名作『東京物語』あらすじ/ロケ地/解説レビュー【小津安二郎】

東京物語 映画

小津安二郎の代表作にして、日本映画が産んだ不朽の名作『東京物語』。

2012年には、イギリスの映画雑誌で、栄えある「監督が選ぶ史上最高の映画第1位」に選ばれたこともあります。

そんな世紀の傑作『東京物語』について、簡単なあらすじと登場人物・キャスト、ロケ地など概要を紹介したのち、感想と解説を交え、レビューしてみました。

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小津安二郎の代表作にして不朽の名作『東京物語』(1953)

 1953年11月3日に公開された『東京物語』は、原節子が演じたヒロインの名がすべて「紀子」であることから、1949年の『晩春』、1951年の『麦秋』と合わせ、「紀子三部作」とも呼ばれる傑作です。

「キネマ旬報」が2009年に「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」の第1位に選んだほか、上述のとおり、英国映画協会誌「Sight&Sound」が、2012年に「映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン」の第1位に選ぶなど、世界各国の名作ランキングで必ず上位に選ばれる傑作中の傑作です。

小津安二郎と脚本家の野田高梧が、1953年2月から構成を練り、5月に書き上げました。野田が好きだったレオ・マッケリー監督の1937年の映画『明日は来らず』を下敷きにしていると言われています。

■あらすじ

尾道に住む周一・とみの老夫婦が、子どもたちに会うために上京します。

ところが、開業医をしている長男・幸一、美容院を営む長女・志げともそれぞれの日常でめいっぱい。冷淡で薄情とも思える接し方に対し、戦死した次男の嫁・紀子だけが、親身になって2人を受け入れ、もてなすのでした。

帰路、熱海で一泊し、尾道に戻るやいなや、妻のとみが危篤状態になり……。

■主要登場人物とキャスト

  • 平山周吉(父)/笠智衆
  • 平山とみ(母)/東山千栄子
  • 平山紀子(次男の嫁)/原節子
  • 平山幸一(長男)/山村聡
  • 平山文子(幸一の妻)/三宅邦子
  • 金子志げ(長女)/杉村春子
  • 平山京子(次女)/香川京子
  • 平山敬三(三男)/大坂志郎
  • 沼田三平(周吉の旧友)/東野英治郎

■小津安二郎監督と脚本家の野田高梧

小津安二郎と脚本家の野田高梧は、小津の処女作『懺悔の刃』(1927年)以来、公私に渡る親交を続けていた名コンビであり、特に『晩春』(1949年)から小津の遺作『秋刀魚の味』(1962年)の間の全作品の脚本を野田が手掛け、一緒に「小津調」と言われる固有のスタイルを確立しました。

長野県蓼科にあった野田の別荘「雲呼荘」で2人は数々の作品を書き、小津自身もその近くに別荘「無藝荘」を持ちました。残念ながら「雲呼荘」は1990年に解体、ただ「無藝荘」の方は2003年に茅野市北山のプール平に移築され、見学も可能です。

小津安二郎

小津安二郎は、1903年12月12日、東京(現在の江東区深川)生まれ。短い期間、父の郷里である三重で小学校の代用教員をしていましたが、1923年に松竹蒲田撮影所に入社し、映画界入りしました。

1927年に『懺悔の刃』で監督デビュー。サイレントからトーキーへ移行する中で、数々の作品を発表して名声を確立していきます。1958年に、『東京物語』が英国サザーランド賞を受賞したのをきっかけに、海外でも非常に高い評価を得るようになりました。ゴダールやヴィム・ヴェンダースら多くの映画監督に多大な影響を与えた日本映画の巨匠として知られています。

遺作となる『秋刀魚の味』まで全54作品を手がけ、1963年12月12日、満60歳の誕生日に亡くなりました。生涯独身を通し、母親と二人暮らしの生活を続けました。

野田高梧(こうご)

野田高梧は、1893年11月19日、北海道函館生まれ。 映画雑誌の記者等を経て、1924年に松竹蒲田撮影所に入所し、中心的脚本家として活躍しました。小津作品のほか、野村浩将監督と組んだ1936年の『愛染かつら』も有名です。

勲四等旭日小綬章を授与された翌年の1968年9月23日、別荘「雲呼荘」にいたときに心筋梗塞を起こし、74歳で死去しました。娘の立原りゅうも脚本家です。



印象的なロケ地の現在

物語の主な舞台は尾道と東京。そして老夫婦が旅する熱海の3か所です。

尾道市では、住吉神社、福善寺、料理旅館「竹村家」などで撮影が行われたほか、特にラストシーンで周吉と紀子がたたずむ浄土寺は、本映画ファンの言わば聖地ともいえるでしょう。

①尾道市・浄土寺

聖徳太子創建とも言われる浄土寺は、国指定文化財の、尾道を代表する寺院ですが、映画の後、どこかの時点で改築がなされ、2人が立っていた場所もそのままの形では残っていません。そこには鐘撞堂が移築されました。ただ、印象的な2つの石灯篭は、隣の建物の前に移され、そのままのものが現存しています。

②静岡県・熱海の堤防

周吉ととみが訪れた熱海の温泉旅館で、2人がぽつりと座って海を眺める堤防は、現存していません。現在は、親水公園・ムーンテラスと命名され、美しく整備された公園になっています。

③東京足立区・荒川の土手

上京した周吉ととみは、銀座や上野公園、両大師橋などを観て歩きます。「平山医院」があるのは東武伊勢崎線の堀切駅。たびたび荒川の土手が登場しますが、あるシーンでは、現在もそのままの京成本線荒川橋梁がはっきりと見えており、この場所であることがわかります。



『東京物語』の解説・感想レビュー

小津安二郎監督、不朽の名作『東京物語』のデジタル・リマスター版を観た。歳をとるごとに、回数を重ねるごとに味わいが増すのは、まさに本作が古典たる所以である。

描かれるのは、戦後日本における、旧き家族観の喪失と新しい価値観の芽生え。

これといってたいした事件も起こらない、ありふれた日常を淡々と捉えた作品にもかかわらず、だからこそ、単純な喜怒哀楽の言葉で表現できない深い味わいがある。

独特のカメラアングル、小津のデザインに対する傾倒など含め、既に語り尽くされたこの映画だが、改めて再見した印象を述べると、ひとえに「受容」というものの持つ美しさ、強さである。

現実に逆らわず、あるがままを受け入れ、自分の中でやり過ごす。その精神性を見事に体現するのがこの老夫婦だ。

子供たちの態度や生活ぶりに、内心がっかりしながらも、文句一つ言うわけではなく、自分たちはやっぱり幸せだと、穏やかに微笑む二人。

現に、子供たちは、慌ただしく変化する東京での生活を必死に生きているだけであって、彼らに悪意はない。むしろ観るものは、反感を覚えながらも、自らの内にも同じものが巣くっていることに気づくだろう。

旧き老夫婦と、新しい世代の子供たちとの間に位置するのが、血のつながっていない嫁の紀子である。

「わたくし、ずるいんです」と告白する有名な場面では、変わりゆく価値観や時代の中で、苦悩しながら両方に揺れ動き、橋渡しの役目を担う一人の人間の姿が見える。

最後、妻に先立たれた周吉が隣人につぶやく。

「一人になると急に日が長ごうなりますわい」

これからの一人の長い時間も、しっかり受け止めて生きていくのであろう、その強さが、逆に胸に痛い。

『東京物語』の考察本ではこれがおすすめ!

『東京物語』や小津安二郎については、数多くの考察本が存在していますが、いくつか読んだ中でおすすめが、梶村啓二著の「東京物語と小津安二郎 なぜ世界はベスト1に選んだのか」です。

「紀子とは誰なのか?」「周吉の旅」「着物とスーツ」などさまざまな観点からなされた多面的な考察は、どれも納得のいくものばかり。また、小説家でもある著者らしく、読みやすく格調高い文章にも惹きつけられるでしょう。

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