『ボヘミアン・ラプソディ』映画と違う26の実話とその後

ボヘミアンラプソディ 映画

英国を代表する世界的ロックバンド「クイーン」。

1991年に他界したフレディ・マーキュリーを主人公に、バンドの結成から伝説の「ライブ・エイド」出演までを描いた2018年公開の音楽映画が『ボヘミアン・ラプソディ』です。

本記事では、評価が一部で賛否両論分かれる原因の一つともなった、映画と実話の相違点について26の箇所から詳しく、さらに「ライブ・エイド」のその後についてもご紹介したいと思います。

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』はどこまで実話か?

映画に登場する人物はほとんどが実在の人物であり、事件や出来事も実際にあったことを描いているという意味では、まぎれもなく伝記映画ではあります。

しかし、とりわけ時系列の点などで多くの創作、つまり「事実ではない」点が存在します。

ブライアン・メイが「本作はドキュメンタリー映画ではない」と述べているのは、まさにそんな背景があるのです。

実話と違う26か所を映画の展開に沿って解説

明確に事実と異なる26のポイントについて紹介しますが、全部で26か所しかないという意味ではありません。

1.メアリー・オースティンとの出会い

映画:フレディーが、「クイーン」の前身バンド「スマイル」のライブを初めて見た日、そのライブハウスの廊下で偶然メアリーと出会います。その場では短い会話を交わすだけですが、お互いに魅かれるものを感じていることが示唆されます。

実話:メアリーは、最初ブライアン・メイと交際しており、フレディーがバンドに加入したのちに2人は出会いました。

メアリー・オースティンは、フレディーの遺産の半分とロンドンの自宅「ガーデン・ロッジ」を相続し、現在もそこに住んでいます。

2.フレディーがバンドに加入する経緯

映画:「スマイル」のライブを見たフレディーが、ブライアンとロジャーに自己紹介し、ボーカリストに売り込みます。2人の前で「スマイル」の曲をアカペラで歌ってみせ、その歌声に2人は魅了されます。

実話:フレディーは、バンドに加入する何年も前から2人とは知り合いで、メンバー入りを熱望していました。フレディーの直接の友人でもあったボーカルのティム・スタッフェルが脱退したことで、2人はようやくフレディーの加入を認めたのです。(1970年4月)

3.フレディーが加わった最初のライブとジョン・ディーコン

映画:学生が集まるライブハウスでフレディー、ブライアン、ロジャー、ジョンの4人が揃った初のライブ演奏を行い、「炎のロックンロール」を歌います。(1970年)

実話:「炎のロックンロール」は「クイーン」の初期のナンバーであり、実際にライブハウスで好んで演奏されていました。が、この時点ではベーシストのジョン・ディーコンはまだメンバーではありません。ジョンが加わるのは1971年2月のこと。それまでさまざまなベーシストを試したあげく4人目がジョンでした。

フレディーの死後もクイーンとしての活動を続けているブライアン、ロジャーとは異なり、ジョン・ディーコンは、『メイド・イン・ヘヴン』リリース以後、クイーンの活動を行ったのはわずか3回であり、1997年、音楽業界から事実上引退しています。

4.「クイーン」デビューアルバムの録音

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映画:バンを売ったお金を元手に、ついに4人はデビューアルバム『戦慄の王女』を録音します。

実話ファーストアルバムに先立ち、メンバーはすでにディ・レーン・リー・スタジオで「炎のロックンロール」など4曲のデモテープをレコーディングしています(1971年)。その1年後、本格的にアルバム制作がスタートし、1973年7月にデビューアルバム『戦慄の王女』が英国でリリースされました。

このデモテープの音源は、2011年にクイーン結成40周年を記念してリリースされた、リマスター版『戦慄の王女』にボーナストラックとして収録されています。

5.レコード会社EMIとの関係

映画:レコーディング中にEMIのスタッフがたまたまスタジオを訪れ、「クイーン」の存在を知るに至ります。

実話EMIは、早くに「クイーン」のデモテープを受け取っており、レコーディングを偶然目にしてその存在を知ったわけではありません。

6.フレディーの父が語る生い立ち

映画:フレディーの父が、ゾロアスター教に対する迫害を逃れ、身一つでザンジバルを追われてイギリスにやってきたと話します。

実話:フレディーの家族は1964年に、革命を逃れてザンジバルを去りましたが、決して着の身着のままといった悲惨な状況ではありませんでした。父は英国政府のために働いていたため優遇され、6か月の間、ミドルセックスにある半一戸建て住宅で暮らしていました。

7.ジョン・リードとのエージェント契約

(写真)中央の男性がジョン・リード

映画:フレディーが電話を受け、ジョン・リードがマネージメントをしたいというオファーを知ってそのまますんなり契約に至ります。

実話:電話一本でジョン・リードに決まったというような単純なものではなく、契約に至るまでにはさまざまな紆余曲折がありました。実際、EMIがリードに打診した時点では、複数の候補者がいました。イブができるバンドというのがリードの条件だったことから、リッジ・ファーム・スタジオで即興ライブが行われます。しかし、そこに姿を見せたのはリードだけでした。(1975年)

8.ポール・プレンターとの契約

(写真)右の写真の右側の男性がポール・プレンター

映画:ジョン・リードが契約と同時に、ポール・プレンターをバンドの付き人に指名します。

実話プレンターがクイーンの付き人になったのは1977年になってからでした。リードとプレンターは一時期恋人関係にあったと言われています。

9.日本ツアーの実現

映画:マネージャーとなったリードは、すぐさま、BBCの人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演と、その後の日本ツアーを約束します。

実話:「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演後、最初に行われたのは全米ツアーでした。全米ツアーが終了した後に、初の日本公演も実現しています。(1975年4月)

・初来日公演時、世界に先駆け、すでに日本でクイーンの人気は沸騰していました。以後、6度に渡って日本公演が行われたほか、たいへんな親日家だったフレディーは、おしのびでも複数回来日していたと言われています。
・フレディーのロンドンの自宅「ガーデン・ロッジ」には、日本で買い漁った品々が随所に飾られ、日本庭園も設けられていました。
・アルバム「ライブ・キラーズ」の写真は、日本人カメラマンの長谷部宏が撮影した3度目の日本公演のときものです。

10.「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演

映画:「トップ・オブ・ザ・ポップス」が口パクであることに戸惑いながらも、サード・アルバム『シアー・ハート・アタック』からの先行シングルで全英2位を記録した『キラー・クイーン』を演奏します。

実話:「トップ・オブ・ザ・ポップス」に初登場時に演奏したのは、セカンド・アルバム『クイーン II』からシングルカットされた「輝ける7つの海」でした。同年暮れに再出演したときに演奏したのが「キラー・クイーン」です。初登場時のオリジナルフィルムは現存していません。



11.EMI重役のレイ・フォスター

映画:クイーンの4人、ジョン・リードと弁護士のジム・ビーチは、EMIの重役レイ・フォスターと面会し、新しいアルバム「オペラ座の夜」の企画を提案します。

実話:レイ・フォスターという人物は実在していません。EMIのロイ・フェザーストーンをモデルに、EMIの複数の幹部像を組み合わせた架空の人物です。ロイ・フェザーストーンは大の「クイーン」ファンでありながら、「ボヘミアン・ラプソディ」のシングルカットには長すぎるという理由で反対したようです。

12.「ロックフィールド・スタジオ」滞在時の出来事

映画:フレディーが、ポール・プレンターの前でピアノを弾きながら「ラブ・オブ・マイ・ライフ」を歌います。その後、ポールがフレディーに突然キスします。

実話ポールはこのレコーディングに参加しておらず、雇われたのは1977年です。「ボヘミアン・ラプソディ」は、1974年半ばにリッジファーム・スタジオでリハーサルが行われ、1975年夏にロックフィールド・スタジオでレコーディングされました。

・「ラブ・オブ・マイ・ライフ」はフレディーがメアリー・オースティンのために書いた曲だと言われています。
・リッジファームは現存していませんが、ロックフィールドは現在もスタジオとして使用されており、クイーンに関するアーカイブ資料も多数残っているようです。

13.ツアー先のリオデジャネイロにおけるポール・プレンター

映画:ポールがホテルに連れ込んだ裸の男を見てフレディーが不快感を覚え、男を追い払うよう指示します。

実話この時期もまだポールは雇われていません。しかし、フレディーとポールが一時期関係を持っていたことは事実のようです。

14.最後の恋人ジム・ハットンとの出会い

映画:フレディーが新しい自宅で開いた盛大なパーティーが終わったあと、片付けをしていたウエイターのジム・ハットンと出会います。

実話:ジムと出会ったのは、ロンドンの有名なゲイクラブ「ヘブン」でした。しかもこのとき、ジムはフレディーからのドリンクのオファーを拒否しています。また、ジムの仕事はウエイターではなく、サヴォイ・ホテル内で働く美容師でした。

フレディーがロンドン市内ケンジントンに自宅「ガーデン・ロッジ」を購入したのは1985年。以後、亡くなるまで住み続けました。上で述べたとおり、相続したメアリー・オースティンが今も居住しています。

15.フレディーのソロ・アルバムとジョン・リード解雇

映画:ポール・プレンターにそそのかされたジョン・リードが、リムジンの車中でフレディーにソロ・アルバムの企画を打診します。それを聞いたフレディーは激怒し、その場でリードを追い出して解雇します。

実話フレディー自身がソロ・アルバムのリリースに関心を持っていました。この件でリード解雇に至ったというのは事実ではありません。

16.ジョン・リードとクイーンの関係

映画:フレディーが何の相談もなく勝手にリードを解雇したことで、ブライアンらバンドのメンバーは不満を表します。

実話:フレディーのソロの企画が進んでいた頃、クイーンとリードの関係はすでにそれほど密接なものではありませんでした。両者の関係は最後までおおむね良好だったと言われています。

1978年にジョン・リードとの契約が破棄されてからは、弁護士のジム・ビーチがマネージメントも担当するようになりました。

17.クイーンが解散に至る展開

映画:フレディーがCBSとソロ・アルバムの契約を結んだことで、クイーンは事実上の解散状態に至ります。

実話:クイーンが解散したという事実はありません。1982年から83年にかけて活動休止状態にあったり、何度となく話し合ったことはあるようですが、一度も解散状態に至ったことはなく、それぞれが一時的にクイーン以外の活動を行うことはよくあることでした。また実際、フレディーばかりか、ロジャーやブライアンも積極的にソロ・アルバムをリリースしています。

・フレディーよりむしろロジャーの方がソロには積極的で、1977年にソロ・シングル「アイ・ウォナ・テスティファイ」、1981年にソロ・アルバム『ファン・イン・スペース』、1984年に2枚目のソロ・アルバム『ストレンジ・フロンティア』をリリースしています。
・ブライアンは、1983年頃からエドワード・ヴァン・ヘイレンらとコラボをスタートさせており、1992年にソロ・アルバム『バック・トゥ・ザ・ライト〜光にむかって〜』、1998年に『アナザー・ワールド』をリリースしています。

18.フレディーとポール・プレンターの堕落したミュンヘンでの日々

映画:ミュンヘンでソロのレコーディングを行う中、フレディーとポール・プレンターは、アルコール・ドラッグ・セックスにまみれた堕落した日々を送ります。そんな中、プレンターが「ライブ・エイド」の企画を故意に隠していたことが判明し、ついにフレディーが激怒してプレンターを解雇します。

実話:プレンターの影響によってフレディーが堕落した生活を送るようになったのは事実です。が、プレンターが解雇されたのは1986年で、「ライブ・エイド」の後のことです。フレディーのロンドンの別宅で勝手にパーティーを開き、室内を無茶苦茶にしたことが直接の原因だったようです。

19.フレディーと「ライブ・エイド」

映画:フレディーはプレンターの策略で「ライブ・エイド」のことを知らず、メアリーから教えられて、初めてその企画のことを知ります。

実話:フレディーは早くから「ライブ・エイド」のことを知っていましたが、あまり関心を示していませんでした。当初は、その趣旨をしっかり理解してはおらず、慈善事業の名を借りた売名行為だとみていたようです。



20.解雇されたポール・プレンターがマスコミに暴露

映画:プレンターがテレビ番組に出演し、フレディーのプライベートについて暴露します。

実話:確かにマスコミに暴露しましたが、テレビ番組に出演したというのは事実はありません。タブロイドペーパーの「ザ・サン紙」に、フレディーのプライベート写真や私生活に関するエピソードを32000ポンドで売却したと言われています。暴露した内容には、フレディーの派手な性生活や昔の恋人トニー・バスティンやジョン・マーフィーもエイズで死んだことなども含まれていました。

ポール・プレンターも、フレディーが亡くなる数か月前の1991年8月、エイズにより死去しています。

21.「ライブ・エイド」出演決定

映画:フレディーはジム・ビーチに電話をかけ、クイーンを再結成し「ライブ・エイド」に出演したいと告げます。ビーチは、メンバーはいまだ怒っており、出演するにも手遅れだと返事します。その後、ビーチの事務所で4人が再会し、フレディーの謝罪を受け入れます。

実話:上記に述べたとおり、フレディーはもともと出演にあまり乗り気ではなく、またバンドも仲違いして解散状態にあったわけでもありません。出演が決定したのは、「ライブ・エイド」のボブ・ゲルドフに説得されたからです。

22.曲のクレジットを共同名義にする約束

映画:上記の会議の中で、フレディーは、今後、全曲のクレジットを「クイーン」とし、ギャラも等分することを提案され、異論なく受け入れます。

実話:全曲のクレジットを「クイーン」とする決定がなされたのはこの会議ではありません。これより数年後、1989年にリリースしたアルバム『ミラクル』からです。4人の顔が繋がった『ミラクル』のアルバムワークは、共同名義になったことをビジュアル的に表現したものだと言われています。

23.「バンド・エイド」のためのリハーサル

映画:解散の時期があったこと、フレディーの体調が悪化していたことで、本番1週間前になっても、4人はなかなか元通りの演奏ができません。

実話:フレディーのソロ・アルバム制作と並行し、クイーンの活動も続いていました。1984年には「クイーン」のアルバム『THE WORKS』をリリースしており、世界ツアーを行っています。「ライブ・エイド」の8週間前にツアーのラストを飾る日本公演を終えたばかりでした。

24.フレディーがHIVポジティブだと判明した時期

映画:「ライブ・エイド」にむけたリハーサルをしている最中、フレディーがHIVポジティブであることをメンバーに告白します。

実話:このとき、まだフレディーはHIVポジティブではありませんでした。1985年に一度検査を受けており、そのときにはネガティブでした。再検査を受け、ポジティブだと判明するのは1987年ごろのようです。

25.ジム・ハットンとの再会

(写真)フレディーの向かって左側の白い洋服を着たのがジム・ハットン、2人右の黒い洋服を着たのがメアリー・オースティン

映画:「ライブ・エイド」の当日、フレディーは、ようやく探し当てたジム・ハットンの自宅を自ら直接訪ね、両親に紹介して恋人同士となります。

実話ハットンとの2度目の出会いもゲイクラブ「ヘブン」でした。初めて会ってから1年半後、「ライブ・エイド」直前のことであり、今度はフレディーからのドリンクのオファーをハットンが受け入れたのです。

ジム・ハットンは、2010年1月1日、肺がんにより死去。1990年にHIVポジティブであることが判明しましたが、フレディーに告げることはなかったようです。生前、フレディーとの日々を綴った著作を発表しています。

26.「ライブ・エイド」における音量操作

映画:ジム・ビーチがひそかにミキシングの音量を上げます。

実話:「クイーン」のとき、音量を上げたのは事実ですが、それを行ったのはビーチではなく音響エンジニアでした。

映画のクライマックス「ライブ・エイド」のその後

「クイーン」は、「ライブ・エイド」の翌年、1986年6月から8月にかけて、「マジック・ツアー」と題したヨーロッパツアーを敢行します。同ツアーが実質的なクイーン最後のツアーになりました。

同年9月に、フレディーがプライベートで日本を訪問しています。

1986年には『カインド・オブ・マジック』とライブアルバム『ライヴ・マジック』、1988年にフレディーとモンセラート・カバリエの共作アルバム『バルセロナ』、1989年に『ザ・ミラクル』と精力的にニュー・アルバムをリリース。しかし、この頃からフレディーがHIVポジティブではないのか、との噂が拡がり始めます。

1991年初頭、実質的なラスト・アルバム『イニュエンドウ』がリリースされましたが、フレディーの余命わずかな中でレコーディングされたものでした。

フレディーがHIV感染合併症により死去したのは、1991年11月24日、45歳の若さでした。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の評価が分かれた理由

以上、大小26の相違点をあげました

批判派が問題視するのは、フレディーの病気が判明する時期の創作です。その事実を知ってなお、メンバーたちは受け入れ、伝説となるライブをやってのけたという点に映画のクライマックスがある以上、そこに嘘を持ち込んだのは許されないというものです。

また物語とは違うところで、ブライアン・メイとロジャー・テイラー、さらにジム・ビーチが製作に名を連ねている時点で、かなりの美化があるのではないか、との指摘もあります。つまり、内輪の人間が関わり過ぎている点です。

それ以外の創作の多くは、特に問題のない範囲だと思われますが、このあたり確かに意見が分かれるところかもしれません。

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