn and Day Spa」が使用されました。小さなホテルですが、当時の姿のまま現在も営業を続けています。



⑧カットされたシーン

テスト試写の反応を見て、シドニー・ポラック監督はいくつかのシーンをカットしました。

その一つが、UCLAを通りかかったケイティが車を停め、女子学生が熱心に政治的スピーチをしているのを目にし、20年前の自分を思い出すという場面です。

バーブラ・ストライサンドは、これら重要なシーンがカットされたことは大変ショックだったとのちのインタビューで答えています。

⑨撮影中のバーブラ・ストライサンド

2012年に行われたインタビューの中で、ロバート・レッドフォードは、撮影の間、オフ・スクリーンでもストライサンドが自分に想いを寄せていたのは確かだ、と告白しました。

しかし、熱い気持ちの乗った彼女の演技があまりに素晴らしかったため、冷たく拒否するようなことはせず、気づかないふりをしていたそうです。

⑩何度かあった続編の企画

映画公開からおよそ10年後、続編の企画が持ち上がりました。ロバート・レッドフォードがアーサー・ローレンツに仕事を持ち掛け、話し合いの結果、『追憶』の続編を製作することで合意したのです。

ローレンツは、ハベルが、ケイティに負けず劣らず政治に積極的な女性として成長した実の娘と、娘とは気づかずに再会するというプロットで脚本を書き上げました。しかし結局、それ以上進展することはありませんでした。

同じころ、シドニー・ポラックもローレンツに続編の打診をしていたと言います。

1996年には、ローレンツの書いた続編の脚本を手にしたバーブラ・ストライサンドが興味を示し、自身がプロデュースと監督を手掛ける意向でしたが、やはりこちらも企画の段階で頓挫しています。

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ニューヨークのプラザ・ホテルの前でケイティとハベルが再会するラストは映画史に残る名シーンとして知られています。

そして、そこに流れる、バーブラ・ストライサンドが情感たっぷりに歌う名曲「追憶」……。

あの切ないラストの余韻をそのままにするため、続編など不要だと思っているファンの人も少なくないのではないでしょうか。

本作のファンの方には、DVDのコレクターズ・エディション鑑賞をおすすめします。「Looking Back」のタイトルがつけられたメイキング・ドキュメンタリーなど特典映像にくわえ、監督を手掛けた故シドニー・ポラックの音声解説も収録されています。

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