『鎌倉殿の13人』を演じるキャストと相関図・あらすじ紹介

鎌倉殿の13人ドラマ

2022年1月9日にスタートする、第61作目にあたるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。

13人とは、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の死後に発足した、集団指導体制「十三人の合議制」を構成した有力御家人たちのことです。

多彩な人物が入り乱れるドラマですが、本記事では、タイトルとなっている13人と演じるキャストにしぼり、それぞれの人物像を簡単な相関図とあらすじを添えてわかりやすくご紹介したいと思います。

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NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』とは?<あらすじと概要>

物語の舞台は、平安時代末期から鎌倉時代前期。

源氏と平氏の戦いの後に鎌倉幕府が成立し、やがて有力御家人13人による合議制という集団指導体制を経て、北条氏が実権を握っていく過程と人間ドラマが描かれます。

本ドラマがどの年代までを描くかは定かではありませんが、実は合議制そのものはわずかな期間で崩壊し、その後、北条時政、時政の長女で頼朝の妻・政子、時政の次男・義時によって北条氏による執権政治が確立します。

脚本を担当するのは三谷幸喜。主人公の北条義時を小栗旬が演じます。

■「鎌倉殿」(かまくらどの)とは?

鎌倉殿とは、鎌倉幕府の棟梁、または鎌倉幕府そのものを指す言葉です。『平家物語』に出てくる「鎌倉殿」とは源頼朝のこと。「幕府」という言葉が使用されるようになるのは、江戸時代中期のことです。

■「十三人の合議制」とは?

1199年(建久10年)に源頼朝が死去し、嫡男の源頼家が第2代将軍に任命されます。しかし、頼家がまだ18歳と若く、独裁的だったことから御家人たちの反感をかい、任命3か月後には有力御家人13人による合議で政務が行われることになりました。それが「十三人の合議制」です。

有力御家人同士の主導権争いも、その背景にありました。ただ、頼家から完全に権力を奪うものではなく、合議の上、最終決断の権利は頼家にあったことなど、今なお不明な点の多い仕組みです。

1199年(正治元年)に13人の一人である梶原景時が失脚、翌1200年(正治2年)には安達盛長と三浦義澄が病死したことで合議制は事実上解体。その後、北条による執権政治へと移っていきます。

しかしながら、北条義時の長男で第3代執権の泰時が、1225年(嘉禄元年)に設置した「評定衆」は、「十三人の合議制」がもとになったと言われています。

13人の人物像とキャスト・相関図

十三人の合議制

1.北条義時(ほうじょうよしとき)/小栗旬

本ドラマの主人公となる北条義時は、1163年(長寛元年)の生まれで、別名は江間小四郎。北条時政の次男であり、母は伊豆の豪族・伊東祐親の娘だと言われています。異母姉の政子が源頼朝の妻となったことから、父とともに源氏の軍に加わりました。

「葦屋浦の戦い」などで名を成す一方、21歳のときには、側室の阿波局との間に長男の泰時をもうけます。1192年(建久3年)には、比企朝宗の娘だった姫の前を正室に迎え、次男の朝時をもうけました。

頼朝の死後、「十三人の合議制」に加わり、激しい権力争いの中で徐々に頭角を現します。父とともに、次第に実権を手中におさめていきますが、「畠山重忠の乱」や「牧氏事件」などをきっかけに政治的に対立。父を抑えて、2代執権となり、政子が尼将軍として、義時が補佐して実権を握る執権政治を事実上確立させました。

その後は、後鳥羽上皇との対立による承久の乱を制したのち、1224年(元仁元年)に62歳で死去しています。死因は諸説あり、はっきりしていません。

主人公を演じる小栗旬は、1995年の『八代将軍吉宗』以来、大河ドラマは8作目の出演になります。ちなみに、同時代を描いた2005年の『義経』では、13人のうちの1人、梶原景時の嫡男・梶原景季を演じていました。

義時の家族・親族については、下記の記事で詳しく紹介しています。

2.北条時政(ほうじょうときまさ)/坂東彌十郎

義時の父である北条時政は、北条家の繁栄を一代で築き上げた武将ですが、その生い立ちなどはよくわかっていません。1138年(保延4年)の生まれとされていますが、父が誰なのかなども不明です。

当初は、流人となった源頼朝の監視役でしたが、最初の婚姻(妻不明)でもうけた政子が頼朝の妻となったことから、頼朝側につくことになりました。長い源平の戦いの末、1185年(文治元年)に平氏が滅亡すると、時政は京都守護として活躍。その後、伊豆に戻って地盤を築き上げ、頼朝の死とともに、「十三人の合議制」に名を連ねることで有力幕臣に名乗りをあげました。

その後、2代将軍の頼家を追放し実権を握ると、1203年(建仁3年)、初代執権に就任します。さらに3代将軍の実朝殺害を企てましたが、政子・義時らと対立して失敗。隠居に追いやられて出家したのち、1215年(建保3年) 1月6日、78歳で病死しています。

歌舞伎役者の坂東彌十郎が、時政を演じます。

3.梶原景時(かじわらかげとき)/中村獅童

平氏側とした参戦した「石橋山の戦い」で、敵対する源頼朝の信頼を得ることになり、その後重用されるに至った武将が梶原景時です。源平の戦いの中で、源義経と対立するようになり、後に義経が後白河法皇の院宣により頼朝討伐に挙兵した際も、頼朝側で動きました。

頼朝死後も、頼家に重用されて「十三人の合議制」の1人となりますが、わずか数か月後、頼家の独裁に対する有力御家人の不満が爆発して対立。景時は、御家人66名による連判状によって幕府から追放され、上洛中に討たれて滅亡しました。(梶原景時の変)

そんな梶原景時を演じるのは、中村獅童。大河ドラマは1989年の『春日局』に始まり、7作目にあたります。

4.比企能員(ひきよしかず)/佐藤二朗

源頼朝の乳母だった比企尼の甥であり、比企尼の後ろ盾により、頼朝の側近としての地位を確立しました。娘の若狭局が頼家の側室となり、一幡をもうけたことでさらに権勢を握り、「十三人の合議制」の1人となっています。

しかし、1203年(建仁3年)、病に伏した頼家につく比企氏と、実朝側の北条氏との間で対立が起こり、比企氏は滅ぼされました。(比企能員の変

比企能員を演じるのは独特の個性でバラエティー番組などでも人気の高い佐藤二朗。大河ドラマは、2012年の『平清盛』、2015年の『花燃ゆ』に続き、3作目です。ちなみに、『平清盛』では、公家の藤原家成を演じていました。

5.安達盛長(あだちもりなが)/野添義弘

源頼朝の乳母だった比企尼の長女である丹後内侍を妻とし、頼朝が平治の乱に敗れ、伊豆の流人であった頃から仕える旧臣が安達盛長です。

そのため、頼朝の信頼は厚く、頼朝の死後には出家して蓮西を名乗りました。「十三人の合議制」の1人として、三河国の守護をつとめましたが、ほどなく、1200年(正治2年)に66歳で病死しました。

演じる野添義弘は、スーパー・エキセントリック・シアター所属し、さまざまなドラマ・映画で名脇役として活躍。大河ドラマも、1993年の『琉球の風』にはじまり、本作が5作目になります。



6.三浦義澄(みうらよしずみ)佐藤B作

北条義時の実母は、伊東祐親の娘でしたが、祐親のもう一人の娘を正室に迎えたのが三浦義澄です。「平治の乱」の頃から源頼朝に仕え、「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」などで功をなし、頼朝の宿老となって重用されました。

「十三人の合議制」の1人となって頼家を補佐しましたが、「梶原景時の変」では景時追放側にまわり、そのすぐあと、1200年(正治2年)に74歳で病死しています。

三浦義澄を演じる佐藤B作は、1989年の『春日局』に始まり、本作が5作目の大河ドラマ出演となります。

7.和田義盛(わだよしもり)/横田栄司

相模を本拠とする三浦氏の一族であり、武勇に秀でた武将として、平氏との戦いに参戦していたの和田義盛です。鎌倉幕府では、初代侍所別当に任じられました。

「十三人の合議制」の1人となり、「梶原景時の変」を主導したほか、「比企能員の変」でも北条氏側に立ちました。しかし、執権についた北条義時と対立するようになり、1213年(建暦3年)の戦いで討ち死にしました。(和田合戦

文学座に所属し、数々の舞台を踏んでいる横田栄司が和田義盛を演じます。テレビドラマへの出演も多く、『真田丸』『麒麟がくる』に続き3作目の大河ドラマ出演となります。

8.三善康信(みよしやすのぶ)/小林隆

元々は朝廷に仕える下級貴族でしたが、母が源頼朝の乳母の妹だった縁で、頼朝側に通じていました。頼朝に呼ばれて鎌倉入りし、鎌倉幕府では初代問注所執事をつとめています。

頼朝の死後も「十三人の合議制」に参加。1221年(承久3年)に起こった「承久の乱」のすぐのちに病死しました。

数多くのドラマや映画で名バイプレーヤーぶりを発揮している小林隆が、三善康信を演じます。大河ドラマは2004年の『新選組!』など、本作が4作目です。

9.大江広元(おおえのひろもと)/栗原英雄

大江広元も、三善康信と同じく京都の下級貴族でしたが、兄の中原親能が源頼朝と近かったことから、鎌倉に下り、公文所の別当(長官の役職)となります。公文所が政所となってからも引き続き別当として、朝廷との交渉にあたりました。

「十三人の合議制」の1人として、終始、北条政子および義時と立場を共にする形で、幕政で権力を持っていました。「承久の乱」では、嫡男の親広が朝廷側につき、親子対立しつつも勝利に貢献しました。晩年は出家し、1225年(嘉禄元年)に78歳で死去しました。

演じる栗原英雄は劇団四季出身。『ライオンキング』や『マンマ・ミーア!』『ウィキッド』など数々の有名ミュージカルを踏み、2009年に退団しました。ドラマデビュー作となった2016年の大河ドラマ『真田丸』以来、二度目です。

10.中原親能(なかはらのちかよし)/?

大江広元の兄で、元は源雅頼に仕えていましたが、のちに源頼朝の近習となって、鎌倉に下りました。頼朝の側近となり、朝廷と幕府の折衝役として奔走。頼朝の死後も、「十三人の合議制」の1人として、幕政に関わっていました。

親能の妻が乳母をつとめていた頼朝の次女・三幡の死をきっかけに、出家。1209年(承元2年)に66歳で死去しました。

11.二階堂行政(にかいどうゆきまさ)/?

やはり下級貴族の出身ですが、母が、源頼朝の外祖父で熱田大宮司・藤原季範の妹だった縁で、頼朝に仕えるようになったと言われています。鎌倉幕府の政所において、大江広元を補佐する立場にありました。

「十三人の合議制」にも名を連ねており、文官として実務面で政務に携わっていたようです。没年など不明ですが、実朝の時代には政務から退いていたものと推測されています。

12.足立遠元(あだちとおもと)/?

足立遠元は、武蔵国足立郡を本拠とし、「平治の乱」では源頼朝の父である源義朝の陣として参戦しました。1184年(元暦元年)に公文所が設置された際には、 武士でありながら、大江広元を補佐する寄人の1人に選ばれるなど頼朝の側近として仕えました。

老齢でしたが、「十三人の合議制」の1人に選ばれ、実朝に至るまで源氏四代に渡って支え続けました。没年は不明です。

13.八田知家(はったともいえ)/?

八田知家は、下野宇都宮氏の出で、「保元の乱」で源義朝側について功をなしたのち、頼朝に仕えて、「奥州合戦」などでもめざましい活躍をみせました。

幕府では常陸の守護にあたり、頼朝の死後も「十三人の合議制」に加わり、政務に関与し続けました。1218年(建保6年)に死去しています。



『鎌倉殿の13人』を三谷幸喜はどう描く?

上で述べたとおり、「十三人の合議制」については、いまなおよくわかっていない部分が多くあり、推測の余地が多数残されています。

2004年の『新選組!』、2016年の『真田丸』に続き、3度目の大河ドラマを手掛ける三谷幸喜が、そのコメディセンスと個性でどんな風に料理し、物語を織り上げていくか楽しみです。

三谷の代表作の一つである『12人の優しい日本人』のような雰囲気をイメージしますが、はたしてどうなるでしょうか?

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